我が探神院の建つ地は、鎌倉時代の永福寺史蹟の僧房跡にあたる。
永福寺は源頼朝が幕府の鬼門(丑寅の方角)守護のために、四神相応の龍穴の地を選んで創建した壮麗な大寺院だった。
伽藍は15世紀初頭に焼失したが、龍穴の霊気は今も変わり無い筈だ。
この地の新緑は我が病眼にも格別の潤いを与えてくれる。
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(うっすらと朝霧のかかった我家の前山の新緑)
朝起きて窓を開ければ老鶯の長鳴きの声が山中に響き、煙霧湧き立てばいかにも神仙境の趣きとなる。
怪我で十日ほど見ない間に近所の躑躅と若楓が鮮やかに紅緑を競い、世界の色彩は晩春から初夏へとすっかり新しくなった。
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この龍脈通う谷戸は旧名を紅葉谷と言いその名の通り楓の木が多く、枝葉の形に品があり古い大和絵風の景を成す。
関東では植林の無い自然の雑木山は案外少ない。
---新緑の木々が塞ぎし楽園に 骨癒ゆるまで囚われむとす---
龍脈の効能か足の負傷も回復が速く、家の中の作業と自転車での買物はもう不自由しない。
端午の節句にコンビニで柏餅(私は血糖の呪いで食べられない)を買って来て、武者絵と菖蒲を飾って元気を取り戻そうと思う。
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(武者絵 菊池容斎 江戸時代 探神院蔵)
古伊万里の手桶花入に茶碗菓子器の青揃えは、爽やかな初夏の季感に合うだろう。
写真の構図がやや窮屈になったのは、怪我で文机を動かせなかったせいだ。
来週からはリハビリがてら徒歩の散歩も出来るだろうが、自粛警察の跋扈を避けてこの龍穴から外には出ない方が賢明か。
©️甲士三郎