くろじいの独り言

ハイアットライフタイムグローバリスト日記
   World of Hyatt Lifetime Globalist

池島炭鉱へ

2014-11-21 | りょこう&ホテル
やっと九州続きですase

実は相方リクエストで、九州最後の炭鉱「池島炭鉱」へ行ったのです

以下wikipediaより



池島炭鉱(いけしまたんこう)は、西彼杵半島の西沖合約7kmにある周囲約4kmの池島(長崎県長崎市、旧外海町)周辺の海底に広がる炭鉱で九州最後の炭坑の島でもある。

三井松島産業の子会社である松島炭鉱により、1959年より出炭が始まり、のちに閉山後の松島に建設された電源開発(J-POWER)の石炭火力発電所に石炭を供給した。隣接地での旺盛な需要により石炭の採掘は1980~90年代にかけても進められ、最盛期の1985年には150万トンを越える石炭が採掘された。1990年代には鉱区約35,500ha、坑道の総延長距離が約96kmに達し、炭鉱マンの移動時間の短縮のために人車の軌道が改良され、ドイツ製の高速人車(通称「女神号慈海」)も導入された。しかし、その後は炭鉱内での事故が相次いで発生、さらに1998年の電力自由化によって池島の石炭は安価な海外炭に押されるようになり2001年11月に閉山。当時約2,500人いた従業員はすべて解雇された。操業開始から閉山までの出炭量は4,400万トンである。

当時の炭鉱マンの給与は平均的サラリーマンの約2倍はあったといわれ、日本の基幹産業として高度成長を支え活況を呈していた。また、池島の石炭は良質なものとして重宝され、盛期には社宅として高層アパート群が次々に建設されたが、現在残ったほとんどの住宅や商店街は廃墟となりゴーストタウンの様相を呈している。これらの社宅は共同の浴槽と給湯設備付きの洗濯場付きで、家賃は閉山直前は400円であった。閉山後に炭鉱技術海外移転事業が始められ、大規模な鉱山事故が頻発する中国をはじめとするアジア諸国などより事業継続の要望が強く、現在もインドネシア、ベトナム人など年間約60名が技術伝承のため入国し働いている。また、2編成が運転されていた高速人車「女神号慈海」は、1編成(6両)が炭鉱跡地の研修センター、もう1編成が大牟田市石炭産業科学館に保存されている。長崎県の観光企画「長崎さるく」の一環として、期間限定で炭鉱跡や往時の面影を巡るツアーが催されており、簡易ながらも食堂や宿泊施設が存在する。


ということで廃坑になったとはいえ生々しさが残ってる


現在神浦港桟橋架け替で大瀬戸港からフェリーで30分


当日はけっこう波があって揺れて遅れたぁship


平成13年まで稼働していた池島炭鉱、島には今でも元炭鉱マンとその家族が200人以上暮らしている
そこが同じく九州にあり、単なるオブジェと化した軍艦島と違って生活感がありリアルです


まずは控え室でビデオ講習、ヘルメット装着、バッテリー背負ってヘッドライト点灯light


おいらと相方w

観光とはいえ実際の炭鉱内なんで車椅子じゃ絶対無理ng
事前においらが半身麻痺でゆっくりなら歩けるんですがと相談すると、現場には炭鉱マンが増員しておいらに一人付いて対処してくれた~感謝kirakira2


このトロッコに乗って炭鉱へ


つづく