姫路の娘宅へは日帰りでした。こうやって行くことは娘に対し罪滅ぼし、贖罪〔しょくざい〕の気持ちからではありません。人はされたことは覚えているが、自分がしたことは覚えていない。また、してもらったことは忘れているが、してあげたことは忘れていない。だからと言って恩を着せる気持ちでしているわけではありません。親だから当然と思います。でも、年老いて自分の身体が自分の思うようにならなくなったとき、その気持ちを持ち続けられるか。持ち続けなければ自分を卑しめることになるので、少し思ったとしてもそれを口には出すまいと強く思いました。新聞に載っていた随想で小川 糸さんの「母とのこと」(親子の葛藤)を読んで 特にそう思いました。家人も「父とのこと」をあまり話さなくなりました。覚えていることや忘れていないことの外に覚えていないことや忘れていることがあると気付いたからに違いありません。
今日の夕食は、
◆豆腐の炒め煮 ◆若竹煮 ◆出し巻き卵と鶏唐揚げ ◆ 五目大豆◆ご飯
~ 毎日筍です ~