鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

33 花王の宴

2018-04-19 14:19:09 | 日記
---くれなゐを重ねて黒き牡丹かな---

中国の故事には牡丹の精の話がよく出てくる。
かの国では宮仕えに疲れて引退し、牡丹園の主になり詩作に耽るのが賢人の王道なのだ。
花の王、牡丹の精達と過ごすのが、士大夫の晩生の夢と言うものだ。
英国の知識人たちがローズガーデンに憧れるのも同じ事だろう。
我が探神院の荒庭にも牡丹を咲かせているが、あまり丹精していないので花精達の機嫌は悪そうだ。
私の本業の日本画では牡丹は主要な画題で毎年かなりのスケッチと写真が必要なのだが、近くに八幡宮の牡丹園があるので手入の行き届いた牡丹を見るならそちらへ行ってしまう。
なのでその分、うちでは敢えて荒れ果てた風情の牡丹が良いのだ。
---鉈朽ちる牡丹の園の奥深く---

で、我が家の座敷に牡丹を活け歌仙図屏風を巡らせて、行く春の吟行会を開いた。
今日の客は俳句結社の主宰達やベテラン揃いで選句眼も厳しい。
私も今や絵や句歌を教える立場になってしまったが、こういった実力者との吟行会は得難い喜びだ。
探神院の竹薮が、七賢人の竹林にさえ思えて来る。
鶯の鳴き真似で本家より上手い峨眉鳥の声や、石段を押しのけて出た筍も良い題材になってくれる。

(客に挨拶する筍)
芭蕉や子規の句座はせいぜい十人ほどだった。
そもそも大結社のような百人以上の句会など、隠者らしくない。
また少数精鋭の方が句の吟味も行き届く。

(選句中も鳴いていた庭の峨眉鳥)
句会の後は石段の筍を料理して楽しい酒宴だ。
世捨人の私にもこんな友人達がいて、惜春の一日を共にしてくれる。
言うまでも無く句会の順位は問うてはならぬ。
---金色の蕊を乱さず牡丹散る---
花精も我が句も、春を惜しみつつ散り去った。

©️甲士三郎