スタッフよしえです☆
今日も続けて、ここ黒川の歴史をお伝えします!
【第20地点概要】
調査期間:2011年5月~9月 調査面積:約200平方メートル
出土遺跡:青磁・白磁・明染付・瓦質土器・土師器・亀頭形土製品・
釘・釘隠・石臼・碁石・水晶原石・土壁片等
[概要]
平成19年度より実施してきた御館(おんやかた)・御下屋敷(おんしもやしき)周辺の
発掘調査である。平成19・20年度は御下屋敷、平成21~23年度は御館の
遺跡内容確認を主として実施してきた。
(市の職員さんが発掘調査結果を説明してくれています。)
御館や御下屋敷周辺は江戸時代より伝承が残っており、
江戸時代の『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにぞくふどきしゅうい)』に
次のとおり記載されている。
「座主の宅跡あり。御館と云。馬場の上に在りて畠(はたけ)となれり。
広三段許の地にて堀切の址(あと)など残れり。其の東の方にも下屋敷とて
田地二段許の所あり。」
(馬場とは、歴代座主の慰霊祭が行われている、共星の里のすぐ近くの地区です。)
(これが、第20次地点から見た共星の里方面の風景!)
今回の調査成果は、遺構(昔の建築の残存物:礎石・柱跡)で
築地土塀の基礎石列[幅約1m×長さ10m]、集石遺構[2×3m以上]、
(画像中央上方に並ぶ大きめの石列が「築地土塀基礎石列」)
大溝[東西方向で幅約1.2m×8m以上]、石列[内部区画用]、
焼土層[約15cm]と各盛土(他から採取した土砂を古い地盤の上に盛り上げて
平らにしたところ)層が確認できた。
築地土塀跡周辺からは、塀の壁として使用された粘土のかたまりや、
今回より古い時期の基礎石列も確認できた。
遺物は、土師器(はじき:素焼きの土器)を中心に青磁碗の破片が比較的多く出土している。
土師器は、燈明(神仏に供える灯火)用としての小皿の破片がほとんどだが、
築地塀基礎石列や集石遺構からは、祭祀用と思われる完形に近い皿も出土している。
青磁器のなかでは、盤片と香炉片の出土が特に大きな事柄である。
(16枚の菊のご紋があったりします!でも、関係者によるとこの時期の流行りだったよう…)
また、これまで御下屋敷から水晶玉の製品は出土していたが、
今回初めて原石が出土した。
観賞用か加工用か不明であるが、原石が持ち込まれたことは興味深い。
さらに、用途不明な出土物に「亀形」土製品がある。
これまで犬や猿形土製品の出土はあったものの、亀のこのような頭だけの
出土は極めて珍しい。
(どうやら、祀りごとにつかわれていただろうということです☆
これまたゆるくてキャワイイ♪そして、あらためて犬・猿・カニ!)
そして、遊興(娯楽みたいな意味でしょうか)遺物としては碁石が出土しており、
黒川ではほとんどが黒石で、全国的にも白石の出土が少ないことが裏付けられた。
また、貴重な遺物の出土に加えて、石臼や(写真左上が臼の一部分)
釘隠し(釘を覆う飾り金具)なども見つかり、座主の住まいを思わせる。
これまで、御館の西側3分の1程度の調査を終えたが、来年度以降も継続し
さらなる実態の解明を進めていく予定である。
うぅ~ん・・・。話には聞いていた黒川院。
御館の3分の1のスペースだけでこんなにも様々な現物を目にし、
この黒川の地の下には、どれだけのものが眠っているのだろうと考えると、
とてもおごそか~な気分になります。
ご縁あって毎日この地にいますが、見えない大きなパワーに
引き寄せられているのだと改めて感じるのです!
この地で過ごしてきた人々の想いや暮らしが目に浮かんでくるようです。。。
実際、この地は空気も水もおいしくて、居るだけで、それだけでも
『下界』との違いを感じることが出来ます。
働きながら、日々心身共に浄化されているよう~~~~~☆
*ちなみに、発掘現場は通常はブルーシートに覆われていて
見ることが出来ませんので、お知らせまで。