大正頃の鎌倉文士達の楽しい暮しを書いたなら、更にその100年前頃の京都の文人達の楽土を忘れてはいけない。
鴨河畔の山紫水明処を中心とした江戸後期、頼山陽、田能村竹田、浦上春琴、青木木米ら詩画人知識人達の友誼と交遊を思い起こしてみよう。
疫病禍の引き篭りでネットショッピングが最大の娯楽になり、先月も数千点の軸の中から山陽の詩画軸を見つけた。
(画軸 頼山陽 染付向付 田能村竹田筆 陶製観音像 青木木米 江戸後期)
画は鴨川縁の柳と山陽が築いた山紫水明処を自ら描いた、今は失われた楽土の貴重な記憶だ。
染付向付は竹田自筆の詩画で10客あり、手描きなのでみなちょっとづつ違うのが楽しい。
七絶の脇の「竹田生」の書体はもう頭に入っているので、知らずに売っていたのを見付けた時はほくそ笑んだ。
木米の観音は以前紹介した物。
茶杯は彼らが好んで集めていた唐物(清朝後期)の煎茶器で揃えた。
旧友3人が再会できて、さぞ喜んでいるだろう。
この隠者も彼らの楽園に混ぜて貰って、夢幻の詩書画を語り合いたい。
私は漢詩はやや不得手なので、次は竹田の和文を見よう。
(田能村竹田書 部分 江戸後期)
これも最近ネットオークションで見つけた軸でまだ数カ所読めない字があるものの、全体の美しさは十分に鑑賞できる。
古美術品はコロナ禍で老舗旅館や高級料亭が続々と手放していると聞くが、屏風や軸装の書画は現代の住宅事情に合わないのか業者も捨て値で扱っている。
売主には気の毒に思うが良い物を入手するには100年に1度のビッグチャンス到来だ。
絵はまだしも見ればわかるが、書は読めない事には話にならない。
特に漢詩の草書に近いのはお手上げだ。
そこで活字で解説してある本が必要になる。
唐詩や古詩は多少わかるが江戸漢詩には無感心だったので勉強を始めた。
中村真一郎は仏文の人だと思ったがこの本はどうだろうか。
江戸漢詩は古い句友の日原傳氏の専門なので聞きたかったが、疫病禍もあり有馬朗人先生の没後も暫く会っていない。
他にも福永法弘氏、西村我尼吾氏始め文芸を語り合っていた風雅の友を想えば、師も我々も若かった頃の東大周辺もまた貴重な楽土だった。
この隠者もまた、楽園を喪失した人類の1人だったようだ。
©️甲士三郎