ワシントンDCでは街の至る所、フリーウェイでの車の運転中、ビルとビルとの隙間、街に茂った木陰の影からその姿を観る事が出来るのがワシントンモニュメントと呼ばれる169.3メートルのオベリスクである。
オベリスクは時間により、あるいは背後の空の色、太陽光線などにより常に変化し、見上げる度に異なる様相を楽しませてくれる。遠くから、近くから、真下からと常に眺めてみた。
オベリスクは1848年の7月4日のアメリカ独立記念日に建築工事が始まったが、途中資金不足や南北戦争などの事情があり着工から36年後の1884年の12月6日に完成に至った。(最後の石が積まれた)
オベリスクをはじめDCには多くの自然石を材料に用いた建築物が存在している。そういった石造物に囲まれていると少し不思議な感覚になる。その不思議な感覚というのは、異文化に触れた違和感というよりも、ひょっとしたらこれは日本人にとって懐かしい遥か遠い昔の憧憬かも知れないと思ったりした事であった。
アメリカで生活をしているとオベリスクを観る機会は多い。ニューメキシコ州サンタフェなどの美しい街の中心など、誰でも目にする事が出来る主要場所に堂々と存在している。そして墓地、ここにもひっそりと多くのオベリスクが並んでいる。オベリスクの存在には主要場所と死というテーマが僕の中では重複する。巨大なワシントンモニュメントのオベリスクの本当の正体はアメリカ建国の父ジョージワシントンの墓じゃーないのか、なんて真剣に思ったりもした。
オベリスクはエジプト起源であるならば、死を根底にして生をとらえる、魂は生と死を行き来する、そんなメッセージがこのアメリカ首都DCの象徴に込められている様に感じた。
時代は遥か大昔、ナイルの河口やチグリス、ユフラテス河で文明が起こった5~6千年前よりも遥かに昔、今では忘れられた先史文明の時代に地球的な規模で人々は石造建造物を築いていた。
エジプトに残されているピラミッドは先史文明の遺跡であり、このエジプトの遺跡についての研究は今日も継続されている。ツタンカーメンの姿や顔の造りはアフリカ人ではない、地中海周辺のヨーロッパ人でもない。それはアジア系の顔である。
古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)は日本の古代文字(神代文字)と非常に似ており、日本の古代文字の研究者はエジプトのヒエログリフを読む事が出来るという。
このように考えると、太古には地球規模の石造文化があり、その文化の中で使っていた言葉は同じか、似通っていた事も考えられる。
そういった意味で、石造物は日本人にとって懐かしい記憶を懐古させるのかも知れない。決して異国の遠方の異質文化ではなく、ただ我々が資料不足により考える事を否定されてきた、人は昔原始人だったのだで終わってしまう。
花崗岩は微妙に振動する生き物。肌をくっつけて声を訊く。
良い作品は思考をめぐらす、
そういう声を感じた。
” し こ う ” というのは、石造物建築の施工の事でもあり、
人間の死をまじめに考える、死考でもある。
その石造物を見上げると、空の純白の雲の様に白い。
しかし同時に、暗い闇の様に黒い。
それは即ち生と死が同時に存在している事を示している。
陰陽、表と裏。
善と悪、天使と悪魔とかとも言いたいが、考えてみると善悪や悪魔サタンという理解はキリスト教的な概念である。アメリカはキリスト教国家、ヨーロッパから信仰の自由を求めて大西洋を渡ったピューリタンによって建国された新しい国と多くの人々は理解しているが、ここ合衆国の中心地域においてはキリスト教の象徴物は無。
先端のピラミッドは合衆国の国璽の象徴である。
合衆国はキリスト教国家ではない。
正方形のオベリスクは変化(四季)の色を表現する。
しかし、
DCのオベリスクの見方はこれでは部分的である。
...???
遠方から僕をじっと見つめる視線を感じた。
どうやらヒントは水にありそうだな。
...つづく