木曽五木とは、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキで木曽の5種類の銘木である。
木曽路を行くと、お土産物屋で、ヒノキやサワラで作られたお櫃や風呂道具が売られている。
特にお櫃は懐かしい。
かつてはどこの家にもあったが、今はほとんど姿を消してしまった。
ご飯の炊きたては問題ないが、時間がたち冷や飯になったとき、お櫃に入れられたご飯は、炊飯器に入れられたままのものと異なり、余分な水分が抜け大変に美味しい。
保温性にも優れている。
お風呂も、子どものころからすると様変わりしてしまった。
当時は風呂桶はサワラや杉の木で作った木の桶であった。肌触りといい香りと言い、現在の化学物質でできたものとはケタ違いである。
ヒノキ風呂は最高であるが、庶民の家には高価すぎた。
ヒノキを球状に削ったものをお土産として買ってきて、風呂に入れ香りを楽しんだこともある。
水道がない時代は離れたところにある井戸から水を汲んで運び風呂桶を満たすのは、子どもの仕事であった。
薪を割り火起こし、風呂もよくわかした。
後に、薪から石炭に代わった。石炭は乾いたものでなく、水にぬらしたものをくべたものである。
今はほとんど見られないが、サワラを垣根として植えていた家は多かった。
我が家も樫の木とサワラ、お茶の木が家の周りに植えれれていた、
配置は西側と北側は防風林を兼ねて樫の木とサワラ、東側と南側は低木のお茶の木だあった。
お茶はその葉を摘んで近所の家に頼んで製茶し、ほぼ1年間家を賄った。
新茶の香りと味は格別であった。
サワラの葉には、新茶の香りと同じく独特の良い香りがあり子供時代の思い出の一つでもある。
江戸初期、築城や町の整備などで木材需要が高まり、木曽の山々も乱伐が続き、荒れ果てた。
尾張藩は「木一本、首一つ」という厳罰で森林の保護を行った。後には処罰対象の木の種類を増やしたとのこと。
現在の木曽の山々をその様な、先人の自然保護の成果かもしれない。