昨日、立川市立第三小学校の学校公開に参加した。
低学年の算数の授業を見ていて、あることを思い出した。
それは、私の中学、高校を通しての数学に対する姿勢である。
それは、公式は覚えるのではなく、その公式が導き出される考え方を理解することが大事であるということである。
そうすることによって、複雑な応用問題もその本質を理解し、解決に導くことができるからである。
その授業の内容は。「先月は牛乳パックx個集まった、今月はy個集まった、今月は先月より何個多く集まったか」という問題を取り上げていた。
誰でも、即座に、反射的にyからxを引き算する。
その時、先生はなぜ引き算なのかお児童に問うた。引き算で答えを出すというのは結論であり、公式である。その結論を導き出す経過、考え方があるはずである。それを自ら考えるということが大事である。
そこに教育の意味があり、目標があると思う。
考えを省略し、簡単に結論を出してしまう弊害は我々の生活や人生の中で意外と多い。
マスメディアやインターネットがそれを加速しているのではなかろうか。
ある問題に対し、考え、結論を出していく過程で必要なものは情報である。
しかしその情報にも問題がある。情報には生の情報と加工された情報とがある。TV等で流されるニュース等の情報は本来生の加工されていないものであるべきであるが、現実は違うと思える。
誤った情報のもと自ら考えず、安易な結論を導き出している例は少なくないのではなかろうか。
小学校低学年の授業を参観して、考えることの重要性を改めて認識した。
今、参議院選真只中であるが、正確な情報を選択し、正しい判断のもと投票行動を起こしてほしいものである。
ファーレの彫刻 山本正道「車止め ベンチ」