さて今日は(も)どうでもいい話しです、暇な方どうぞ
なんとくろじいが初めて買ったバイクの本が出てきました
昭和50年35年も前の本です
国産750フルテストなどと書いてあります、当時免許などあるわけもない中学生だったおいらですが、興味を惹かれ早速小遣いで400円のその本を買いました
オートバイって本は実は大正時代の創刊なんですなぁ
今でも売ってるのかな?
オートバイという単語は和製英語なんでしょうか?
車検証の型式欄にもオートバイと書いてあるので正式な日本語なんでしょうね
750をナナハンと読むことは知っていても初めての単語やメカの話が出てきます、それでも穴の空くほど何度も読み返しました(本当に穴空いてるし)
こうやって順当に族としての下地が出来上がっていくわけです
読んで一番衝撃を受けたのは子供心に世界のホンダが一番と思ってたおいら
そのホンダが全く知らないメーカーのバイクに負けていたことです(単純に最高速度です、中学生ですから)
それはそれはカルチャーショックでしただってそのメーカーの750は唯一200㎞をオーバーしていたのです
「200㎞も出るのか」
「KAWASAKI日本製川崎重工なんだそれ」
こんな感じです
続いてホンダ、スズキ、ヤマハとおいらにもお馴染みのメーカーが続きます
でもホンダの191㎞はまだしもスズキの180㎞台やヤマハの170㎞台は今考えると遅い・・・遅すぎです
最近は軽自動車でもターボ付きで200㎞出るのに
(結局35年経った今もそんなこと言ってます)
ただこの頃のバイクは自転車と同じチューブ入りタイヤだったわけで、パンクでもしたら一気に空気が抜けてイチコロです
見てくださいタイヤの細いこと&革つなぎがカッコ悪いのなんの
くろじいが免許を取る直前まで原付と二輪の二種類しか免許の種類が無く、今で言う小型のバイクで教習所を出れば750でも何でも乗れた時代でした
そもそも当時ヘルメットも義務では無かったのです
暴走族が社会問題となり、おいらが取る直前に道交法が改正され、自動二輪の免許が125迄の小型、400迄の中型限定となり、それ以上の大型は試験場での合格のみ許される暗黒の時代に突入するわけです
(最近ようやく大型も教習所で取れるようになったみたいですが)
カルチャーショックを与えられたカワサキを後に詳しく知ることになります
カワサキはアメリカでキチガイマッハと呼ばれる程速いが高速で蛇行するマニア受け過激バイクで人気でした
しかしそんなクレージー2ストロークエンジンモデルでの実績はあるものの、4ストロークエンジンは吸収した目黒製作所の2気筒モデルしか作ったことのないメーカーがカワサキでした
この最速750は、先行されたホンダの750を駆逐するべくカワサキの開発陣が持てる技術の全てを注ぎ込み、900ccという大排気量で世界最速奪回を狙って設計されたものを祖にすること
デザインはアメリカ日本で並行して行われ、計画がバレないようにニューヨークステーキという暗号で呼ばれていたこと
しかし国内販売直前に前述の暴走族問題とオイルショックの影響で、当時国内で売られていた最大排気量の750ccを超えるオートバイはメーカーの自主規制で販売出来なくなったこと
そのために急遽900RS(Z1)のボディーに750のエンジンを設計し750RS(Z2)として国内投入を決めたことなどなどなどなどなどなど・・・・
こんなマニアな本を買っては、まるで自分が設計陣の一人になったようにカワサキ馬鹿になっていくわけです
徐々に性能はあがり、トムクルーズ主演でヒットしたトップガン(今思えば恥ずかしくなるような中身の無い映画ですが、馬鹿がこぞって観たものです)で、彼が乗って大ヒットしたカワサキの900が時速240~250㎞
くろじいが乗っていた1000が270㎞程度でした
おいおいそんなの何処で出すんだよとみんな同じことをききますが、おいらはどんなバイクや車でも自分の物は必ず限界を極めてみます、あっ!他人のでもやります
時効だから言いますが、あのカワサキ1000は東北自動車道の盛岡あたりだったでしょうか、280㎞まであるメーターは振り切れ、風の音しか聞こえません
勿論ピッタリ伏せているのですが、ヘルメットの中でも風圧で目がつり上がってるのが自分でもわかります
高速道はもとより、伊豆スカイラインあたりでも平気で200㎞は出してました(ごめんなさい)このクラスだと200は一瞬で出てしまうのです、加速感が鈍るのは230を超えたあたりでしょうか
前に伏せながら全力加速させると、加速Gで脳味噌から血が引けていく何ともいえない感覚が味わえるのはこのクラスならではです
間違いなく馬鹿ここに極まれりです
まぁどうでもいい話です
あっ!今乗ってるミニバンだけは極めていません、極める気すらおきません
片手だし~というかだいたいこんな冷蔵庫みたいな箱160㎞程度しか出ないんじゃないかな?
箱にしては立派です
どうです?今見てもアメリカでデザイン素地がまとまった一番上のカワサキ750RS(その頃の人はゼッツーと呼びます、当然アメリカではズィーワンです)のデザインがダントツに良いと思いません?この時代のホンダCBもいまいち、スズキGT、ヤマハTXに至っては見るも無惨なスタイルです・・・
あっ単なるノスタルジーかもしれません
奇しくも今はスズキのハヤブサ1300をはじめ、カワサキもホンダもヤマハも時速300㎞以上をマークする旗艦モデルを持っているわけで
世の中この4強は変わっていません
ただホンダあたりは儲からないので二輪は辞めたいというのが本音のようです
今もし乗れたらなら、何処かで300㎞を出して散っていたことでしょう
こんなどうでもいい話し長々読んでもらって感謝です
なんとくろじいが初めて買ったバイクの本が出てきました
昭和50年35年も前の本です
国産750フルテストなどと書いてあります、当時免許などあるわけもない中学生だったおいらですが、興味を惹かれ早速小遣いで400円のその本を買いました
オートバイって本は実は大正時代の創刊なんですなぁ
今でも売ってるのかな?
