2018年もあっと言う間に2月。
あの水害から7ヶ月が過ぎました…。
お陰様でたくさんの皆さんに支えられ、昨年は校庭の復旧も進み、瓦礫・流木の山だった校庭もご覧のとおり、大きな赤石が出現しております。
あの災害で井戸のポンプが流され、水が出ない状態での作業は進まず、せっかくの皆さんからのボランティアのお申し出にも、
お断りをしなければならない状態が、残念なことに昨年からずーと続いておりました…。
あれだけの大水、自然の猛威に愕然とさせられましたが、
日常にとっては水が無いことがこんなに不便なことかと…。
水道をひねれば、水が出ることは本当にありがたいですよね!災害から色んなことを考えされられる日々です。
掃除・片付けにもホトホト困ってしまい、そんな中に冗談のようですが、雪解け水の存在は掃除にうってつけ!!助かりました。
ともあれ、やっと水道のボーリング工事の着工が出来るように手はずが整い、3月の開館に間に合ってくれれば嬉しいのですが…。
水が出てくれるか…。これも天に任せるしかありません。
そんな中に、とっても嬉しいニュースが飛び込んで参りました。
共星の里はご存知の通り廃校利用の美術館です。
明治7年に開校した黒川小学校は、平成7年3月に在校生10人を残して、惜しまれながら閉校となりました。
その在校生の想い出を託し、タイムカプセルと石碑がこの小学校の校庭に、静かに眠っておりました
がしかし、
あの災害で共星の里の校庭は瓦礫の山、多くの歴代の卒業生の想いも詰まった校庭は、今回の災害で一変しました。
還暦の記念に卒業生から植樹をして頂いた桜も、
オランダの子供たちの来日記念の植樹や、子供のころ疑問だった叔父の名前が入っていた校門
なぜ叔父の名前が入っているのか、全くわからなかったのですが、
祖父が長男である叔父が結婚するときに、お祝いに村に貢献したいと思い、
村の要望を聞いたところ門柱を立ててほしいと言われ、記念に叔父の名前を入れたと言うことも、今回分かり謎が解けました。
みんなが遊んだ遊具も、さまざまな多くのものが見事に無くなってしまいました。本当に残念で残念で…。
機会あるごとに来館者の皆さんに、特に修学旅行の子供たちにはこの小学校が最後に何人の在校生を残し廃校になったか?
いつも質問形式でクイズにして尋ね、そのタイムカプセルが埋まっている記念碑を皆さんに見てもらっていました。
本当ならあと6年でそれを掘り起こすと聞いていたので、それまではこの共星の里を継続するぞ!と
開館当初、閉校当時の3月度のスケジュールが書いてある黒板を旧講堂の壁に掲げ、共星の里の継続を胸に誓ったものです。
来年で共星の里も20周年。奈良ヶ谷線も開通し、大型バスも入りやすくなって、この黒川を訪れる方々も増え、
これから!!!という中でのあの惨事…。
瓦礫と流木の山々…。家も車も道も無くなってしまう様態で、あのタイムカプセルも流されたか…。
仕方ないけど、本当に無念な思いが残っておりました。
そんな中、なんと奇跡的にほんとうに偶然にも寺内ダム付近で見つけ出され、
石碑も見つかり、文言がちゃんと「子らよ、くろがわの思いを胸に未来へはばたけ!」残ってます!
痛々しい…。しかし!
少しは割れたているものの、この共星の里に帰って来た!!!信じられない、本当に奇跡です!!
