鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

16 花喰う獣

2018-01-19 06:44:58 | 日記
---隠国(こもりく)の花芽を喰らふ猿(ましら)かな---
昔吉野の奥山で見た光景である。
春窮と言って春先は鳥獣達にとって食料が乏しく苦しい時期なのだ。
木の芽花の芽は数少ない栄養源だろう。
隠国は昔京の都から逃げた人達が初瀬や吉野に隠棲した事から、世捨人の住む場所を指す言葉になった。
本来は初瀬の枕詞だが、我が鎌倉の山中も東京から見れば隠国と言えるだろう。

---鶯の足蹴に散らす蕾かな---
鶯は花の蜜を吸っているのだが、花を丸ごと喰う鳥もいる。
啓蟄は過ぎたといってもまだまだ食える虫は少ない。
枕頭の鶯の囀りに目を覚ますのは私には悦楽だが、都会の知人を泊めるとうるさいと文句を言う。
この無菌培養の亜人間め!
我が探神院のある辺りは、吾妻鏡によると歌人将軍源実朝公が鶯を聴きに度々訪われた場所らしい。
近年は峨眉鳥が棲みつき、鶯を上手く真似て鳴く。
真似ると言うより、本家よりはるかに上手い。
実朝公が聴かれたらさぞお喜びだろう。
隠者にとっては美しき福音だ。

---碑(いしぶみ)に眠る詩文や百千鳥(ももちどり)---
百千鳥とは色々な鳥達が舞い唄う様子の事。
伝説の鳥と言う説もあり、古今伝授の三鳥のひとつ。
鎌倉にはやたらあちこちに苔むした石碑があるが、誰も読まない。
石碑なんて元々そんな物だ。
詩を葬るには良いだろう。
さすがに石碑に腰掛ける人は見ないが、もし私の碑が出来たら腰掛けて休んで欲しい。
崩れた遺跡のなかに自分の句歌が埋まっているなんてファンタジックだ。
隠国は花鳥の楽園、隠者の楽土である。

©️甲士三郎

15 東風の巫女

2018-01-18 10:35:42 | 日記
---春を待つ巫女の息の緒白く冷え 梅の蕾は花より紅し---

荏柄天神社の紅梅
「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」菅原道真
東風(こち)は東南から吹く春風。本来の天神道真は雷のたたり神。

上記の私の歌はひと昔の歌壇では禁じ手であった。
意識が古い!平安調の歌など断じて認めない!
現代人の都会の最新の不条理の存在の根源の苦し………を詠め!!
まあ、二十世紀は物質文明的な進歩発展が脅迫概念となっていたんだ。
芭蕉の言う「不易流行」は、変らぬ物と変りゆく物を見分ける事だ。
自然や人の心がたかが千年でどれだけ進化した?
よろしい、では五十年前くらいの調子でやってみよう。
---春を待つ猫一匹と老画家の 小さな家の大きな時計---
次は今風。
---iPhone でみな違う曲聞きながら 一人春待つ音の結界---
平安調とは大時計とiPhoneが違うだけで、待春の心情にそう変りは無い。
どうじゃ、隠者は時を超越するんじゃよ。

「天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」僧正遍照
この古歌の詞(ことば)の華麗さは日本文芸史上類を見ない。
遍照は深草少将だったと言う説も有力で、小野小町との百夜通いの恋物語も今に残る。
百人一首の僧形の絵では「坊さんが美少女を詠むなよ!」と思いがちだが、絶世の美男子深草少将なら許す。
この歌の乙女は五節の舞人(貴族の美少女)と天女のダブルイメージだが、多くの場合は乙女と言えば巫女をさす。
巫女や斎宮はいわゆる神の花嫁なので、当然恋を禁じられていた。
この事だって十分、不条理の存在の根源の苦し………だろうに。
---鶴ケ岡八幡宮の東風の巫女 階(きざはし)高く息を整へ---
(自解)春風が吹けば鶴は北に帰る。巫女は若々しく石段を駈上り…(以下略)
そうじゃ、歌人は虚実の狭間に住んどるのじゃ。

昔も今も変わらぬ梅の花に、現(うつつ)の巫女と夢の乙女を重ねる。
春風の鎌倉に来たら、皆もそんな感じで楽しんで欲しい。

©️甲士三郎

14 隠者の茶飯事

2018-01-16 07:04:05 | 日記
問題は喫茶にある。
まずは抹茶。
味自体は好きだし茶碗も揃っているが、例によって作法がうるさい。
隠者流胡座手前を嘲笑する客には、缶ビールを缶のまま出すが吉。
煎茶の湯呑みも集まったが、コーヒー紅茶の器には困った。
把手が付いた形は、出っ張りが余分で不完全な姿に見え落ち着かないのだ。
初代仮面ライダーの珈琲道は抹茶碗に茶筅で泡立てていた。
私もコーヒーは抹茶碗派だ。

黒織部沓茶碗 江戸時代 (カフェラテ) 古瀬戸の猿

歌人俳人達の酒好きには呆れる。
李白、白楽天の頃からの伝統だと偉ぶっている。
私は体調もあって量より質、量より酒器に凝る方だ。
酒器は古今東西良い物が沢山あって楽に選べる。
必要なのは徳利とぐい呑に、肴の小皿だ。
小盆に纏めるのが隠者流。

古唐津徳利 李朝ぐい呑 古九谷絵皿
詩画仙達に供する酒量は断固二合迄!
さもなくば清談どころか、狂乱の宴と化す。

我が一族の旧主、神君家康公は御自ら色々な湯づけを工夫された。
湯づけは身が温まり器一つで短時間でかっ込めるので、戦場食に適していた。
公は普段でも精々一汁三菜で過食を戒め、養生訓も遺している。
隠者の飲食(おんじき)も質素を旨とし、糖質を制限する。
現代の美食飽食の中では、逆に簡素な膳の方に精神美がある気がする。

墨客達を呼んだ詩文の宴は、正に仙境やミューズの楽園に遊ぶ趣がある。
若い頃の悪い遊びにも飽きた大人達の、精神の遊楽だ。
下の書はそんな折にいただいた物。

水内慶太作 俳句色紙 春暁の鏡の中に帰る衣
(朝帰りか?)