オートバイという単語は和製英語なんでしょうか?
車検証の型式欄にもオートバイと書いてあるので正式な日本語なんでしょうね
750をナナハンと読むことは知っていても初めての単語やメカの話が出てきます、それでも穴の空くほど何度も読み返しました(本当に穴空いてるし)
こうやって順当に族としての下地が出来上がっていくわけです
読んで一番衝撃を受けたのは子供心に世界のホンダが一番と思ってたおいら
そのホンダが全く知らないメーカーのバイクに負けていたことです(単純に最高速度です、中学生ですから)
それはそれはカルチャーショックでしただってそのメーカーの750は唯一200㎞をオーバーしていたのです
「200㎞も出るのか」
「KAWASAKI日本製川崎重工なんだそれ」
こんな感じです
続いてホンダ、スズキ、ヤマハとおいらにもお馴染みのメーカーが続きます
でもホンダの191㎞はまだしもスズキの180㎞台やヤマハの170㎞台は今考えると遅い・・・遅すぎです
最近は軽自動車でもターボ付きで200㎞出るのに
(結局35年経った今もそんなこと言ってます)
ただこの頃のバイクは自転車と同じチューブ入りタイヤだったわけで、パンクでもしたら一気に空気が抜けてイチコロです
見てくださいタイヤの細いこと&革つなぎがカッコ悪いのなんの
くろじいが免許を取る直前まで原付と二輪の二種類しか免許の種類が無く、今で言う小型のバイクで教習所を出れば750でも何でも乗れた時代でした
そもそも当時ヘルメットも義務では無かったのです
暴走族が社会問題となり、おいらが取る直前に道交法が改正され、自動二輪の免許が125迄の小型、400迄の中型限定となり、それ以上の大型は試験場での合格のみ許される暗黒の時代に突入するわけです
(最近ようやく大型も教習所で取れるようになったみたいですが)
カルチャーショックを与えられたカワサキを後に詳しく知ることになります
カワサキはアメリカでキチガイマッハと呼ばれる程速いが高速で蛇行するマニア受け過激バイクで人気でした
しかしそんなクレージー2ストロークエンジンモデルでの実績はあるものの、4ストロークエンジンは吸収した目黒製作所の2気筒モデルしか作ったことのないメーカーがカワサキでした
この最速750は、先行されたホンダの750を駆逐するべくカワサキの開発陣が持てる技術の全てを注ぎ込み、900ccという大排気量で世界最速奪回を狙って設計されたものを祖にすること
デザインはアメリカ日本で並行して行われ、計画がバレないようにニューヨークステーキという暗号で呼ばれていたこと
しかし国内販売直前に前述の暴走族問題とオイルショックの影響で、当時国内で売られていた最大排気量の750ccを超えるオートバイはメーカーの自主規制で販売出来なくなったこと
そのために急遽900RS(Z1)のボディーに750のエンジンを設計し750RS(Z2)として国内投入を決めたことなどなどなどなどなどなど・・・・
こんなマニアな本を買っては、まるで自分が設計陣の一人になったようにカワサキ馬鹿になっていくわけです
徐々に性能はあがり、トムクルーズ主演でヒットしたトップガン(今思えば恥ずかしくなるような中身の無い映画ですが、馬鹿がこぞって観たものです)で、彼が乗って大ヒットしたカワサキの900が時速240~250㎞
くろじいが乗っていた1000が270㎞程度でした
おいおいそんなの何処で出すんだよとみんな同じことをききますが、おいらはどんなバイクや車でも自分の物は必ず限界を極めてみます、あっ!他人のでもやります
時効だから言いますが、あのカワサキ1000は東北自動車道の盛岡あたりだったでしょうか、280㎞まであるメーターは振り切れ、風の音しか聞こえません
勿論ピッタリ伏せているのですが、ヘルメットの中でも風圧で目がつり上がってるのが自分でもわかります
高速道はもとより、伊豆スカイラインあたりでも平気で200㎞は出してました(ごめんなさい)このクラスだと200は一瞬で出てしまうのです、加速感が鈍るのは230を超えたあたりでしょうか
前に伏せながら全力加速させると、加速Gで脳味噌から血が引けていく何ともいえない感覚が味わえるのはこのクラスならではです
間違いなく馬鹿ここに極まれりです
まぁどうでもいい話です
あっ!今乗ってるミニバンだけは極めていません、極める気すらおきません
片手だし~というかだいたいこんな冷蔵庫みたいな箱160㎞程度しか出ないんじゃないかな?
箱にしては立派です
どうです?今見てもアメリカでデザイン素地がまとまった一番上のカワサキ750RS(その頃の人はゼッツーと呼びます、当然アメリカではズィーワンです)のデザインがダントツに良いと思いません?この時代のホンダCBもいまいち、スズキGT、ヤマハTXに至っては見るも無惨なスタイルです・・・
あっ単なるノスタルジーかもしれません
奇しくも今はスズキのハヤブサ1300をはじめ、カワサキもホンダもヤマハも時速300㎞以上をマークする旗艦モデルを持っているわけで
世の中この4強は変わっていません
ただホンダあたりは儲からないので二輪は辞めたいというのが本音のようです
今もし乗れたらなら、何処かで300㎞を出して散っていたことでしょう
こんなどうでもいい話し長々読んでもらって感謝です