長い長い一週間がありました・・・
先週の月曜日、夫の父が自宅で倒れ土曜日に逝去しました。
病院での出来事。在宅での看護。お通夜に会葬。
めまぐるしい時間が過ぎました。
嫁いだ時は夫の両親と同居していて10年間一緒に暮らしていました。
その後、私たちは、夫の仕事の都合で京都にきました。
夫の父は、広島の呉から4年前に引き取り同居中でした。
87年間の人生に幕を引き逝ってしまいました。
私と父は、長男の嫁としてではなく、ホントの親子のように
毎日暮らしていました。
父が体を壊してからは、「何が父にとって本当の幸せ」で
いったいどうすれば一番よいのかと毎日のように思っていました。
通夜や会葬の日、夫から「よくやってくれたな」と言われ
親戚一同からは「いい嫁」として絶賛を浴びながら
自分では何か釈然としない気持がありました。
何か整理のつかない心の穴がぽっかりとありました。
母が逝き、ひとり暮らしをしていた父と、是非家族と一緒に暮らし、
最後は看取りたいという夫と私との共通の思いで、父は京都にやってきました。
父は最期まで、父の威厳を守ろうとしたしっかりとした姿で、
夫に見守られながら安らかに眠るように逝きました。
父が、故郷を後にし、息子夫婦の住む京都に移り住むには、並大抵の
覚悟ではない、思い切りが必要であったのではないかと・・。
子が、世間に筋を通し、曲りなりとも親孝行の真似ごとをさせてもらうには、
親の子を思う大きな「愛」があってこそ、叶うものではないのだろうか・・
と心からそう思いました。
最期を迎えるその時を、夫は父を病院から自宅に連れて帰り、
在宅看護に切り替え自宅で看取る覚悟を決めました。
ケアマネの方や訪問看護・介護スタッフの皆様に本当によくしていただきました。
とても温かく親切にしていただき父と家族の私たちを支えて下さいました。
深く深く感謝申し上げたい。
子として嫁として、十分にしてあげられないこともあったと思うのですが・・・。
しかし、最善を尽くしたと思わせてもらおうと思っているんです。
父は事あるごとに、「ありがとう、ありがとう」「すまんのう。」と、
沢山の感謝の言葉を私にいっぱいくれました。
「あたりまえじゃん親じゃけん」と広島弁で言いながら、
逆に、私は父から多くの感謝の思いを学ばせてもらいました。
長い間、毎日の生活に、父の介護があった。
今日の日常生活では、そのやらなければならないという思いが、
あちこちで、肩すかしを何度もくらった。
寂しいというより父との暮しが懐かしい・・・
京都に来るまでに父を支えて下さった故郷の皆様、優しくしてくださった
多くの方々に、心からお礼申し上げたい。
おじいちゃん・・もうゆっくりしていいよ。
先に逝ったおばあちゃんと会ったら仲良くね。
何年も続いたいつも追われているような焦燥感・・・
終止符を打つ覚悟はできている。
しかし、ふと父がいたからこそできていた家の中の習慣に気付くと
懐かしく・・・思う。
父はいつも私の仕事を気にかけてくれていた。
「仕事はどうじゃ?」「忙しいか?」
「ひろこさん、仕事は辛いこともあるが、報酬をもろうたうえに
いろんな勉強もさせてもらえる・・こんなええことはないぞ」と
勇気づけてくれたことを思い出す。
これからも精いっぱいいい仕事をして勉強させていただこうと思います・・
私ゴトですみません。
平成21年3月5日に下書きしていたものをやっとアップする気になりました。
読んでくれてありがとう・・・
先週の月曜日、夫の父が自宅で倒れ土曜日に逝去しました。
病院での出来事。在宅での看護。お通夜に会葬。
めまぐるしい時間が過ぎました。
嫁いだ時は夫の両親と同居していて10年間一緒に暮らしていました。
その後、私たちは、夫の仕事の都合で京都にきました。
夫の父は、広島の呉から4年前に引き取り同居中でした。
87年間の人生に幕を引き逝ってしまいました。
私と父は、長男の嫁としてではなく、ホントの親子のように
毎日暮らしていました。
父が体を壊してからは、「何が父にとって本当の幸せ」で
いったいどうすれば一番よいのかと毎日のように思っていました。
通夜や会葬の日、夫から「よくやってくれたな」と言われ
親戚一同からは「いい嫁」として絶賛を浴びながら
自分では何か釈然としない気持がありました。
何か整理のつかない心の穴がぽっかりとありました。
母が逝き、ひとり暮らしをしていた父と、是非家族と一緒に暮らし、
最後は看取りたいという夫と私との共通の思いで、父は京都にやってきました。
父は最期まで、父の威厳を守ろうとしたしっかりとした姿で、
夫に見守られながら安らかに眠るように逝きました。
父が、故郷を後にし、息子夫婦の住む京都に移り住むには、並大抵の
覚悟ではない、思い切りが必要であったのではないかと・・。
子が、世間に筋を通し、曲りなりとも親孝行の真似ごとをさせてもらうには、
親の子を思う大きな「愛」があってこそ、叶うものではないのだろうか・・
と心からそう思いました。
最期を迎えるその時を、夫は父を病院から自宅に連れて帰り、
在宅看護に切り替え自宅で看取る覚悟を決めました。
ケアマネの方や訪問看護・介護スタッフの皆様に本当によくしていただきました。
とても温かく親切にしていただき父と家族の私たちを支えて下さいました。
深く深く感謝申し上げたい。
子として嫁として、十分にしてあげられないこともあったと思うのですが・・・。
しかし、最善を尽くしたと思わせてもらおうと思っているんです。
父は事あるごとに、「ありがとう、ありがとう」「すまんのう。」と、
沢山の感謝の言葉を私にいっぱいくれました。
「あたりまえじゃん親じゃけん」と広島弁で言いながら、
逆に、私は父から多くの感謝の思いを学ばせてもらいました。
長い間、毎日の生活に、父の介護があった。
今日の日常生活では、そのやらなければならないという思いが、
あちこちで、肩すかしを何度もくらった。
寂しいというより父との暮しが懐かしい・・・
京都に来るまでに父を支えて下さった故郷の皆様、優しくしてくださった
多くの方々に、心からお礼申し上げたい。
おじいちゃん・・もうゆっくりしていいよ。
先に逝ったおばあちゃんと会ったら仲良くね。
何年も続いたいつも追われているような焦燥感・・・
終止符を打つ覚悟はできている。
しかし、ふと父がいたからこそできていた家の中の習慣に気付くと
懐かしく・・・思う。
父はいつも私の仕事を気にかけてくれていた。
「仕事はどうじゃ?」「忙しいか?」
「ひろこさん、仕事は辛いこともあるが、報酬をもろうたうえに
いろんな勉強もさせてもらえる・・こんなええことはないぞ」と
勇気づけてくれたことを思い出す。
これからも精いっぱいいい仕事をして勉強させていただこうと思います・・
私ゴトですみません。
平成21年3月5日に下書きしていたものをやっとアップする気になりました。
読んでくれてありがとう・・・