日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

同窓会へのお誘い

2006年03月02日 20時04分04秒 | 残日録
同窓会への案内が2通きました。某市の市立高校の同窓会は、学年同窓会ですが、級友は300人。出席者は、日帰り旅行で40人程度、ハイキングでも同程度でした。先ごろのホテルでのものは70人もの出席者があったそうです。そうですと言うのは、出席できなかったからです。ハイキングは、「天滝」、「広峰」に参加。近江「水郷めぐり」にも行きました。
今回の案内は、「みんないっしょに六甲・有馬へ行こう」と題して、ハイキングのお誘いでした。(六甲山を2時間程度歩くようです)歩けない(歩きたくない人)は、そのままバス乗車で有馬温泉へとの誘いでした。【何かの間違いかのような料金で3千円とありました。貸切バス料金+昼食代も含んで】もちろん歩きたいですが、正月前の山歩きで両足の親指を突いて、紫に変色、そして、爪が脱落、だだ今生え変わり中とは情けない。小さい爪が伸び始めて食い込んできたりする返事はメール、FAX、電話とあります。近代的で~す。

もう一通のは、中学校のクラス同窓会(1年4組はそのまま3年間一緒でした。級友は45人もいました)のお誘いでした。いつも「飲み会」のような同窓会なので、出席したことはありません。なにしろ腰痛もちで(長時間座るという同じ姿勢は、なにかの拍子にギックリ腰になり動けなくなりやすい)、酒も飲めないという惨めさです。(自宅では少し好きな酒、ワインは嗜みます)ただ、こちらのお誘いには、先生(当然3年間の受け持ち教諭)が出席されると書いてありました。懐かしいで~す。私の歳から考えても、ご高齢になられたと思いますので、今回は会いたい気持ちに揺り動かされています。ど~しようかな~。【11時30分~15時、1万円】お誘いは往復ハガキで送られてきましたので、その復信でとオーソドックスなものです。※ 【その中学校は、もうなくなっている。校名も残っていない。行政区域の異なる町村が、学校組合を作って運営する特殊な形態の学校でした】

どちらも、4月中の接近した日にちなんですが、・・・・。返事については、3月中旬までと、迫ってきますし・・・。

嗚呼!出処進退

2006年03月02日 10時13分57秒 | 気まま日記
永田寿康衆議院議員は、なにか勘違いしていますよ。
【永田寿康 1969/09/02 愛知県名古屋市生まれ。1988 慶応義塾志木高校卒業。1993 東京大学工学部卒業、大蔵省(現財務省)入省。1995 たった2年でカリフォルニア大学MBA課程に官費留学。1999 大蔵省退職。2000 衆議院議員当選。2003 衆議院議員小選挙区(千葉2区)当選。2005 衆議院議員千葉2区落選、南関東ブロック比例復活。】
誰もあなたに期待していません。雑魚のような我々サラリーマンでも出処進退は知っています。民主党首脳にもあきれ返っています。これでは、大事な、偽装問題や米国産牛肉など何があったのか、庶民の食の安全はどうなるのか、追及どころか予算は素通りです。永田議員に首を預けられた鳩山某も記者会見に同席しながら、発言の暴走を止めもしなかった。さっさと首を切るべきだったんです。永田自身もその方が復活の目は大きいと思えますのに。(小選挙区で落選の比例復活代表は、半分以上死に体でしょう。(次の比例候補に席を譲って下さい))
こんなに、辞職のタイミングを次々に自ら失うとは。
【永田氏は、政治家希望の東大生へ向けたインタビューで
現在の状況を予見していたかのような興味深い発言を連発している。
「日本をどういうふうにしたいか」との問いに
「今の日本というのは、責任をとらないような国になってしまった」
「僕とか民主党が目指している社会ってのは、失敗した人が責任を取るっていう社会なんですよ」
などと、責任を取ることの重要性を力説。したこともあるんですのにねえ。】
「やはり、言うことと、することとは、違うんでしょうか」
これでは、我々庶民が冗談でうらやましがる「笑って済ませ自分の失敗、厳しく追及他人の失敗」以下でしょうね。
速やかに辞表を提出しましょうね。