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 かんりにんのひとりごと

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親鸞と『他力本願』の教え

2023-09-22 | 観光・旅行・京都検定

 

かなり前の話になりますが、『日野誕生院』というところに行きました。

 

この場所は、浄土真宗をひろめた「親鸞聖人」が産まれたと言われる場所です。

 

日野という地域は、平安時代の藤原氏と関係が深い日野氏が住んでいたそうです。

 

 

 

親鸞聖人の父は、「日野有範(ひのありのり)」と書かれています。

 

藤原氏や日野氏は有力な貴族であったようですが、平安時代の後期には、平家が力を持ち、武士が権力を持ち始めていた時代だと思います。

 

 

親鸞聖人は、幼い頃から優秀な方だったようで、9歳で出家したようです。

 

比叡山で修業を重ねたのちに、法然上人の弟子となり、「浄土真宗」の宗祖となった方でした。

 

平安時代の初期の仏教では、「厳しい修行と学習を重ねてこそ、悟りをひらくことができる」とされていたのですが、法然や親鸞は「念仏を唱えることによって、仏様の力(他力)によって救われる」と説いたのでした。

 

よく言われる『他力本願』という言葉の由来となった話ですね。

 

本来の『他力本願』とは、自分の力ではなく「南無阿弥陀仏」と唱えることによって、阿弥陀様の慈悲の力によって、救われるという考えだそうです。

 

 

 

平安時代の後半になると、社会の混乱も大きく、阿弥陀様の力によって、救われたいと思う人々が多くいたのでしょう。

 

一方で、それまでの仏教を信仰していた人たちからは、法然や親鸞は異端扱いを受けたようです。

 

流刑に会うなど、ひどい扱いを受けることになったのですね。

 

 

 

この寺院は、比較的新しく立て直されたものらしいです。

 

 

 

大変綺麗に整備されていました。

 

 

親鸞聖人の像もありました。

 

 

 

親鸞聖人は、僧侶が結婚することは良くないとされていたのに、妻子を持ち、非難されることも多かったようです。

 

しかし、かなりの人格者だったようで、多くの門弟から慕われていたそうです。

 

我が家は、日蓮宗なので、普段は「南無妙法蓮華経」と言いますが、阿弥陀様の前に行くと、最近は「南無阿弥陀仏」と唱えることも多くなりました。

 

お寺に行くと、そう唱えると気持ちが落ち着くような気がします。。。

 

他力本願(たりきほんがん)とは - 浄土真宗 慈徳山 得蔵寺

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目次1 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)は感謝の言葉1.1 他力本願の本来の意味1.2 親鸞聖人と他力の考え方1.3 阿弥陀仏の四十八の誓いと念仏1.4 念仏の真の意味1.5 他力に頼...

浄土真宗 慈徳山 得蔵寺