今年はクリスマスツリーを買いに4ランナーを駆って出かけてきた。リアウィンドウを下げてツリーを放り込みそのまま窓を閉めないで(暖房はガンガンの強風で)帰路に就く。こうやって12月のニューヨークの寒気の中を走る時、ささやかな贅沢気分に浸り楽しい気分になる。こういった時間が4ランナーを運転する事の特権である。
雨の日以外は4ランナーを駆る時には必ずバックドアのウインドウを下げる、というこだわりを持っている。今夜、ニューヨークはこの冬一番の猛吹雪である。雪が止んだら新鮮な深雪の中をリアウィンドウを下げて雪を巻き上げながら走ろうと思っている。巻き上げた雪は当然車内を濡らすであろう、しかし、ダイナミックに使用するという用途から考えてみると、これ位の古さ、これ位のヤレ具合、そして、これ位の価格と車格こそがちょうどいい!と感じている。
ランドクルーザーFJ60を愛用し続けていると、周りから、ちょっと変わった性質を持ったおじさんと思われている。2代目4ランナーを何時もリアウインドウを下げて乗っていると、やはり、異種の性質を持ったおやじだと思われるであろう。或いは、リアウィンドウが壊れてやがる、この寒い中気の毒な奴だと思われるかも知れない。でも、こういった他人の評価は、いつの間にか全くといっていい程気にならなくなってしまった。そして、ふと気が付くと、俺って自由だなっ!て思う。フリーダムなフィーリングと言うのであろうか。乗り物を通じて気持ちよく風を切る時に感じる自由なフィーリングに加えて、クルマ等の愛機を通じて求めているのは自由への渇望なのであろう。クルマとはその為の道具に過ぎない。本当はクルマが欲しいのではなくて、本質では自由なフィーリングを感じていたい。その為の媒介がクルマなのである。古いランクルを乗り続ける事へのわがままな弁解である。