gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

The Golden Bough

2009-11-06 07:57:52 | 禁断の書物

イメージ 1


イメージ 2


「原始的な呪術が宗教となり、やがて科学に取って代わられる過程にメスを入れたアニミズム、トーテミズム研究の古典的名著」


・「The Golden Bough(金枝篇)」の著者ジェームズ・ジョージ・フレイザーは、1854年スコットランドのグラスゴーで生まれ、地元のグラスゴー大学を卒業後、後に英国の魔術師アレイスター・クロウリーも一時期学んだケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジにて社会人類学を専攻した。


・「The Golden Bough(金枝篇)」上下巻を上梓したのは1890年、ケンブリッジ大学の特別研究員だった頃のことだった。


・「金枝」の名称は、ヤドリギにまつわる王殺しの伝承が遺るイタリアのネミ湖畔を描いたジョセフ・M・ターナーの風景画の題名に由来する。


・クトゥルフ神話にまつわる神々や教団について直接言及しているわけではないが、ヨーロッパの神話や地域信仰の世界に深く踏み込んでいるため、併読書として研究者の書架に並ぶことが多い。


・この著作で高い評価を受けたフレイザーは、1907年にリバプール大学の社会人類学教授に就任。1914年にはナイト爵に叙任された。


・1921年に母校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの教授に就任したことは、彼にとってナイト爵の称号を得た以上に大きな名誉となった。


・1925年にはメリット勲位を受勲、英国学士院特別研究員、エジンバラ王室学会名誉評議員、王室ポロシア科学学会名誉会員など華々しいポストを歴任し、学者として頂点を極めるが、第二次欧州大戦の1941年5月7日、ドイツ軍の空襲により夫人とともに亡くなっている。


・「The Golden Bough(金枝篇)」自体は版数を重ねる毎に内容が増補され、1911年から15年にかけて刊行された全12巻の完全版をもって完結された。


・1920年代以降、フィールドワークの研究が主流となった現代の人類学の現場において、フレイザーは「安楽椅子の人類学者」と蔑称され、顧みられることが少なくなっている。



近而示之遠 遠而示之近

2009-11-05 16:27:37 | 孫子
 「近而示之遠 遠而示之近」


 (近づくもこれに遠ざかるを示し、遠ざかるもこれに近づくを示せ)【始計篇】


 「近づくためには遠ざかるように見せかけ、遠ざかるには近づくように見せかけることだ」ということ。


 古来より実際の合戦で、よく用いられた戦術である。
例えば、徳川家康と豊臣秀吉が戦った「小牧長久手の戦い」とか、風林火山で知られる武田信玄の初陣の戦いなどがある。


 これらは相手の心理的盲点を突くことで、より効果的に目標を達成しようとするもの。
つまり、相手の裏をかくと言うことであり、これも『孫子』の詭道なのだ。



「マクベス」 舞台内容 二幕一場~二幕二場

2009-11-04 15:39:26 | 「マクベス」

イメージ 1



・二幕一場
 前場から1,2時間後、マクベスの居城の前庭においてバンクォーと、その息子のフリーランスは、まだ起きていて歩き回っていた。


 バンクォーは、魔女の予言を聞いていて以来、心の落ち着きを失っており、独りで思いにふける恐さに、眠くても床に就くまいと、寝所に行くまいとしているようだった。


 マクベスが登場し、魔女の予言がバンクォーにどのように影響しているかを探ろうとする。
それはバンクォーが相棒になってくれるかもしれないと考えてのことだったが、彼はその申し出を断った。
                        '[I] still keep
   My bosom franchised and allegiance clear.'
             (わしは常に
 心にやましいことを感ぜず、臣下の道を外れぬ)


 つまりバンクォーは、謀反に手を貸すつもりはないと暗に言っているのだ。




 マクベスは、バンクォーに親しく「ゆっくり休んでくれと」言って別れ、その後に従者を退けて仕事にかかるが、自身の前兆に不吉さを覚えるのだった。
 'I go, and it is done; the bell invites me.
   Hear it not, Duncan; for it is a knell
   That summons thee to heaven or to hell.'
 (さあ、行くのだ、そうすれば片付く。
 鐘が俺を呼んでいる。ダンカンよ、あれを聞くな。
 あれは貴様を天国か地獄へか招く弔いの鐘だ)


