ハットウシャシュは初めて鉄を製造した民族として知られているヒッタイト人の
首都だった遺跡のある村です。1986年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
1906年に本格的な発掘が始まるにつれ粘土板などから
ヒッタイト人の首都ハットゥシャであることがわかりました。
紀元前1900年頃、ハットウシャシュを支配したのがインド・ヨーロッパ語族の
一派であるヒッタイト人でした。
彼らは町を破壊し一時は放棄したのですが、
紀元前1650年頃王ラバヌラ(ハットゥシリ1世)の時代に
再びこの地に舞い戻りここの自然の要塞という地の利に目をつけ
ヒッタイト帝国の首都としました。
紀元前530年にはメソポタミアのバビロニア王国を滅ぼし、
紀元前1285年にはラムセス2世のエジプト王国とシリアのカデシュで衝突し撃退しました。
大帝国を築いたヒッタイト人ですが、紀元前1190年頃地中海起源の民族混成集団といわれる
「海の民」により滅ぼされたと言われています。
遺跡は2つに分れており初期建に設された下の町、
スフィンクス門周辺は上の町と呼ばれています。
ヤズルカヤ
ハットゥシャシュの北東2km程の地点にトルコ語で碑文のある岩と言う意味の
ヤズルカヤ遺跡はあります。
ここはヒッタイト帝国ハットゥシャシュの神々を祭る屋外神殿で様々な儀式が行われていました。
その儀式の様子が岩に刻まれているレリーフからもわかります。
遺跡の中の花
遺跡から見たハットウシャシュの景色
静かな景色です
ヤズルカヤ
ハットゥシャシュ遺跡
城壁は復元されたもの
ヒッタイト人の首都ハットゥシャ
遺跡は2つに分れており初期建に設された下の町
上の町 ライオンの門
城壁
丘になったピラミッドのトンネルになった通路
丘になったピラミッドの階段はすごく急でした
ピラミッドの上からの景色
ピラミッドの上
城壁は復元されたものです