「畏友(いゆう)」
体温を感じる友人がいた。
その人間たちの存在を明確なかたちで残しておきたいと思った。
ひとりひとりを口説いて素っ裸になってもらった。
同様に私自身もカメラの前に座った。
おもしろい発見があった。
内部に潜んでいたものがにょきにょきと表面に現れた。
私は、この8枚のポートレートを「畏友たちの肖像」と名付け、
1996年の秋に東京の小さなギャラリーで短い個展をやった。
その後、9年という時間が流れ、私は2年半前に東京を離れ
山梨県の上九一色村に拠点を移した。この地にはかつての「畏友たち…」の
やっさんと神田さんとその家族がいて楽しい付き合いをさせてもらっている。
皆との距離はそれぞれ変化しつつも、かれらの、劣らずに放つ光は相変わらず
熱くたくましく、私自身を「生きる」衝動にかりたてる。
そして今、この九州の福岡という地で、「共星の里」のスタッフの方々の力によって
再びこの「畏友」が日の目を見ることが出来たということは大いなる喜びです。
まして、やっさん(渡辺康)との2人展などということは夢にも思わなかったことで、
実現したことはうれしいことです。
「共星の里」の皆様に、そしてこの2人展を見に来てくださった方々に、深く感謝します。
2005年5月 平澤 寛
体温を感じる友人がいた。
その人間たちの存在を明確なかたちで残しておきたいと思った。
ひとりひとりを口説いて素っ裸になってもらった。
同様に私自身もカメラの前に座った。
おもしろい発見があった。
内部に潜んでいたものがにょきにょきと表面に現れた。
私は、この8枚のポートレートを「畏友たちの肖像」と名付け、
1996年の秋に東京の小さなギャラリーで短い個展をやった。
その後、9年という時間が流れ、私は2年半前に東京を離れ
山梨県の上九一色村に拠点を移した。この地にはかつての「畏友たち…」の
やっさんと神田さんとその家族がいて楽しい付き合いをさせてもらっている。
皆との距離はそれぞれ変化しつつも、かれらの、劣らずに放つ光は相変わらず
熱くたくましく、私自身を「生きる」衝動にかりたてる。
そして今、この九州の福岡という地で、「共星の里」のスタッフの方々の力によって
再びこの「畏友」が日の目を見ることが出来たということは大いなる喜びです。
まして、やっさん(渡辺康)との2人展などということは夢にも思わなかったことで、
実現したことはうれしいことです。
「共星の里」の皆様に、そしてこの2人展を見に来てくださった方々に、深く感謝します。
2005年5月 平澤 寛
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