 しかし、マクベスは勇気を振り絞り、大胆に一歩を踏み出そうとする。
そして妻が役割を果たした合図のために鳴らした運命の鐘が鳴り響く。



・二幕二場
 マクベス夫人が手にコップを持って登場する。彼女は、ダンカン国王の家来に睡眠薬を飲ませ、家来たちを眠らせてしまった。


 そして夫が忍び込めるように戸を開けておく。短剣は、眠っている二人の家来の傍ら置いた。後は、眠っているダンカンに斬りつけるだけだ。


 もしもダンカンの寝顔が彼女の父親に似ていなかったら、そのまま彼女が斬りつけていたであろう。
 何でもないように思われることだが、このことが後々に彼女の精神に影響を及ぼすのだ。




 やがてマクベスが、手を犯行の血に染めてダンカンの部屋から出て、妻に会う。
マクベスは、世の迷信と未知の世界の恐怖にとり憑かれており、すっかり勇気を挫かれていた。


 狼狽するマクベスは、計画の細部を忘れ、家来の傍らに残しておく筈だった血だらけの短剣をもって来てしまったのだった。


 それを元に戻す必要に迫られるが、
        'I'll go no more;
   I am afraid to think what I have done,
   Look on't again I dare not.'
        (もう行くのは嫌だ。
 自分のしでかしたことを思うとぞっとする、
 それをもう一度見るなどと、とても出来ない)


 それに反して、夫人は少しも怯まず、迷信にも悩まされない。ダンカンが殺されてしまえば、彼の死体を見ることに恐怖を感じず、「絵のような」ものだと。
              'the sleeping and the dead
   Are but as pictures: 'tis the eye of childhood
   That fears a painted devil.'
        (眠っている者と死人は
 絵のようなものです。子供でもなければ、絵に描いた
 悪魔を恐がるものですか)


 マクベスの臆病を嘲笑って、彼の手から短剣を引ったくり、ダンカンの傷口から取った血を塗り、家来の傍らに置く。


 その間、マクベスは迷信的な恐怖のために、手から血に痕を洗い落とすことが困難であると想像して怯えるのだった。
 この辺りが、マクベスと夫人が、余りにもマクベスの怯えようと夫人の勇ましさが対称的に描かれているが、話が進むに従って、逆になるのだ。




 マクベス夫人は戻ってくると、夫をリードし、眠っていたように装うために寝間着を着るように忠告する。
 ただ、普通なら、この殺人は不細工であって巧く行く筈がない。
家来たちが泥酔していたことは、彼らにとって有利に働くだろうし、誰かが睡眠薬を飲ませたかは明白だ。
 さらにマクベスが眠らずにいたことを、バンクォー父子と召使が目撃しているのだが、ここは劇であるので、幸運にも誰もマクベスを疑わなかったのだ。





Unaussprechlichen Kulten

2009-11-03 08:06:47 | 禁断の書物

イメージ 1


イメージ 2


「異常な生涯の果てに猟奇にして壮絶な死に様を晒したドイツの怪人、その畢生の研究成果を余すところなく網羅した暗黒の宗教書」


・「Unaussprechlichen Kulten(無名祭祀書)」、もしくは「黒の書」は、長年に渡って世界各地の遺跡や秘密結社を遍歴した19世紀前半のドイツの神秘学者「Friedrich Wilhelm von Junzt(フリードリヒ・ウィルヘルム・フォン・ユンツト)」が、生涯をかけて収集した秘儀伝承の数々を纏めた禁断の宗教研究書である。


・ガタノソア崇拝や「Stregoicavar(シュトレゴイカバール)」の黒い碑、ホンジュラスの「Temple of the Toad(蟇蛙の神殿)」についての記述があるほか、古代ピクトの戦闘王ブラン・マク・モーン崇拝、5月1日前日の「ベルテインの夜」の祝祭についても言及されている。


