廃校利用 山里の美術館「共星の里」

福岡県朝倉市黒川の「共星の里」のイベント情報や楽しい体験記を掲載。
左下のお好きなカテゴリー(1~16)毎にどうぞ!

「平和を叫ぶことの無い穏やかな日々。」

2005-08-30 12:07:22 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

KAZUさんのイベントプログラム用コメントをご紹介

キリストvsイスラムか、資本主義大国vs発展途上小国か、はたまた、野望・欲望のなせる業か、泥沼に入ってしまった戦いは、様々な姿で果てしなく続く。ある国の子供は、日常化してしまった戦争の真っ只中にある。あたかもそれが、あたりまえの世界であるかのごとく認識して、戦士になるのが将来の姿と思い込んでいる子供が存在する。なんと悲しい現実か。でも嘆いてばかりは居られない。意識を持って平和を念ずるしかない。それがたとえ今回の「ゼロセンガ、ハトニナルヒ」という小さなライブインスタレーションであっても、会場の一人ひとりが真に平和を求め和を広げてゆけば、遠くの戦場に声が届くであろう事を確認し、祈るしかない。
それぞれの小さな平和がいずれは大きなうねりとなり、戦場を安住の地へと変えるぐらいのパワーに変化させたいのもです。
それには、経済的・文化的・政治的さまざまな分野での心のこもった交流が必要であり、理解が必要になる。
そして遠からず「平和を叫ぶことの無い穏やかな日々」が全地球を覆い包む事を願うばかりです。 
                                       柳 和暢 

描き終えたKAZUさんのタイミングに必死に合わせながらいっしょに布を引き上げた私も、
次の第3章で初めて全景を見て気づきました。
「あ、ゼロセン描いてたんだ。」
KAZUさんには珍しく具象でいったとは....。今回のイベントへの思い入れが伝わってきます。




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柳和暢プロフィール

2005-08-30 11:48:36 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

[美 術]柳 和暢(やなぎ かずのぶ)

経 歴

1971年に渡米。名声を確立したライブペインティング以外にも、

音楽家・喜多郎のライブツアーやアルバムジャケットのアートワークを手掛けるなど、

日本、米国、ヨーロッパを舞台に幅広く活動を行っている。

2000年からは、甘木市の共星の里のアートディレクターとなり、

数々の国内外の現代作家や知的障害者の作品展等を企画。

04年「起源説」「回帰説」の2つの鉄の彫刻完成(浮羽市吉井町)。

05年9月ニューヨークにて個展。

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第2章「生動・喜び・祭り」柳和暢登場。

2005-08-30 11:35:57 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

大倉さんの独奏が終わり、大きな拍手の中でKAZUさんスタンバイ。

薄明かりの中で、スタート直前のいつもの短い瞑想を終え
ステージ左横の床に広げられた6×6mの白い大布の半分の部分に描き始める。

そこへ、白い衣装をまとった3人の舞踏ダンサーが踊りながら登場し
体を塗られたりしながら、しばしコラボレーション。
(玉野さんの奥様ヒロコさんのコミカルな動きがなんかおもしろかった)

20分程して、今描かれた部分が、例の滑車システムで引き上げられる。
引き上げられた部分と残りの半分とがみるみるうちに染まっていく。

哲郎くんのディジュリドゥとカラスくんのパーカッションも加わり
祭りさながらに、一気にクライマックス!
KAZUさんとみんなの「気」が炸裂するライブペインティングでした。


私はKAZUさんのヘルプを仰せつかっていた為(お手伝いとはいえ、ライブなので臨機応変
できなくっちゃという緊張感と自分がしくじらないようにというのでイッパイいっぱい!
毎回ドキドキもんデス)、
残念なことに肝心のライブペインティング中の写真がぜんぜん無い!

なので、ビフォー→アフター風に、開演直前の準備段階と終了後の写真をご紹介。


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KAZUさんのアトリエ

2005-08-29 17:59:41 | 6.KAZUさんの部屋

8/12のイベントでは第2章で登場のKAZUさん。

カテゴリー7.「楽しいヒトたちご紹介」のSTAFF紹介3
でも紹介しましたが、校長とえつこセンセーと共に、共星の屋台骨であり
そしてアーティストでもあります。

いつも共星の事で忙しくているKAZUさんですが、ご自分の活動もがんばってます!
イベント終了後すぐ韓国でのアートイベントに参加、帰ってきたと思ったらすぐ
次はいよいよ、昨年から準備を進めてきたニューヨークでの個展の為、アメリカへ。

昨日、共星みんなの期待もショって、はりきって元気に出発していきました。

大活躍を祈ってます!!


