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【読むのがつらい】 平和の道に咲く慰安婦ハルモニのキキョウ

2016-01-14 21:07:54 | 戦時中性奴隷 慰安婦

hankyorehより転載

[コラム]平和の道に咲く慰安婦ハルモニのキキョウ

登録 : 2016.01.13 09:38

慰安婦ハルモニたちの周りにキキョウの花が咲く=イリムニキ//ハンギョレ新聞社


 イ・ヨンスさんは抵抗すると管理者に電話のコードで電気拷問をされ、失神を繰り返した。
キム・クンジャさんは日本軍将校の要求を断ると殴られ、右の耳の鼓膜が破れた。
抵抗したチョン・ソウンさんはモルヒネの注射を強制的に打たれた。
こうして蹂躙され気力が尽きると“廃棄”される。
日本帝国主義(日帝)は植民地朝鮮を収奪し、朝鮮半島で民衆を収奪し、最終的には貧しい少女たちを収奪した。
彼女たちはそのすべての矛盾を背負って性奴隷として引きずられて行かねばならなかった。
その少女たちが九十を迎えている。
彼女たちは今、世の娘たちを守るハルモニ(お婆さん)、命と平和を守るハルモニになった。

 今年に入りソウルが最も寒かった11日夜、ソウル鍾路区の栗谷路(ユルゴンノ)2通り。身を切る寒さの中、数十人の大学生が野宿の座り込みを続け13日目になっていた。毛布の中に足と手を入れているが、寒さの中で顔は蒼白になっていた。何度か空に響いた笑い声とともに、彼ら彼女らの目が輝いていた。 星、凍土に降り注いだ小さな星のように。

 大学生の背後で機動警察10人余りが2列縦隊で並び、その後には機動隊のバスがエンジン音を出しながら排気ガスを吐き出していた。バスの中には無線機を持つ私服警察が睨みをきかしているのだろう。12・28合意の廃棄と「人に対する礼儀」を求める小さな横断幕が風になびいていた。未曾有の女性人権蹂躪を10億円で抹消しようとする者たちは、こうして若者たちを取り囲んでいた。平和を念願する少女像がいかにも寒く孤独に見えた。周りには現代的なビルが聳えているが、この国の凍土が変わることはなかった。

 ふと、ハルモニたちが血の涙を飲んで証言した、70年ほど前の朝鮮の状況が重なった。その時も日帝の手先は、娘たちを供出する実績を上げるため血眼だった。名家の者たちは、朝鮮の青年と少女を戦場に送りだそうと扇動したし、里長や区長など一線の附逆者(反民族行為者)らは、率先して村の女の子たちを騙して日本軍慰安所に送った。ちょうどこの日の昼、外交部の役人たちは一人身で暮らす慰安婦ハルモニをこっそりと訪ね、甘言でそそのかそうとしたとか。12歳の少女だったチョン・ソウンさん、16歳の少女だったイ・ヨンスさんを騙して日本軍性奴隷として引き渡した、あの里長のような附逆者。

 朝鮮人附逆者に、国民服に戦闘帽をかぶる日本人に引き渡されたイ・ヨンスさんは、慶州のある旅館前の小川のほとりで見た、清楚で実直なキキョウの姿を忘れることができない。ハルモニは平安道の安州を経て、中国の大連で軍用貨物船に乗せられ台湾に連れていかれた。ハルモニのその小さな花は、この船底の貨物室で踏みにじられ始める。「輸送中の船内では使用禁止」という警告は装飾用に過ぎなかった。イ・ヨンスさんはこうして蹂躙されたのだが、その花をいつまでも忘れることができなかった。五つの花びらには、故郷、母、父、友だちの面影が深く刻まれていた。

 偶然にも日帝の関東軍司令部は、ハルモニたちが連れていかれる3年前の1941年、朝鮮総督府に「キキョウ」2万本を注文した。16歳から19歳の経験のない朝鮮の女を指す暗号だった。総督府は総力をあげて娘の供出を始めた。里長、班長まで動員して山間僻地まで根こそぎにした。学校では教師たちが率先して「貧しいけど元気な子」を選別した。ソウルの方山初等学校のある日本人教師は、自分の組から6人の子供を送った。民間斡旋業者は「多い報酬、良い食事、気楽な仕事提供」と女性たちを騙した。

 日本軍の徴募目標値は軍人29人当り娘1人。計算通りなら30万人にもなる規模だ。本土の女性は供出対象にはならず、交戦中の現地女性は現地人の抵抗を招く恐れもあり、日本軍は植民地朝鮮に注目した。貨物車、輸送船に載せられた少女たちは“軍需物資”として分類された。台湾のある慰安所に着いたイ・ヨンスさんは抵抗した。管理者は電話機のコードで電気拷問を強いた。何回も失神を繰り返した。中国の琿春に連れていかれたキム・クンジャさんは、日本軍将校の要求を断ると殴られ、右の耳の鼓膜が破れた。抵抗したチョン・ソウンさんにはモルヒネ注射が強制的に投与された。

