鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

318浪漫主義者の古机

2023-10-12 12:58:00 | 日記

一年のうちで珈琲が最も美味しく思えるのは秋の深まる頃だと思う。

この時期の暖かい珈琲には、草臥れた老体に活力が染み込んで来るような滋味がある。

抹茶を飲んでも活力と言う感じはしないので、暖かさ以上に甘さが重要なのだろう。

もっとも私が口に出来るのはカロリーゼロの甘味料だけだが。


そのような珈琲を最も楽しめる場所は擦り減った古机の上だ。



(珈琲碗 フランス 皿 角鉢 イギリス 1900年前後)

和風の文机でも洋風でも構わないが、とにかく古びた木の机が良い。

写真は英国製のサイドシェルが付いた20世紀初頭のライティングデスクで、古書と珈琲を楽しむには最適だろう。

英国アンティークも1900年前後のカップ&ソーサーならそれほど高価ではない。

このデスクで英国浪漫派の古詩を眺めつつ暖かい珈琲を味わうのは、秋の夜の隠者には至福の時だ。

私にも一粒だけなら食べられる糖質オフのチョコレートが何ともいじましい。


文机の上に古いアールヌーボー調のランプを置けば、簡単に大正昭和初期の雰囲気が出る。



(純正詩論 初版 萩原朔太郎 珈琲器 浜田庄司 ランプ 昭和前期)

本は萩原朔太郎の「純正詩論」初版。

この本を読むと朔太郎がいかに西洋と東洋の狭間で苦悩していたかが伝わってくるが、素直に和洋折衷様式の暮らしを目指せばどうと言う事も無かったろうに。

当時の詩壇の状況では完全な洋風化を求められたのだろうか。

朔太郎はその後昭和18年に「日本への回帰」を出し、また盟友の室生犀星も詩からの引退と俳句への帰順を表明している。

俳句短歌と同じように詩も日常の生活の中から生まれて来る物だから、身辺の自然や衣食住からして和の伝統を拭い去れなかったのは無理もない事だ。


109日は明治大正の大詩人薄田泣菫の命日だった。



(猫の微笑 初版 薄田泣菫 珈琲碗皿 大正時代)

泣菫の晩年はもっぱら随筆の名手として活躍し、「茶話」始め数々の随筆集がある。

身の回りの小さな自然観賞に鋭さがあり、その豊富な知識から来る語り口の多彩さは読者を飽きさせないので、私もいつの間にかその全ての初版本を集めてしまった。

写真の珈琲碗皿は明治〜大正頃の輸出用の古伊万里で、和室で色絵磁器を使うならこれ以外ないと思う。

裏山で拾ってきた落栗と鞘豆も、薄田泣菫ならきっと恰好の随筆の材料になった事だろう。


今週は秋らしく爽やかな日が続いた。

隠者はもう秋が来たと言うだけで他には何も要らないほど満足だ。

体調も気分も89月とは段違いに良く、近所の小菊の散歩路が別天地に思える。

ーーー老嬢は小菊の路地に消え入りぬーーー


©️甲士三郎



最新の画像もっと見る