©️甲士三郎

13 美神の祭壇

2018-01-15 06:26:17 | 日記
---後の世に恋歌遺しうち臥せる 天つ乙女の絵姿愛(かな)し---

衣通姫(そとおりひめ)絵姿 室町時代 探神院蔵
柿右衛門徳利に榊 蒟醤香合
(衣通姫は本朝三美人の一人、禁断の恋のヒロイン、和歌の女神)

信仰心が無くとも、誰しもが何かに祈る事はある。
この幸薄き姫には無心の祈りを捧げたくなる。
美しき歌の女神のために、私だけの秘密の祭壇を作ろう。
現世利益の俗っぽい祈祷などはその辺の寺社にやらせておけ。
せめて我が女神は純粋無垢であって欲しい。
誰にも汚させは・・・・・
かくして人は女神の虜となる。

無宗教の人でも何かしら魂の拠り所は欲しい。
家宝、座右の書、尊敬する人の品、アイドル画像でも…まあ良いか。
そういった物に添えて花を飾れば則ち儀式となる。
儀式によって魂が籠り、祈りによって神が宿る。
聖なる自分だけの御神体、あるいはアーティファクトだ。
我が国は八百万も神々がいるから少し増えても誰も咎めないだろう。
壁際でも卓上でも本棚の一部でも良いので御神体を安置し、まず灯明を置く。
あとは供物、礼拝、祭、秘儀、好きに親しめば良い。
ほんの少しでも、スピリチュアルなものが生活に加わるだろう。

ヴァルキリー(戦の女神) フィギュア
厨子 江戸時代 野の花 灯明
---悴むや神前の燭ほそぼそと---
仏壇や神棚がある人はそれで構わない。
ただし他の仏教国では先祖供養や葬式仏教は鬼拝と言って、今では死者を崇めるオカルト扱いだ。
祖先崇拝はどちらかと言えば儒教の風習である。
釈迦に墓は無いし、輪廻転生、解脱、いずれの場合も祖先の魂は仏壇にはいない。
祖先よりも神仏に対する真摯な信仰心無しでは、己が魂は浄化しないだろう。
昔から何かを飾ったり祀ったり、行事祭事全てに対応できたのは床の間だ。
生活様式の洋風化で床の間が消え、家庭から儀式や行事が消え、人から高貴さ厳粛さが消えた。
皆さんも正月くらいは精神性の高い物を飾って欲しい。

高浜虚子短冊 東山静かに羽子の舞ひ落る(句集では落ちる) 探神院蔵
正月飾り(安物) 李朝燭台

©️甲士三郎

11 甲士三郎短歌集「寂光幻獣界」

2018-01-12 08:17:33 | 日記
初学から2017年までの自選30首、所謂閑居の具にて。

今生の恋歌ひとつ詠めざれば 哀獣身と化して絶唱
花篝崩れて火の粉舞ひ昇り 散り行く花の刹那を照らす
西行を埋めし桜は千歳経て 半身朽ちたる鬼木となれり
桜坂花散り止まぬ夕暮は 駆け抜け過去へ泣きに行くべし
背に翼生えたる人は哀れにも うつ伏せにしか夢を見られず
胡蝶には風強過ぎる神域に 舞ふや黒髪巫女の身を打つ
幼子を花の盛りに手放せば 朧の中に育つ桜桃
目覚めよと目蓋を透けて春日さす 夢の桜を探す旅の途
もう何も起こらぬ所水底は 冷たく保つ花の白妙
鎌倉の古き天地に咲き出でて 額紫陽花は仮の世の色
何度でもラストシーンの寸前で 巻き戻すんだ終わっちゃ嫌だ
長髪を橋から垂らす淋しさに あやめの川は常夜へ注ぐ
瑠璃蝶の去りたる窓の明りにて 幻ばかり描く老画家
転調の後の歌詞無きソプラノは 無明へ放つ概念兵器
近づくな瀬音はすれどよく見えぬ 蛍の川を闇の流るる
朝顔の蔓が虚空を掴みをる 平均的な日本の田舎
老い痩せて白服着れば軽々と 風を纏ひて去りゆく詩人
薔薇喰ふて己が腸浄めんと 願ひ愚かに亜人間我
思ひ知れ月星も無き短夜の 猫神様の金光の眼を
とぼとぼと嘘つきの子の影長く かなかなの声天を覆へり
乙女達恋に堕ちるが怖ければ 桔梗の深き蒼さに耐えよ
酔どれの言葉拙き猩々は おーんおーんとただ泣く獣
老画家よ病癒えれば街に出て 世界の色を塗り替へるべし
鎌倉の鬼門を塞ぐ山裂けて 紅葉燃立つ谷戸となりけり
輝ける露の玉ほぼ一個分 舐めたる虫の又鳴きに行く
金色の銀杏を散らす銀色の 雨が降る街学生時代
猫に見え人には見えぬ径ありて 獣人達の月狂の古都
枯園の女神の像に薄日さし 今年最後の蝶が息づく
年一度雪の夜にだけ現れる 我が少年の頃の街の灯
還暦の赤を纏へば武士の 緋縅鎧怖いもの無し

小野小町図 土佐派 江戸時代 探神院蔵

©️甲士三郎