日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

固寧倉(こねいそう)に行く

2006年06月02日 19時07分15秒 | 気まま日記
疲れました。
姫路藩の莫大な借財対策と同時に飢饉対策としての「固寧倉」は、藩の存続をも賭けた大事業でした。最大2000人に対して1つの倉を設置しましたので、288ヶ所も設けました。
その固寧倉を訪ねましたが、江戸時代の道路は、車力(しゃりき、木製の車輪に鉄の外輪薄板をはめた荷車)が、やっと通れる程度の道幅なので、探すのに2~3回も聞きながらのものでした。駐車出来る場所が相当遠いので、人がやっと歩ける道幅の道を行ったりしないといけないので、同じ場所に出たり大変でした。
全くの新築だったりして、江戸時代の部品(戸や金具、石垣)があるのかどうか、写真に撮った。3ヶ所(妻鹿、白浜、東山)がやっとでした。
姫路藩の勢力の及んでいた神崎郡にまで行かなければならない。8ヶ所が現存しているとのことで、写真だけでも3日間掛かるでしょう。
「姫路城の秘密Ⅱ」に貼り付けるまでには、まだ日数がかかるでしょう。