今回、父兄の代表の方からの申し出を受け、共星の里で皆さんの同窓会をする運びとになりました。
内なる希望のエネルギー、光が見えた思いです。
今回のこの作業に携われた方々、よくぞ届けて頂きました!心意気に感謝致します。
さまざまな皆様とのふれあいをまたひとつ抱き、一歩、一歩 歩んで参ります。
皆様の多くの支えが私達の原動力となっております。
どうぞ今後共々、共星の里のご支援・ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
共星の里スタッフ一同
あの水害から7ヶ月が過ぎました…。
お陰様でたくさんの皆さんに支えられ、昨年は校庭の復旧も進み、瓦礫・流木の山だった校庭もご覧のとおり、大きな赤石が出現しております。
あの災害で井戸のポンプが流され、水が出ない状態での作業は進まず、せっかくの皆さんからのボランティアのお申し出にも、
お断りをしなければならない状態が、残念なことに昨年からずーと続いておりました…。
あれだけの大水、自然の猛威に愕然とさせられましたが、
日常にとっては水が無いことがこんなに不便なことかと…。
水道をひねれば、水が出ることは本当にありがたいですよね!災害から色んなことを考えされられる日々です。
掃除・片付けにもホトホト困ってしまい、そんな中に冗談のようですが、雪解け水の存在は掃除にうってつけ!!助かりました。
ともあれ、やっと水道のボーリング工事の着工が出来るように手はずが整い、3月の開館に間に合ってくれれば嬉しいのですが…。
水が出てくれるか…。これも天に任せるしかありません。
そんな中に、とっても嬉しいニュースが飛び込んで参りました。
共星の里はご存知の通り廃校利用の美術館です。
明治7年に開校した黒川小学校は、平成7年3月に在校生10人を残して、惜しまれながら閉校となりました。
その在校生の想い出を託し、タイムカプセルと石碑がこの小学校の校庭に、静かに眠っておりました
がしかし、
あの災害で共星の里の校庭は瓦礫の山、多くの歴代の卒業生の想いも詰まった校庭は、今回の災害で一変しました。
還暦の記念に卒業生から植樹をして頂いた桜も、
オランダの子供たちの来日記念の植樹や、子供のころ疑問だった叔父の名前が入っていた校門
なぜ叔父の名前が入っているのか、全くわからなかったのですが、
祖父が長男である叔父が結婚するときに、お祝いに村に貢献したいと思い、
村の要望を聞いたところ門柱を立ててほしいと言われ、記念に叔父の名前を入れたと言うことも、今回分かり謎が解けました。
みんなが遊んだ遊具も、さまざまな多くのものが見事に無くなってしまいました。本当に残念で残念で…。
機会あるごとに来館者の皆さんに、特に修学旅行の子供たちにはこの小学校が最後に何人の在校生を残し廃校になったか?
いつも質問形式でクイズにして尋ね、そのタイムカプセルが埋まっている記念碑を皆さんに見てもらっていました。
本当ならあと6年でそれを掘り起こすと聞いていたので、それまではこの共星の里を継続するぞ!と
開館当初、閉校当時の3月度のスケジュールが書いてある黒板を旧講堂の壁に掲げ、共星の里の継続を胸に誓ったものです。
来年で共星の里も20周年。奈良ヶ谷線も開通し、大型バスも入りやすくなって、この黒川を訪れる方々も増え、
これから!!!という中でのあの惨事…。
瓦礫と流木の山々…。家も車も道も無くなってしまう様態で、あのタイムカプセルも流されたか…。
仕方ないけど、本当に無念な思いが残っておりました。
そんな中、なんと奇跡的にほんとうに偶然にも寺内ダム付近で見つけ出され、
石碑も見つかり、文言がちゃんと「子らよ、くろがわの思いを胸に未来へはばたけ!」残ってます!
痛々しい…。しかし!
少しは割れたているものの、この共星の里に帰って来た!!!信じられない、本当に奇跡です!!
今回、父兄の代表の方からの申し出を受け、共星の里で皆さんの同窓会をする運びとになりました。
内なる希望のエネルギー、光が見えた思いです。
今回のこの作業に携われた方々、よくぞ届けて頂きました!心意気に感謝致します。
さまざまな皆様とのふれあいをまたひとつ抱き、一歩、一歩 歩んで参ります。
皆様の多くの支えが私達の原動力となっております。
どうぞ今後共々、共星の里のご支援・ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
共星の里スタッフ一同
先日3/4に何の情報も持たず、共星の里があるというだけで、車で向かっていたのですが、588号線をスルーしてしまい、79号線から向かおうとしたのですが…
途中崩落があり、迂回路を進んでおりましたところ、とても先に進める状態ではないと、引き返してしまいました。
とても残念でしたが、こちらのブログを拝見して大変な状況であったのだと思い知りました。。
また機会を作って伺いたいと思います。
その節はよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます。
わざわざお越し頂きながら大丈夫ご迷惑をお掛け致しました。災害からまだまだ道が悪く失礼致しました。
あまぎ水の文化村ルート509→西原橋を渡り右折→588へ。こちらが仮道で、途中全面通行止めの標識はございますが、通行出来ます❗
どうぞよろしくお願い申し上げます。