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KAZUさん鉄の作品制作現場

2005-08-29 17:33:37 | 6.KAZUさんの部屋

鉄の作品の制作現場を一度だけ見に行きましたが、そこいら中に鋭い鉄の切れ端がころがり
鉄のカットや溶接の繰り返しで火花飛びまくりの非常に危険な現場でした。
一番暑い時期に毎日毎日しこたま汗かいて溶接作業を続けていたので、
この時は、さすがのKAZUさんも体重を減らしてげっそりしてました。

私は5年前共星の里のアートセミナーで参加者として、いろんな鉄くずを
切ったり溶接したりして小さな鉄の彫刻を創らせてもらった事があり、
その時の鉄との格闘のおもしろさが忘れられず、
KAZUさんの作品づくりのお手伝いをさせてもらいたいな~
なんて気が~るに考えていましたが、現場を見てちょっとびびり、
こりゃ、まず邪魔になるしすぐにケガでもしてKAZUさんに迷惑かけるのがオチだなと思い即断念。

カットする時に出る鉄くずの方の形もあまりにもキレイ(鋭くて美し~!)で、
持って帰りたかったけど、あまりにもアブない!!のでヤメときました。

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大倉さん書の「般若心経」

2005-08-28 16:20:57 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

会場に到着してすぐの大倉さん(後ろ姿)。
KAZUさん(左の赤い服)とは長いお付き合いで、おふたりは今まで何度も共演されています。
なので、4~5回お目にかかってはいますが、とにかく毎回思う、
全てが「かっこイイ。 」その一言に尽きますね~。

大倉さんの半生が書かれた、著書の
「鼓動」 KODO ~いのちのビートを響かせて~ http://www.hiten-jp.com/
を読ませていただきましたが、さらに
う~んカッコいいっ!!あまりにもカッコ良すぎっ!とミーハー気分になっちゃいました。

日本の伝統芸能である大鼓の奏者とワイルドなバイク乗りという、
一見かけ離れたように感じさせる側面を持つその2つの顔が
どんな風に融合してあのカッコ良さが生まれているのかという部分が
この本でとってもよくわかりました。

個人的な感想では「ロックな人生だな~」と思ったのと
ちょっと刹那的なところが胸を打ち、なんか読みながら
BLANKEY JET CITY(1990-2000)というバンドの
「ガソリンの揺れかた」という大好きな曲が頭の中でずう~っとリピートされていて、
その後はこの曲聞く度に必ず大倉さんの事を思い出してしまいます。
今も聞きたくなってCDガサゴソ探し出してかけちゃいました。

だけど今はっと気づいたんです。
自分の中ではあれだけ結びついていたイメージがあったのにもかかわらず、
イベント当日はブランキーの事はいっっさい思い出していない!!ということに。

やっぱ当然なのかもしれませんが....
(あと単に当日自分自身がテンぱってたからというのもあるケド)
ご本人を目前にしただけで、「正之助パワー」みたいなものに
知らず知らずのウチにす~っかり圧倒されてしまってた自分に改めて気づく。
それと大倉さんの静かなそのパワーの強さ、大きさに。



※写真左下は、事務所の方が手配してくださった、イベントプログラム用のコメントがわりの書。
 大倉さんが毎日書き続けている手描きの「般若心経」。


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大倉正之助プロフィール

2005-08-28 15:37:02 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

[大鼓]大倉正之助(おおくら しょうのすけ)

経 歴

大倉流15世宗家故大倉長十郎の長男。
能舞台の活動はもとより、過去類を見ない「大鼓ソリスト」として新たな分野を確立し、
至難の技とされる素手打ちにこだわる。
自身で主催する能公演や、薪能、各種公演の企画制作、
様々な国のアーティストとのライブパフォーマンス活動等、大鼓という打楽器を通じて、
伝統文化とその新たな可能性を追究。
ローマ法皇より招聘されバチカン宮殿内のクリスマスコンサートにて演奏、
ニューヨークメトロポリタン美術館での「オリベ2003inNY」に出演、
スイス・ダボスで行われた世界経済会議(東京ナイト)での演奏等、
世界各国の式典やイベントで「大鼓独奏」を披露。
CMやラジオ、国内外のTV、雑誌・新聞等で広く紹介され、
CD「飛天」、著書「鼓動」を発売している。
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第1章「誕生(生命)」大倉正之助登場。

2005-08-28 15:19:27 | 4.05~24年のイベント 告知&報告


山川さんの朗読の後、大倉正之助さんの大鼓(おおつづみ)の独奏が始まりました。

暗やみの中から、ゆ~っくりとした調子で始まる大倉さんの発する声と鼓の音。
しかしそれは、広い会場中の空気が引き締まるような、はりつめた緊張感を創り出しています。

単調なようでいて少しずつ確実に、だんだんと早くなっていく音と掛け声。

大倉さんの「気」が観客を包みこむ。

まるで、
じわじわと大気が渦巻きマグマが燃え、地球が形づくられ、
海が出来、生命が誕生しさまざまに進化してゆく.....
という
どこからやって来て、いったいどこへ向かおうとしているのかもわからない「人間」の
長い長い誕生のプロセスが、その数分間に集約されているかのように感じました。



