「花鳥諷詠」とは風雅を表す「花鳥風月」をもじって、大正〜昭和初期に高浜虚子が使い出した言葉だ。
「花鳥諷詠」は当時流行の無季俳句に対して、虚子一派が掲げた伝統の季題を重視すべしとの提言であった。
もっとも川柳は昔から無季だし自由律は散文なら当たり前なので、私には当時の前衛の何が新しかったのかさえ良くわかっていない。
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(俳句の作りやう 高浜虚子 後ろは草田男茅舎青邨ら弟子達の句集)
私の俳句の師系は高浜虚子、山口青邨、有馬朗人と連なるので、これらの古書はあなや疎かには出来ない。
さて隠者に取って「花鳥諷詠」の最も良い所は、日々の暮しの中で積極的に自然の四季を味わうようになり、ひいては花鳥楽土での美しい人生を送れる事だ。
花鳥風月は日本画方面でも伝統的に最も重要なモチーフだったが、画壇では古臭いという理由で排除され今の団体展ではほとんど見られなくなっている。
私には俗世の俳壇画壇の動向はどうでも良い事だが、現代人の都会生活が自然から遠去かっている事は残念に思う。
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(高浜虚子句集 五百句 六百句)
人生の中での詩句歌や絵や写真などの諸芸は、折々の自然に親しみつつ己が精神を世界と同調させるのに適している。
まあ自然と同調しつつ良い句が出来なかった言い訳になるが、隠者は花鳥楽土での夢幻の暮しが目的なので詩画の制作はその為の手段に過ぎないと思っている。
という訳で今日も花鳥諷詠にふらつきに出た。
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ここも例によって大正〜昭和初期の渋い母屋が取り壊され、一部残った庭の植栽が荒れ果てながらも咲き競っている。
空き地に自生した紫色の諸葛菜は鎌倉の野辺によく見られる花で、100年前の虚子や鎌倉文士達の眼も楽しませた事だろう。
この楽土での我が理想の人生を考えれば、虚子のような句を目指すより虚子のような暮しを目指すのが吉だと思う。
©️甲士三郎