6月4日10:00堂々、左利き宣言!(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
ドイツ在住16年というのライター・柴山香さんによる記事です。
ドイツと言えば、左利きのノーベル賞作家、ギュンター・グラスは「左ぎっちょクラブ」という短編小説を書いています。
1958年に発表されたこの作品には、左利きの「肉声」と思われる記述が随所に出てきます。
(詳細は↓で)
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第233号(No.233) 2010/10/16「名作の中の左利き(10)「左ぎっちょクラブ」ギュンター・グラス」
「左ぎっちょクラブ」を収録した本↓
『僕の緑の芝生』飯吉光夫訳 小沢書店 1993.10.20
今回の記事を見ましても、この小説の内容同様に、
ドイツにおきましても、かつては、左利きが悲惨な状況に置かれていたことは、確かなことのように推測されます。
そんなドイツでも、時代の波とともに変化があるようです。
日本の学校でもそれなりに左利き対応は為されつつあるようですが、
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』《左利き教科書プロジェクト》でも書き続けていますように、肝心の書字において、左手例が示されていません。
左右を翻訳して考えられるような「できる子」はいいとしましても、左利きの子供がみんな天才ではないように、左利きの子供みんながみんな「できる子」ばかりではありません。
左手例があれば、助かる子供も多いはずです。
パソコンの時代にあっても、字を書くことは学問の基礎です。
福沢諭吉は、名著『学問のすゝめ』「第二編」で、
こうした配慮があって初めて、左利きの子にも優しい学校になるような気がします。
左利きにおける右利き・右手使いへの「変換(矯正)」がなくなるだけでは、まだまだ本物とは言えません。
(*注:左利きは「個性」として尊重しそのままでよいという考えの普及した昨今において、左利きにおける右利き・右手使いへの「矯正・なおす」という表現は、不適当なものだと考えています。
私は、最近では右手使いへの「変換」と呼び変えることにしています。ご協力を!)
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※ 参照:
(左利きライフ研究家である私の場合は、「左利き宣言:「私にも夢がある」」です。)
・『レフティやすおのお茶でっせ』版「左利き宣言」
・HP『レフティやすおの左組通信』版「レフティやすおの左利き私論〈1〉」
(グラス「左ぎっちょクラブ」と『僕の緑の芝生』の本)
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「〈HPG2〉左利きの本だなぁ 小説で読む左利き」 2004.6「左ぎっちょクラブ」ギュンター・グラス
(学校教科書における書字左手例についてのアンケート)
・『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第258号(No.258) 2010/4/30 「<左利きプチ・アンケート>第68回 小1書写教科書に左手書き(左利き)例を入れるべきか?」
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「堂々、左利き宣言!(Excite Bit コネタ)だそうです!」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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ドイツ在住16年というのライター・柴山香さんによる記事です。
《ドイツ人のおよそ15~20%が、左利きだというデータがあります。/ドイツでも、かつては左利き人間に対してネガティブな先入観を持つ風潮があり、「あの人は、どこかおかしいに違いない」と、陰口がささやかれていた時代もありました。左利きであることが、その人の弱点、さらには病気であるかのような認識を持つ者も少なくなかったのです。/そんな背景もあってか、1970年代ごろまでは、左利きを右利きに矯正するのが常でした。なぜなら、知り合いに会えば右手で握手し、学校では右手で文字を書き、食事時には右手でコップを持つのが「当たり前」だったからです。義務教育機関でも、左利きの生徒に右手で書くことを強要したばかりか、左手を背中の後ろに縛るといった強制策もとられていました。》
ドイツと言えば、左利きのノーベル賞作家、ギュンター・グラスは「左ぎっちょクラブ」という短編小説を書いています。
1958年に発表されたこの作品には、左利きの「肉声」と思われる記述が随所に出てきます。
(詳細は↓で)
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第233号(No.233) 2010/10/16「名作の中の左利き(10)「左ぎっちょクラブ」ギュンター・グラス」
「左ぎっちょクラブ」を収録した本↓
『僕の緑の芝生』飯吉光夫訳 小沢書店 1993.10.20
今回の記事を見ましても、この小説の内容同様に、
ドイツにおきましても、かつては、左利きが悲惨な状況に置かれていたことは、確かなことのように推測されます。
そんなドイツでも、時代の波とともに変化があるようです。
《そんな逸話も、今は昔。/今日では、学校でも職場でも、自分が好む利き腕で作業する自由があります。かつて、右利きへの強制矯正を試みていた学校でも、右利きの生徒と左利きの生徒が隣同士に座る際は、互いの肘が邪魔にならぬよう、右利きの生徒を右側に、左利きの生徒を左に座らせる配慮を見せるほど寛大になっています。》
日本の学校でもそれなりに左利き対応は為されつつあるようですが、
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』《左利き教科書プロジェクト》でも書き続けていますように、肝心の書字において、左手例が示されていません。
左右を翻訳して考えられるような「できる子」はいいとしましても、左利きの子供がみんな天才ではないように、左利きの子供みんながみんな「できる子」ばかりではありません。
左手例があれば、助かる子供も多いはずです。
パソコンの時代にあっても、字を書くことは学問の基礎です。
福沢諭吉は、名著『学問のすゝめ』「第二編」で、
《文字は学問をするための道具にて、たとへば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。》と書いています。
こうした配慮があって初めて、左利きの子にも優しい学校になるような気がします。
左利きにおける右利き・右手使いへの「変換(矯正)」がなくなるだけでは、まだまだ本物とは言えません。
(*注:左利きは「個性」として尊重しそのままでよいという考えの普及した昨今において、左利きにおける右利き・右手使いへの「矯正・なおす」という表現は、不適当なものだと考えています。
私は、最近では右手使いへの「変換」と呼び変えることにしています。ご協力を!)
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※ 参照:
(左利きライフ研究家である私の場合は、「左利き宣言:「私にも夢がある」」です。)
・『レフティやすおのお茶でっせ』版「左利き宣言」
・HP『レフティやすおの左組通信』版「レフティやすおの左利き私論〈1〉」
(グラス「左ぎっちょクラブ」と『僕の緑の芝生』の本)
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「〈HPG2〉左利きの本だなぁ 小説で読む左利き」 2004.6「左ぎっちょクラブ」ギュンター・グラス
(学校教科書における書字左手例についてのアンケート)
・『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第258号(No.258) 2010/4/30 「<左利きプチ・アンケート>第68回 小1書写教科書に左手書き(左利き)例を入れるべきか?」
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「堂々、左利き宣言!(Excite Bit コネタ)だそうです!」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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