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「私達自身が平和そのものに「成る」。」

2005-08-26 14:49:43 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

山川さんのイベントプログラム用に寄せてくださったコメントをご紹介


_私達自身が平和そのものに「成る」。_

 アマゾンの森深く、自然と渾然一体となって暮らして来た人々には、「自然」という言葉が存在しない。自己から切り離して「自然」を意識することがなかったからである。
「平和」という言葉も、自己の存在が脅かされる状況が無ければ生まれてこなかったに違いない。しかし、私達人類は、肥大化した「自我」が生み出す際限の無い欲望と恐怖の連鎖の中で繰り返される戦争に脅え、ひたすら「平和」を求め続けて来た。
「平和」が頻繁に発せられるのは、かつての日本のように、平和という言葉すら口に出来ない時代に向かっている証しとも言えるが、だからこそ、連綿と続いて来た戦争の歴史に終止符を打ち、真の平和を創る好機なのだ。
 平和の実現。そのためには、私達自身が平和そのものに「成る」ことしかない。そして、地球丸ごとの平和!それが、今まさに試されている。「ゼロセンガ、ハトニナルヒ」は、そのための絶好の場となるに違いない!!
                                      山川 建夫


写真は、準備中の会場内 音響・映像の設置位置と対面側にある舞台。
後ろ姿の方は、山川さんです。


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山川建夫プロフィール

2005-08-26 14:35:47 | 4.05~24年のイベント 告知&報告


[アナウンサー]山川建夫(やまかわ ゆきお)

 経 歴

 昭和18年、東京生まれ。
 
 昭和43年にフジテレビ入社。
 
 昭和60年、41歳のとき退社し、東京を離れる。

       北海道小樽市の1年半を含む2年半、ワンボックスカーで家族と全国を旅し、
 
 昭和62年に市原の自然に出会い、同年暮れから住む。
 
 田畑を耕し、野山を歩くナチュラリストの日々を送りながら、
 フリーアナウンサーとしての仕事もこなす。
 環境保護や自然と親しむ暮らしについての講演などでも活躍中。

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開演~プロローグ~山川建夫登場。

2005-08-26 14:26:01 | 4.05~24年のイベント 告知&報告


竹灯籠に灯した灯が、ゆっくりと映え始めた午後6:00。
ばらばらと、山里を夕立ちが通り過ぎる。
6:30の開場時間を少し繰り上げ、音楽館外で待ってくださっているお客様の為に開場。

主催者代表で共星の里の校長先生チョージさんと
音楽館(おんらくかん)館長の渕上さんのあいさつの後、
午後7時、いよいよ開演。


●プロローグは、山川建夫さんによる朗読「夏の葬列」。

少年だった頃からずっと、胸の奥底に閉じこめて封印されていた
戦時中の衝撃的な記憶と真実とが、ある出来事をきっかけに、
いっきに今に解き放たれる、という一人の男のミニストーリー。

現代と過去の情景が交錯しながら進むストーリーにみんな聞き入っていました。


写真はリハーサルの様子ですが、
そのダンディなお声には私もシビれました~。



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チェルノブイリの写真を展示

2005-08-25 09:06:43 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

突然ですが、この写真は昨年7・8月に共星の里で開催された
「手島雅弘チェルノブイリ写真展」の展示風景。

手島さんのご協力により、今回「ゼロセン...」の会場入口に
このでっかい写真パネルが設置されました。

チェルノブイリ原発と、死の街と化した周辺の様子が写し出されています。

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「原発の是非を単純に問うているのではない。」

2005-08-25 08:55:38 | 4.05~24年のイベント 告知&報告

手島さんが「ゼロセンガ、ハトニナルヒ。」プログラム用に寄せてくれたコメントご紹介。


_原発の是非を単純に問うているのではない。_

 約5年前の新聞に、「旧ソビエト連邦で、放射能の影響により、今後年間に数多くの人々が死んでいく」とのショッキングな記事を目にしたのが、私とチェルノブイリ原発事故との出会いの契機となった。ウクライナへ出立、そして、交渉の末、立入禁止区域及びチェルノブイリ原発内に入ることが出来た。
撮影が進むたびに目と肌で感じる現地の悲惨さ・・・にも関わらず姿を顕さない放射能。
 この事故により私が考えたこと、それは「ありとあらゆる諸問題は、安全間隔の麻痺・危機意識の低下・人間の傲慢さ等からくるものではないか。」ただ、それだけだ。
 それらは人類を破滅の道へと誘うことに必至になるといっても過言ではない。その事を、我が生命に刻みつつ、広く皆へも投げかけたい。「さぁ、みんなで考えよう!」「世界人類の平和を追求すべく、数々の出来事を真剣に考えよう!」と。
今後も数々の現実を写真におさめて行きたい。
                                       手島 雅弘

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