 こうして性奴隷にされたハルモニたちは1日平均30人、多い日は100人まで日本軍の相手をさせられた。常習的な暴力にも苦しめられた。ムン・オクチュさんは刀を持ち駆け寄る軍人から逃げ、落ちた刀でその軍人を刺し殺してしまった。ここまで蹂躙された挙げ句に気力が尽きれば“廃棄”される。「(モルヒネの)注射でさえ効果が出ないと思われると、むしろに包んで捨てしまった」(イ・オクプンさん)。中国牡丹江の戦線に連れていかれたカン・イルチュルさんは、腸チフスで高熱に苦しめられ日本軍の相手ができなくなると、軍用トラックに乗せられ山の中で捨てられた。日本軍がむしろでくるんで焼こうとしていた瞬間、天の助けで朝鮮人が現れ一命をとりとめた。敗走する際には証拠をなくすため虐殺した。防空壕に集めて爆弾を投げたり、故郷に戻してやると船に乗せ、その船を爆破することさえした。生き残った慰安婦が4人に1人しかいなかったのはそのためだった。軍人の生存率より低かった。

 幸い戻れたとしても、故郷はかつての故郷ではなかった。親戚は「一族の恥」と追い出し、隣人は「売女」と後ろ指をした。1991年8月、金学順(キムハクスン)さんが初めて自分の経験を証言した時、多少なり力のある者は「民族の恥」と切り捨てた。だからユン・スンマンさんは「まともな女になれない」自分を嫌悪して生きていくしかなかった。ノ・スボクさんやフンさんは帰郷を諦め、中国やカンボジアの現地で住み着いた。「結婚?とんでもない…」。ハルモニたちはそうやって自分たちを追い詰めていくほかなかった。

 それでもイ・ヨンスさの場合、女性として生まれウェディングドレスのベールをかぶれないのが悔しくてならなかった。還暦になった年に75歳のお爺さんと結婚した。心の中で咲くことがなかった花を、一度咲かせてみたかった。老人を選んだのは男性が嫌いだからだった。16歳で連れていかれたカン・イルチュルさんは10本の指に真っ赤なマニキュアを毎日塗った。「おしゃれをしたい年齢に連れていかれたのが悔しくて…」。ムン・オクチュさんは1993年に日本で証言した時、薄紅色チマチョゴリを着て報道陣の前に立った。日本の記者がその理由を尋ねた。「日本軍に蹂躙された少女の夢はまだこのお婆さんの胸中にあります」。ハルモニの代わりに韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)の担当者が返事をした。そこでナムヌの家でボランティアをするチェ・チョングォンさんは、2001年1月17日に「ウェディングドレスを着るのが一生の願い」だったハルモニのためにウェディングドレス着せてあげ、「若い新郎」たちと一緒にエバーランドに新婚旅行に行くイベントを斡旋した。

 金学順さんの初の証言以来、ハルモニたちは勇気を出した。キム・ドクチャさん、イ・ヨンスクさん、ファン・グンジュさん、ムン・ピルギさん、イ・ヨンスさんなどの証言が相次いだ。こうして世に出たハルモニたちは、過去のその自責から抜け出し始める。自分たちの恨みをはらすためではない。世の女性たちが再びあんな性奴隷の戦争犯罪の犠牲になってはならなかった。挺身隊対策協は1992年1月8日、初の水曜デモを開いた。ハルモニたちは当初はちぐはぐだったが、7回目から徐々にその中心に立ち始めた。

 韓国でも日本でも、為政者たちは、どうせ一回だけで終わるだろうと楽観した。「慰安婦」という致命的な恥を顧みず街に出て来ることなどできようか。ところが、それは錯誤だった。どれほどハルモニたちの恨みが大きかったのか、この地の娘たちを守りたいとするハルモニの意志がどれほど強かったのか、無知だった。ハルモニの叫びと行進は24年も続き、すでに世界じゅうに広がっている。1000回目となった2011年12月14日には9カ国43都市でデモが同時に行われ、24年目の1212回目のデモ(1月6日)には16カ国42都市の市民が共に行動した。

 1992年にアジア連帯会議が結成され、1996年に国連人権委員会は女性に対する暴力問題の特別報告書を採択し、1998年には組織的強姦、性奴隷、奴隷的取り扱いの慣行に関する特別報告書を採択した。国際労働機構は日本軍慰安所運営を性奴隷制と規定した。2000年には日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷が開かれ、2007年には「慰安婦決議案」が米議会を通過した。

