我家の今ある荒庭を作ったのは明治〜大正頃にここに住んでいた何処かの校長をしていた人で、典型的な文人趣味の庭だった。
庭木は松竹梅に棕櫚、芭蕉、梧桐などが特有の配置で並んでいたのを私が手を入れて、現在の荒廃振りに至る。
文人趣味の中でも最も不可思議なのが愛石だ。
その代表的は太湖石と言う穴だらけの奇岩で、中国風の庭園にはなくてはならない物だ。
(蘭石画賛 貫名崧翁)
我家にもひとつ伝来の奇石があるが、軒端に転がしてあるのを今後はもう少し大事にしよう。
蘭は春なので代わりに露草とその石を崧翁の軸と並べてみたがどうだろう。
石が大地の気の象徴だと言うのはわかるが、奇岩ほど偉いと言う点が理解し難い。
江戸後期に始まる煎茶が当代知識階級の中国文化への憧れと相まって、いわゆる文人趣味が形作られていった。
(茶器画賛 田能村竹田 織部急須 幕末〜明治)
この夏の大放出で入手した大雅や竹田の書画を飾り、古い茶器で煎茶を淹れ自ずと詩句を案じる時の幸福感は格別だ。
自分も古の文人達の仲間入りした気になれる。
昔の良い急須は立つと言うのを実演してみた。
文人趣味の庭は現代人には理解し難い部分も多く、桜や紅葉などの繊細な枝振りに比べると棕櫚蘇轍梧桐などの電柱のような幹は如何にも間の抜けた樹形である。
これらは江戸前期までの日本の美意識には到底入って来ない色形なのだが、その茫洋としたところに禅の大愚のような意を感じられるかも知れない。
古画に棕櫚や芭蕉の大葉を敷いてその上で昼寝する絵がある。
また松尾芭蕉の号なども深い想いが籠っているのだろうが、あの芸の無い木偶の棒のような植物を愛でるにはこの隠者も修行がまだ足りないと思う。
©️甲士三郎