歌学は20世紀の物質主義的な諸学問とは全く別の、夢幻世界への道標となり得る古人の叡智だ。
少し理解が進むだけでも和歌がより深く楽しめるようになって来る。
大体の歌学書は過去の歌論や歌評ほか雑多な和歌にまつわる記述を集めた物で、先週の佐々木信綱の「日本歌学史」に続き「日本歌学大系」全10巻はその中では最も秩序立てられた大著だ。
(日本歌学大系 佐々木信綱 衣通姫絵姿 室町時代 古丹波壺 江戸時代)
ここには古人達の和歌に関するありとあらゆる著述が集められている。
それでも佐々木信綱自身の詠歌は、惜しむらくは中世歌道の深奥である幽玄までは到達しなかったようだ。
信綱も当時を代表する立派な歌人だったが、その高雅な歌集にも幽玄体や麗様の歌はあまり見られない。
江戸時代以降の一般大衆に広まって行った和歌では、幽玄体は解釈が難しいと敬遠されて行ったのだ。
今後の隠者の残生はそんな中世歌学の深淵を探って行くのが面白そうだ。
先週紹介した香川景樹の歌軸を飾り、私も同じ詠題で時を超えた歌合わせをやってみた。
(直筆歌軸 香川景樹 江戸時代)
詠題は春日、副題に春月と山家。
景樹の軸の一首目は
「我が宿のおぼろ月夜のあたら夜は 花見がてらに訪ふ人もなし」
私の一首
「古歌に知る花はまぼろし世に隠れ 霞の奥の山家にぞ咲け」
古人との歌合わせなど、如何にも隠者らしくて面白いのではないか。
こう言う時身近に気の利いた選者評者が居ないのが残念だ。
今週もまだ寒い日が続いて鶯もあまり鳴かず、桜の花芽の膨らみも止まってしまった。
(木彫猫神像 江戸時代)
我家の猫神様は暖かな春野が待ちきれずたびたび連れ出しているのだが、陽当たりの良い路傍には小さな菫の花も群れ咲いていた。
これが日本古来の菫草で、よく街で見る三色菫は西洋種である。
古歌や古句に詠まれた菫はこの小さな紫花の方だ。
最近作っていなかった俳句もたまには詠んでおこう。
ーーー神像は小(ち)さく菫はより小さくーーー
この分では鎌倉の桜の見頃は彼岸以降になりそうだ。
まあ読む本は沢山溜まっているから、春がゆっくり進むのは喜ぶべきだろう。
©️甲士三郎