・1839年に、ドイツのデュッセルドルフで出版された、鉄枠のある黒く厚い革装丁の初版本は、暗澹たる内容からしばしば「黒の書」の異名で呼ばれている。


・元々、印刷された部数が非常に少なかった上に、発行の翌年、モンゴルへ旅行から戻ったばかりの「Friedrich Wilhelm von Junzt(フリードリヒ・ウィルヘルム・フォン・ユンツト)」が密室内で異様な死を遂げたことが喧伝されたため、恐れをなした多くの購入者たちが、この本を破棄してしまったという事情があり、現存する部数は極めて少なくなっている。


・「Friedrich Wilhelm von Junzt(フリードリヒ・ウィルヘルム・フォン・ユンツト)」は、自身が見聞した世界各地の遺跡や儀式を通じて、古い時代の暗黒の宗教が19世紀に生き残っていることを「Unaussprechlichen Kulten(無名祭祀書)」の中で論証している。


・その論旨は理路整然と筋立てて書かれた一部の箇所を除き、殆どが曖昧模糊とした記述で占められており、学術的価値は低く、狂人の戯言同然の書物と見なされている。


・しかし、ある種の知識に通じている人間であれば、断片的な記述をパズルのように並び替え、文章の奥に隠された真実の知識に辿り着くことができると言われている。



「結婚と母性、貞節を司る神・ヘーラー」

2009-11-02 14:54:38 | ギリシャ神話

イメージ 1


 「世にも美しい美貌の持ち主で全能の母、而してその実体は、必殺トラブル・メーカー」


 クロノスとレアーの娘であり、弟のゼウスがオリュムポスに主神として君臨すると、その妻になった(近親相姦なんて、野暮はなし。何せ神話の世界だから)。


 しかし、この正しく姉さん女房は、底知れぬ焼きもち焼きだったのだ。数々あるギリシャ神話には、ほとんど彼女の嫉妬が一枚絡んでいるといっても過言じゃあない。


 雰囲気として、いつも嫉妬で胸を焦がしているので、夫婦生活に疲れた暗い中年おばさんをイメージするけど、実は神々の女王として、さすがゼウスに選ばれただけの永遠の美女なのだ。


 永遠の美女とは、言葉の彩だけじゃあなくて、正に永遠なのだ。毎年春になると彼女は、アルゴスに近いカナトスの泉で水浴びをするんだけど、すると、その一年間に鬱積した全ての苛立ちは洗い流されて、なんと若返るんだ。しかも処女性まで取り戻しちゃうほどの効き目(世の全ての女性が渇望する垂涎もののアイテム)なのだ。


 さすがの極楽トンボ・ゼウスもこの時ばかりは、ヘーラーの元へ戻ってきたという。そしてこの上もなくロマンティックな演出をして、愛を求めたといわれているんだよ。


 ヘーラーの方もゼウスの浮気に腹を立てて家出なんかするんだけど、結局、ゼウスの元に返って来るんだ。つまり、なんだかんだと言っても二人はお互いにベタってわけだよ。


 まあ、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うけども、はた迷惑もいいところだよ。ヘーラーの嫉妬の被害にあった人々は数知れないんだから。しかも致命的なまでの被害を……


 そんな一人が、かの有名なヘーラクレースなのさ。アルゴズの王女アルクメーネーの息子なんだけど、ヘーラーの嫉妬の標的となった。ヘーラーのヘーラクレースに対する悪意というよりは、殺意に近いかも…… は、生れたばかりのヘーラクレースにそれと知らずお乳を飲ませてしまったヘーラーは、気がつくや否や、いわゆる乳飲み子のヘーラクレースを地面に叩きつけたほどだったんだ。


 まあ、赤ん坊のヘーラクレースも生後8ヶ月で牛も飲み込むほどの大蛇を絞め殺しちゃうんだけどね(だから、心配するほどのこともなかったかも…… )。


 「12の難事」といわれるヘーラクレースの冒険譚は、ヘーラーがヘーラクレースをいたぶるために科したんだ。最もそれを克服することでヘーラクレースは世に並ぶものなしといわれる英雄になるんだけどね。(ヘーラクレースという名前は「ヘーラーの栄光」という意味があるんだよ)


 そうしてみると、ヘーラーの嫉妬は、ゼウスの息子である英雄たちを育て上げるための教育ともいえるかもしれない。だとすれば、スパルタ教育というやつだね。だから、ヘーラーは「全能の母」(教育ママ)ともいえる。