クァク・ビョンチャン先任論説委員//ハンギョレ新聞社

 世の苦痛は最終的に弱者に転嫁される。日帝は植民地朝鮮を収奪し、朝鮮半島で民衆を収奪し、最終的には貧しい少女たちを収奪した。彼女たちは、そのすべての矛盾を背負って性奴隷として連れていかれなくてはならなかった。その少女たちが九十になろうとしている。

 彼女たちは今、世の女性たちを守るハルモニ、命と平和を守るハルモニになった。彼女たちが女性人権の聖所として守ってきた栗谷路2通りの「平和の道」は、この地の若者たちが守るようになった。キキョウはそうして今も咲いている。平和の道の途中に少女像があり、その向い側には駐韓日本大使館がある。

クァク・ビョンチャン先任論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-01-12 21:38

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/725851.html訳Y.B

 

 

 

 


なぜ福島だけが20ミリシーベルトなのか!~南相馬住民の基準撤回訴訟第2回

2016-01-14 16:45:18 | 福島、原発

LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2016/0113yumotoより転載

なぜ福島だけが20ミリシーベルトなのか!~南相馬住民の基準撤回訴訟第2回

    湯本雅典

 *経産省前で抗議

 

動画(3分半)

 1月13日、南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟の第2回口頭弁論が開催された。(東京地裁、民事第38部)

 東京地裁には、福島県南相馬市から原告20名が上京した。この裁判は、2015年4月と6月に、年20ミリシーベルトを基準とした特定避難勧奨地点の解除は違法だとして福島県南相馬市の住民206世帯808人が、国を相手取り、解除の取り消しを求めて東京地裁に提訴した裁判である。

 国は、この訴えに対して「特定避難勧奨地点の解除は、合理的基準に基づいている」つまり、20ミリシーベルト基準は正しいという主張をし反論した。その主張に、原告たちは「なぜ福島県だけが20ミリシーベルト基準なのか」と怒りをあらわにしていた。

 今回問題となったのが、まだ弁論2回目という時期で裁判所が「意見陳述」を認めなかったことだ。他方で裁判長が「原告の主張を理解しない判断はしない」と発言しており、裁判所が言っていることとやっていることが矛盾していることに対し原告は、「私たちは、裁判官と弁護団のやりとりだけを聞きに東京に来ているのではない」(小澤洋一さん)と怒りを表明した。

 意見陳述を認めることを求める署名が、昨年末からの短い間に1109人から集まった。また、裁判所には143名の傍聴希望者が集まった(傍聴席は98席)。


  *報告集会

 この裁判は、国がかたくなに譲らない20ミリシーベルト基準は誤りであることを訴えた初めての裁判である。原告は、「これは南相馬市、福島県だけの問題ではない。日本全国の、この国の未来にかかわる裁判だと主張している。弁護団は、「裁判所が意見陳述を認めない背景に、国がいかにこの裁判に本気になっているかがうかがえる」と述べた。それはこの裁判が、国の帰還政策、原発政策に大きく影響するからだ。20ミリシーベルト裁判は、震災5年後の今を左右する大きな意味を持つ。

次回裁判の日程:
3月28日(月)14時~ 東京地裁103号法廷

 

 

 


慰安婦問題合意の非民主性を見事に喝破したトロント大学教授・米山リサさん(天木直人)

2016-01-14 15:39:23 | 戦時中性奴隷 慰安婦

新党憲法9条 インターネット政党
http://new-party-9.net/archives/3227より転載

慰安婦問題合意の非民主性を見事に喝破したトロント大学教授

天木直人_メールマガジン
 
慰安婦問題をめぐる今度の合意は、冷え切った安倍首相の日本と朴大統領の韓国との関係があまりにも行き詰まっていたため、関係改善の急展開ばかりに目を奪われがちだ。

 しかし、合意の背景にあった米国の圧力や、合意そのものの本質が、今も昔も変わらぬ日韓の不平等性の歴史であることについて、わかりやすく説明して国民に教えてくれるものは皆無だ。

 そう思っていたら、きょう1月14日の東京新聞紙上で、トロント大学の米山リサさんという教授が見事にその事を喝破していた。

 この日韓合意は、当事者不在の国家間処理と言う点で、日韓政府が請求権問題は「完全かつ最終的に解決した」とする協定を結んだ50年前のつまずきの亡霊を見るかのようだと。

