鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

10 甲士三郎俳句集「妙音叙情境」

2018-01-12 05:21:11 | 日記
初学から2017年までの厳選30句、ご笑覧あれ。

狂ほしや過去の桜が散りやまぬ
花屑の逆巻く水の底の穴
麗らかな大きな雲の下の郷
初蝶のまはりの春のまだ静か
蒲公英やこんな画家でも住める町
隙間から猫の手が出る遅日かな
吹き荒ぶ異形の山の古巣かな
くれなゐを重ねて黒き牡丹かな
仮の世の東をどりは昼も夜も
黒蝶が眠りの粉を撒きし古都
星祭街から猫の消えてをり
時満ちて沙羅の落花の透き通る
奈落から風吹いて来る蛍橋
音もなく遠き月下の花火かな
空蝉を貫く朝の光かな
裏山で化鳥の呼ばふ三尺寝
天高し常滑壺の口ぽかん
かなかなやみそひともじのぬれてをり
光ごと月を抱きてうねる雲
月光が鉄路を磨く旅の果
濡れそぼつ鬼より赤き紅葉かな
千本の竹の打ち合ふ荒月夜
廃園に蝶の息づく薄日かな
夜と朝の間に灯る霧の町
賢治なら星蒔くやうに麦を蒔く
光降る枯木の中の涸泉
雪ばかり見るから鹿の眼は綺麗
白鳥を追ふ白鳥の長き水尾
雪国の底なす蒼き流れかな
牛頭の浪馬頭の巌初明りかな

惜春観音図 甲士三郎

©️甲士三郎

9 獣身の歌人

2018-01-10 22:15:05 | 日記
---今生の恋歌ひとつ詠めざれば 哀獣身と化して絶唱---

祈 下図 甲士三郎

できれば若いうちに恋の歌や句の佳作ひとつくらいは欲しい。
もし女流作家ならなおさらだろう。
出来ねば口きけぬ獣に堕つべし。
「全ての芸術は永遠の青春を夢見る」
誰の言葉だったか忘れたが、その通りだ。

だが獣身に堕ちても歌人はまだ足掻ける。
---薔薇喰ふて己が腸(はらわた)浄めむと 願ひ愚かに亜人間我---
短歌においては中庸、中途半端は良く無い。
短歌は「言ひ切れ」俳句は「言ひおほせて何やある」だ。
中途半端よりは堕ちる所まで堕ちた方が肝が据わる。

---猫に見え人には見えぬ径ありて 獣人達の月狂の古都---
鎌倉は谷戸に入り組んだ細い道が多く、猫を追って月夜に迷うのも楽しい。

---月夜野の桔梗竜胆露草と 肺の中まで蒼き犬神(フェンリル)---
例の神話的御都合主義をかましてみた。
調子に乗ってもう一首。
---背に翼生えたる人は哀れにも うつ伏せにしか夢を見られず---
何と批判されようと、人間やめた哀獣の身だから聞く耳持たぬ。

短歌は俳句や他の定型詩に比べ柔軟性があり自由度は案外高い。
和歌は和語(やまとことば)の縛りがあってやや難しくなるが、言霊は籠る。
---黒髪を橋から垂らす淋しさに あやめの川は常夜(とこよ)へ注ぐ---
こんな感じ。漢語を使わず、もちろん文語体。
短歌は結社誌でもネットでもいろいろあるので、心ある日本人なら一度はやってみよう。
日本の隠者の始祖、西行の歌は分かり易いと言うか気持ちが伝わり易い。
伝記を読むと当時としてはかなりの自由人(自分勝手?)だったようだ。
現代隠者としては、そこだけでも見習いたい。
もう少し私の普通の歌を見たいと言う奇特な方は、当ブログ「11 甲士三郎短歌集」へ。

©️甲士三郎

8 思索入門

2018-01-10 19:57:42 | 日記
物質主義全盛の20世紀で、宗教はかなり衰退した。
で、生き残ったのは拝金。
また哲学方面もプラグマティズム、マテリアリズムなんて、つまりは「世界は弱肉強食だ」と言う事で行き詰まってしまった。
「力こそパワー」の方が余程気が利いている。
ポップ哲学もまあ・・・。
哲学よりはまだ宗教の方が役に立つので復興する余地はあるが、こんな時こそ隠者の出番だろう。
隠者の得意技、「思索に耽る」だ。

思索はぼーっと何かを想っていれば良いので、ちゃんとした思考とは全然違う。
どちらかと言えば思考より瞑想に近い。
ただ耽っていれば良く、何かの結論も出さなくていい。
どうせ千変万化する世界に結論なんて無いのだ。
これなら楽だし、誰にでも出来るだろう。
思索に耽っていれば、最低限見た目だけは知的な雰囲気は出る。
初心者はそれらしいポーズとノート、高級ペンなどの小道具をお忘れなく。
服装は隠者装束までしなくて良いが、ビジネススーツは厳禁。

