篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』(1994年)より、『なつかしい写真』(1994年)を、聴いてみる。
見たくない懐かしい写真の我が人生。それ故に、何かの昔や物語の中の誰かの昔に、心ひかれる。
篠原美也子の2005年のナンバー、『アスピリン』を、アルバム“us”(2005年)から、聴いてみる。
今の傷みを抑える薬品は、ないなあ、と思う。
篠原美也子の2007年のナンバー、『灯をともそう』を、アルバム『桜花繚乱』(2007年)より、聴いてみる。
その光を灯す訳は、存在を示す為……ではなく、明るさと温かさを求めたいから、と思う夜なので、セレクト。
2004年の篠原美也子のアルバム『種と果実』より、2004年のナンバー“30s blue”を、聴いてみる。
憂鬱と混迷は、未だ、続いている。永遠にかも知れないが。
篠原美也子“rainbird”(2007年)を、セルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』(2013年)から、聴いてみる。
素朴な感じセルフカバーミックスも悪くないな、今ごろ思う。
2011年の篠原美也子のナンバー、“Fear”を、2011年のアルバム『花の名前』(2011年)より、聴いてみる。
ここにいる、そこに恐れがあったとしても、ちゃんとある。安心感を与える歌でもあるのに、タイトルは、真逆である。
篠原美也子のシングルナンバー、『ありふれたグレイ』(1994年)を、聴いてみる。
迷い戸惑を表現している筈の歌なのに、そこに、まだ来ない今日がある気がした、謎の1曲でもある。
篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、『ひとり』(1993年)を、聴いてみる。
当てもなくても来る明日を見る。雨降る週末の夜に……そんな気持ちでセレクト。
篠原美也子のアルバム“bird's-eye view”(2002年)より、“pain scale”(2002年)を、聴いてみる。
痛みより傷みの幅のが、大きい気がする昨今。
篠原美也子の1994年のアルバム『いとおしいグレイ』より、“Tokyo 22:00”(1994年)を、聴いてみる。
22時に合わせるネタソングとなっているが、今夜は、このナンバーの詞にある、雨降る感じで、合っている。