 この合意は、米国に日本は付き従うという冷戦レジームの温存であり、沖縄の基地問題や、特定秘密保護法、安保関連法強行の延長線上にあるものだと。

 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」というが、むしろ戦後の冷戦体制を完成させつつあると。

 その通りだ。

 そして米山教授はこの事を書かない日本のメディアについてこう批判している。

 戦前・戦前の検閲も、「勘ぐれ、おまえ」という自己検閲だった。侵略の過去を振り返らない民主主義は、他社を抹殺する攻撃的なナショナリズムに直結する。ジャーナリズムが見定めるのはその事である、と。

 そのメディアに守られて、安倍首相は、国会での攻撃的発言がますますエスカレートしている。

 反省のかけらもない首相が、歴史に残る日韓合意を成し遂げたというのなら、これ以上の逆説はない(了) 

<関連>

 「慰安婦日韓合意」日本政府は「赦してくれ」と言ったことはあるのか/冷戦体制の温存(米山リサ)

 

 

 


「慰安婦日韓合意」日本政府は「赦してくれ」と言ったことはあるのか/冷戦体制の温存(米山リサ)

2016-01-14 15:24:53 | 戦時中性奴隷 慰安婦

東京新聞 TOKYO WEBhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2016011402000209.htmlより転載

【言わねばならないこと】

(63)「冷戦体制」の温存 トロント大教授・米山リサさん 

写真

 安倍晋三首相が昨年四月に米議会で演説し「先の大戦」への反省を表明した。しかし、アジアでの侵略や植民地支配には触れなかった。これは、米国重視、アジア軽視という七十年前の歴史認識と変わらない。

 「慰安婦」問題をめぐる年末の「日韓合意」も、当事者不在の国家間処理という点で、日韓政府が請求権問題は「完全かつ最終的に解決した」とする協定を結んだ五十年前の躓(つまず)きの亡霊を見るかのようだ。

 米国が中国・ソ連と覇権を争う中で旧植民地支配の仕組みを引き継ぎ、その米国に日本は付き従うという冷戦レジーム(体制)が温存されている。米国は中ソに対抗するために日本の再軍備化を急いだ。日本は核の傘への批判を控え、沖縄には基地という負担を課してきた。米軍と自衛隊の一体化を進める特定秘密保護法や安全保障関連法も、その延長線上にある。首相は「戦後レジームからの脱却」というが、むしろ戦後の冷戦体制を完結させつつある。

 今回の日韓合意を米国は高く評価した。米国が日本に和解を勧めるのも、自衛隊に米軍の肩代わりをしてもらうには、アジアの同盟国の理解が必要と考えているからだ。

 歴史認識の問題で日本は謝罪の姿勢さえ示せば、和解できるとしてきた。だが、謝罪は一方的に押しつけるものでない女性国際戦犯法廷(二〇〇〇年)で中国の元慰安婦の女性が「日本に赦(ゆる)しを請うてほしい」と訴えた。日本政府は「赦してくれ」と言ったことはあるのか。

 当時、主要メディアは萎縮し、この法廷をほとんど伝えなかった。戦前・戦中の検閲も「勘ぐれ、おまえ」という自己検閲だった。侵略の過去を振り返らない民主主義は、他者を抹殺する攻撃的なナショナリズムに直結する。ジャーナリズムはそこを見定めてほしい。

 <よねやま・りさ> 1959年生まれ。トロント大学教授。専門は日米文化研究。著書に「暴力・戦争・リドレス」など。カナダ在住。

 <関連>

慰安婦問題合意の非民主性を見事に喝破したトロント大学教授・米山リサさん(天木直人)

 

 

 


乳児を抱いたオモニが《この子が学ぶ権利は?》と言うと、松井知事が吐き捨てるように《無い!》と

2016-01-14 14:57:51 | 差別 レイシスト カウンター
李相浩 リサンホさんFBより転載

昨日松井一郎大阪府知事の差別発言が許せなく、大阪府庁に電話をした。
写真byWikipedia

 

06-6941-0351
秘書課に回された。

:李と申しますが昨日府庁前で在日朝鮮人の方々が
朝鮮学校に補助金、無償化を求めるビラ配りをしていたところ、

松井一郎知事とでくわし、乳児を抱いたオモニが
《知事!この子に学ぶ権利は無いのでしょうか?》と言うと

知事が吐き捨てるように《無い!》と言われたそうですが
知事以前に人間としてあきませんよね!?

秘書課担当:そうなんですか。あきませんね。確認します。大阪府庁ホームページにも投稿できますがどうされますか?

:はい!勿論投稿してください。差別的な発言が許せませんのでどういう事か知事に確認して返事ください。

秘書課担当:わかりました。日にちはかかると思いますが必ず返答致します。

返事が来ましたら続き書かせて頂きます。

とことんやらせてもらいます( ̄□ ̄;)!!激怒。

「府政へのご意見」入力フォームは次の通りです。https://www.shinsei.pref.osaka.lg.jp/ers/input.do…