今世紀の映画やゲームでは神話世界が生き生きと復活していて嬉しい。
特にライトノベルの神話的御都合主義は、もはや科学文明を超えて世界最先端だろう。
多くのファンに受け入れられているのが頼もしい。
神話的御都合主義って言葉だけでも強力で、あらゆる批判を笑いながら蹴散らせそうだ。
歴史的に「芸術は学問に先んじる」「市場は経済学に先んじる」と言う原則があって、まず作品があり客がいて最後にそれを分析する学者が出て来る。
学者は後出しジャンケンみたいで狡いな。
だから思索家は学者ではなく芸術家や予言者であるべきなのだ。
知識より感覚、検証より先見と言った方が分かり易いか。

と、益体も無い事をつらつら想うのが思索である。
最後に上級編として、散歩でもしながらもう少し隠者っぽい思索をしてみよう。

隠者は自分勝手なので世界の危機は背負わない。
せいぜいゴッホのように美しく明るい世界を眼裏に描きながら、とぼとぼ彷徨く。
森羅万象、虚実皮膜の中で孤高にぼーっとするのが隠者の奥伝である。

©️甲士三郎

7 旅情の詩歌

2018-01-09 12:29:54 | 日記

凍雪松島図 甲士三郎

---雪国の底なす蒼き流れかな---(千曲川にて)
断じて温泉グルメに旅情は無い。
小諸なる古城の寂寥感も、遊子哀しむべき何物も無い。
旅情も哀愁も味わえない旅は詰まる所心貧しい。
私の旅のほとんどは画技詩文の取材なので、一人淋しく各地をふらつく。
極力質素で極力孤独な旅こそが、最も旅情を楽しめる。
西行、芭蕉の旅の辛さを想えば分かるだろう。

我が家は将軍家直参旗本の家系で、今だに戦場訓を教える。
その一つに、食べ物の美味い不味いを言ってはならぬ、がある。
戦場の兵糧に不満では十分な戦働きが出来ないからだ。
美食の現代日本では異端の教えとさえ言える。
---お握りが転がってゆく春の城---
戦場なら当然拾って食べる。
隠者もまた常在戦場だ。

桜の取材旅行はほぼ毎年行く。
---目覚めよと目蓋を透けて春日差す 夢の桜を探す旅の途---
---老いし眼で夢幻の花を探す秘儀---
どちらでもお好きな方で。

旅の宿や車中では詩句の草稿を練ったりスケッチの仕上げをしている。
寝る前には地図を見ながら明日の天気次第でどこへ行くか決める。
例えば法隆寺なら直接法隆寺には行かず、田畑を近景に塔を眺められる場所を周囲で探すのだ。
畦道に春なら菜の花、秋なら芒でもあれば申し分無い。
写真家には太陽や月の光線の角度も大事だろう。
こうして我々は一木一草を求めて山河をさまよい歩く事になる。
絵や詩歌の題材を探してぶらぶらしている時間は本当に楽しい。
月があれば夕食後までぶらつく。
荒寥とした夜景も絵や詩の題材にはとても良いのだ。

---月光が鉄路を磨く旅の果---

©️甲士三郎

6 隠者の装束

2018-01-09 08:45:34 | 日記

日本の隠者と言えば世捨て人の事。
その格好は西行、鴨長明などは狩衣か僧形で、江戸期なら筒袖に野袴だろう。
私だって和服も袴も結構持っているのだが、作法に煩いのが馬鹿らしい。
昔は農作業も普請も和服だから、汚れてよれよれでも良かった。
ましてや武家や公家には正座は無かった。
あれは幕末明治頃からの下々の悪しき因習にすぎない。
武将や征夷大将軍が正座などするか!
明治大正の鎌倉文士達だってよれよれで帯を引き摺っていたらしい。
きちんとお作法の出来ない私の和装は家中に限られる。
従って外での隠者装束は洋風にせざるを得ない。

隠者(ハーミット)のタロットカード
ハーミットはフード付きのローブにカンテラと杖が標準装備だ。

杖はもっと歳をとったら持つ予定。
カンテラはiPadで代用。
フード付きのコートはレザー、コットン、リネンと四季揃えた。
電車に乗る時はちょっと大人しめに、フード無しでハンチング帽だ。
靴はレザーブーツで良いだろう。
いずれもダメージ加工の物。
旅塵にまみれ歴戦を乗り越えて来た風情が肝要である。
ショルダーバッグもアンティークの擦り切れたのを選んだ。
中に小型スケッチセット、愛用のオリンパス ペンF、iPadは常に入れて行く。

こんな感じで、周囲の人達に少しでも自由さや面白さを分けてあげられれば幸いだ。
---飛べる程大きなマント老教師---

ねずみ男風の怪しい隠者

©️甲士三郎