堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

災害時の避難場所

2011年11月04日 | 地方自治

 昨日、中学生の主張大会で、羽衣町の町会長にあった。
 生徒たちの発表の中に、東日本大震災に触れたものがあったこともあって、防災の話になった。三中の校長も来ていた。
 その町会は三中が第一次避難場所になっているが、その実態が把握されていないので、市の担当者を呼んで、確認のための作業を行うと言う事を聞いた。
 「避難所運営マニュアル」があるとの。
 夜、その資料を見せてもらった。第三中学校避難所運営マニュアル(案)羽衣町地区と表紙にあった。
 町会長になぜ案と言う文字があるのか、どのような経緯で作成されたのか、何時手に入れたのか聞いたが、不明とのこと。

 ちなみに、錦町にある三小も七小もマニュアルはない。従って、錦町では避難所開設・運営についての訓練は行われていない。

 立川市では、防災モデル地区推進事業と言う形で、三町毎に防災マップ作りや避難所運営訓練をワークショップと言う形を取って、行っているようである。
 残念ながら、錦町の番はまだ回って来ていない。
 まだ、防災モデル事業推進事業を行っていない筈の羽衣町に避難所運営マニュアルがあるのは理解に苦しむことである。

 以前、第一次避難場所の地区割りに実態に合わず、不適切であると思われる資料を見た記憶があるが、いかなる資料に出ていたか忘れてしまっていた。地域防災計画を見ても、第一次避難場所の名称は記載されているが、地区割りは出ていなかった。

 念のため、市民便利帳を見た。132頁に町別(丁目毎)の一次避難場所と広域避難場所が記載されている。
 一見して愕然とした。学区と避難場所が異なるところがある。
 錦町1丁目は三小学区であるにもかかわらず、第一次避難場所は七小。2丁目は七小学区なのに避難場所は三小。4丁目は三小に隣接しているにもかかわらず、三中。町会で見ると3丁目と4丁目でみよし会を構成している。正に、自主防災組織が分断されている。

 錦町は立川通りで分断されている。災害発生時には多くの危険性をはらむことが予測される。この事は考慮されたのか、疑問は残る。

 さらに、距離の問題もある。立川通りの西側で、七小が目と鼻の先にあるマンションも3丁目である。
 6丁目も距離的には7小の方が近い、選挙の時の投票所も7小である。但し、日野橋の直近の立川通りを横断しなければならない。

 先に行われた防災訓練の時に聞いても、住民は自分の避難する場所を知らない、町会長ですら認識していない。防災訓練に来ていた立川市の職員も知らなかった。

 第一次避難場所については、地域住民を交え、再検討し、周知徹底する必要性を強く感じる。市長は、6月議会で、地域防災計画は国や東京都の動向を見て改定すると終始答弁しているが、第一次避難場所等については、立川市単独で再検討できるのは当然であるので、その作業を直ちに始めるべきである。議会はもっとスピード感を持って対応すべきである。

 

 


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