秋の夜長はアンティークの灯火器で過ぎ去りし日々のノスタルジーに浸るのに最適な時だ。
鎌倉で真っ先に紅葉するのは桜の葉で、色付くとすぐに散ってしまう。
その桜落葉を拾って来て卓上に敷き詰め、秋暮の灯の風情に浸ろう。
(風物誌 郷愁 稚心 初版 滝井耕作 カンテラ 昭和中期)
桜の紅葉は一枚の葉が大きく色彩の変化も多彩なので、楓の紅葉よりも描きがいがある。
朽ちかけた木の枡に落葉と小振りの林檎を入れて、昔スケッチ旅行に通った信州の田園の雰囲気にしてみた。
灯火器は旅行にも持って行った小型のカンテラ。
秋の陽は釣瓶落としで夢中になってスケッチしていると、いつの間にか山中や田畑の畦で暗くなってしまい、そんな時にこの小さなカンテラがあると心強かった。
当時の懐中電灯より軽いので旅に適していた上に、何と言っても昔の旅人の気分に浸れるのが良かった。
折角手間を掛けて綺麗な桜紅葉を敷いたので、もう一枚の写真も同じ設定を使おう。
(竪琴のサッフォー ギュスターブ・モロー 瀬戸珈琲器 ランプ 昭和前期)
先月の鎌倉宮の骨董市で入手したアンティークのランプは、19世紀のモローの銅版画を眺めるのにぴったりだった。
このアールヌーボー調のシェードの燈下なら、古代ギリシャのアルカディアの秋の野に詩神サッフォーが奏でる竪琴の音色も聴こえて来よう。
ここでお気に入りの郷愁の詩の一編でも思い浮かべれば、秋の夜長の珈琲も格別の味わいになるだろう。
古画は古き灯火で見ると一層その時代の心情に近付ける。
(菊酒画讃 田能村竹田 古唐津徳利盃 江戸時代 オイルランタン 大正時代)
古書画の軸はいつもは蝋燭の灯で見るのだが、このランタンは提灯のような形が案外和風に見えて面白い。
元は灯油のランタンだった物を電球が使えるように改造してあり、あえてガラスの油煤の汚れや錆を取っていない所が気が利いている。
菊酒の画讃は江戸時代の文人達の秋の詩宴の座興らしく、滑稽な戯れ句でも高雅な書体で書いてしまうのが竹田らしい。
この絵を古びた光の中の酔眼で見るならば、古の文人達のように菊慈童の伝説を幻視するのも容易く思える。
今週は秋麗の日が続いたが、こんな日和は多くても年間で10日有るか無いかだろう。
諸賢も数少なくなった秋の好日を、精々心して楽しんで頂きたい。
©️甲士三郎