
先日のテレビで、帰れマンデーという番組でサンドイッチマンが北野天満宮周辺を歩いていました。
その時に、紹介されたのが、椿寺(地蔵院)でした。
髪の毛が伸びて、ほっぺたがふっくらした阿弥陀様を探すというものでした。
そのお寺は椿寺といわれ、椿の花で有名だとのことでした。
この近くでいうと、「地蔵院」という寺院が当てはまります。
テレビで紹介されたせいでしょうか、大変多くの方が参詣に来られていました。
ちょうど、特別公開をしていて、『五劫思惟阿弥陀如来像』が公開されています。
五劫思惟という話は、以前のブログで書きましたが、気の遠くなるようなながーい時間を表しています。
決して大きな境内ではありませんが、きれいに整備されていました。
椿寺といいますが、遅咲きの椿らしくて、まだ椿の花は咲いていませんでした。
ふつう椿の花は、ぼとっと花が落ちてしまうので、首が落ちることを連想して、武家からは敬遠されたそうですが、この寺院の椿は、散り椿ということでした。
まだつぼみですが、咲いたらきっときれいなことでしょう。
本堂に上がらせていただいて、お寺についての説明を聞きました。
奈良の高僧の行基が創建とも伝わり、桃山時代には秀吉の宿ともなったそうです。
また、秀吉から「五色八重散椿」が寄進され、椿寺と言われるようになりました。
観音堂には十一面観音様がおられるそうです。
頭のあたりに顔がたくさんありますね。
さて、これでもう十分だったのですが、あと一つだけ行きたいところがありました。
近くにある立本寺です。
京都検定の1級の過去問題をやっていたときに、立本寺に島左近のお墓があると書いてあったのです。
島左近といえば・・・。
石田三成の家臣で、三成を支えた重要人物らしいです。
石田三成の評判は良くないようですが、この島左近の評判は高くて、「石田三成にもったいないものが二つ、一つは佐和山城で、もうひとつは家臣の島左近」と言われたそうです。
ありました。
お寺の裏側に、ひっそりと石碑が建っていました。
関ヶ原の戦いで、討ち死にされたそうです。
さぞかし、優れた武将であったのでしょうね。
北野を歩くだけでも、いろいろな時代のいろいろな人物が登場して、頭の中がやや混乱してしまいました。
歴史の年表でも見ながら、頭の中を整理しないといけません。。。
かつて永観堂の智福院でも拝観しましたが、平素は檀家さんにのみ開いているとか。
先月天神さんの日に立ち寄りました。
本堂前の椿は見事ですよ、開花が待たれます。
永観堂にもあるのですか。それは知りませんでした。一般には開放していないとは残念です。椿も一度拝見したいものです。
やっぱり椿の時季に行ってみたいですね⤴✨✨
京都は少し空いてきたというニュースをききました🐻🍀✨✨
五劫思惟阿弥陀仏はいろんなところにあるんですね。私は金戒光明寺のものしか知りませんでした。
顔が微妙に違いますね。
そんな個性を探すのも面白いかもしれませんね。
相変わらず観光客は多いようですが、少しだけ減ったかもしれません。桜が咲いたら、また多いかもですが。