『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』別冊編集後記
第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
先月は、
八月合併号として8月13日<国際左利きの日>に発行しました。
今回は、その続きで、前回途中まで書いた
「左利きとアイデンティティ」についてお話しします。
┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2022年8月合併号(続)
― 左利きとアイデンティティ ―
心の癒やし ~ 《ピープル》シリーズ から考える
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛
●前回後半のおさらい
前回の後半では、「左利きとアイデンティティ」について、
ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ『果てしなき旅路』
について書かれた赤木かん子さんの
『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
の該当文章を引用しながら、私の左利きの経験を交えて書いてみました。
--
『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
赤木 かん子/著 自由國民社 2001/5/1
自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
不安で不幸な人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、
幸福になる……そういう話が――。そうしてそのテの物語を、
“ピープル・タイプ”と呼んでいました。それは今考えればみな、
アダルト・チルドレンの物語だったのです。/
当時のSF作家たちは超能力者だけではない
いろいろなSF的手法を使って、
ACの癒やしの物語を紡いでいたのでした。なぜか……?!
彼ら自身がそうだったから……、そしてそうやって
自分自身を癒やそうとしたのではないかと私は思います。》p.69
《自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
不安で不幸な人々》
まさに、当時の私は、そういう「不幸な左利きの一人」だったのです。
そんな
《人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、幸福になる》
としたら、どうでしょうか。
こんな素晴らしいお話は他にはありませんよね。
--
*ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
1.『果てしなき旅路』ゼナ・ヘンダースン/著 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF ピープル・シリーズ 1978/7/1
2.『血は異ならず』ゼナ・ヘンダースン/著 宇佐川晶子, 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF 500 ピープル・シリーズ) 1977/12/1
●ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
私がこれらの作品に出会ったのは、
高校生を卒業する前後だったでしょうか。
高校二年の夏から『ミステリマガジン』や
同じ出版社のエンタメ系雑誌『SFマガジン』を読んできました。
『ミステリマガジン』は連載小説等に惹かれて定期購読していましたが、
『SFマガジン』の方は、好きな作家の作品が掲載されたときのみ、
購読していました。
そんな好きな作家の一人にこのゼナ・ヘンダースンもなりました。
偶然読んだのが最初の一編が、3作目?の「ヤコブのポタージュ」
(『果てしなき旅路』のなかでは、第3章に「ヤコブのあつもの」として
収録)だったのか、その辺のところははっきりしませんが、
この作品を原作とするアメリカ製作の単発テレビ映画は
のちにNHKで『不思議な村』というタイトルで放送され、
楽しく見たのを記憶しています。
*『不思議な村 SF超能力者の村・消滅惑星ザイラスの秘密』
(日本語吹替収録版) [DVD]
■ゼナ・ヘンダースン原作「果てしなき旅路」を映像化
■F・F・コッポラが製作総指揮を務めたSF・TVムービー
■コッポラの父、カーマイン・コッポラが魅惑的な音楽を提供。
■「スター・トレック 宇宙大作戦」のカーク船長役の
ウィリアム・シャトナーが熱演。
原題 : THE PEOPLE 製作年 : 1971年 製作国 : アメリカ
この時期は、記憶は定かではありませんが、
麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」のヒット曲や、
箱崎総一先生の主宰する「左利き友の会」などが出現し、
左利きに対する見方が味方が変化し始める<左利き観の転換期>
1970年代の初めのころでありました。
最初の本『果てしなき旅路』が出たのは、1978(昭和53)年でした。
私が24歳の時になります。
*参照:
『「古典から始める レフティやすおの楽しい読書』
2014(平成26)年6月15日号(No.129)-140615-
「私の読書論-57-「私のおススメの古典から」(4)
-人生の教科書-『ミステリ・マガジン』(2)コラム編」
2014.6.15
人生の教科書『HMM』+『SFマガジン』も―
私の読書論57おススメ古典4
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/06/574-206e.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11877568307.html
--
ゼナ・ヘンダースン(ヘンダーソン)です。
「されば荒野に水わきいで…」(SFマガジン 1973年10月号)が
最初だったと記憶しています。
これを読んだ直後だったと思うのですが、
NHKでアメリカ製だろうと思われるドラマか映画が放送されました。
これは、<ピープル>シリーズと呼ばれる
地球に不時着して隠れて生きる異星人たちの物語の連作です。のちに
『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊にまとめられました。
繊細な精神の持ち主が読むのにふさわしい作品だと思っています。
--
●「人と違う」――疎外された人の心の痛み
この作品を読みますと、
多くの世間から疎外された人々の記憶に出会います。
特殊能力を持った異星人であることを知られれば、
魔女狩りのように殺されてしまうこともあるのです。
《異常であるということは、
他人のふるまうようにふるまわないことである。
正常でないとは、普通のひとがやらないことをやることである。
とうさんがあんなに怒ったのは、そのせいかもしれない!
もしかしたらぼくは、正常でないことをしでかしたのかもしれない!
ぼくは途方に暮れて地面を見つめた。
ぼくの一家はどこがちがっているのだろう。(略)
自分がほかのものとへだたっているという感じ。
そしてそれを意識するとともに、
警戒心が、隠さねばならぬという認識が湧いてきた。
もしどこかおかしいところがあるのなら、
だれにもそれを知られてはならない――
うっかりそれを外にあらわしてはならないのだ……》p.93-94
(『果てしなき旅路』「ギレアデ」より)
異星人であるがゆえに疎外される、差別される人々――
そこに私の心の琴線に触れるところがありました。
私もまた左利きという「人とは違う」という点で差別され、
疎外感にさいなまれていた経験があったからです。
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さんの
『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』
(岩波ジュニア新書 2019/4/20)
にこうあります。
《「世間」は、まとまりを強くするために、
意識的にも無意識的にも、「仲間外れを作る」のです。》
<16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.101
左利きに関して言えば、
“無意識的”な「仲間外れ」という差別でしょう。
なにしろ右利きの人は、それが「普通」という感覚であり、
社会の在り方そのものが、そういう右利きの人のために
最適な環境を作っている「右利き優先」
あるいは「右利き偏重」の社会であることに
全く気付いてもいないのです。
それ故に、右利き以外の人を除外している社会だ、
という事実に気付いていないわけです。
右利きの人は「自分が右利きである」という事実も認識していない、
のが現実です。
●左利きというアイデンティティ
それに対して、左利きの人にとっては「左利きである」という事実が、
重要なアイデンティティ(の一つ)になるのです。
アイデンティティとは、(先の赤木かん子さんの本のよりますと)
《とてもカンタンに言ってしまえば、/“アナタは、ダレですか?”
ときかれた時に、その人が答える“こと”です。
それは人種だったり国籍だったり
(この両者は必ずしも一致するとは限りません)、
仕事だったり、性別だったり、それこそ星の数ほどあると思います。
そうしてどういう仕組みか、人間は自分のアイデンティティが
不安定だと精神的にも不安定になるようだし、
それを理由にいじめたり排斥したりもするので、
人が傷つく大きな原因のひとつになるわけです。/不思議だね?》
利き手もそういうアイデンティティになるのです、左利きの人の場合は。
これは先ほども書きましたように、右利きの人にはまずありません。
「左利きである」ということが、
自分が「ほかの人と違う」点として認識する項目の一つだ、
ということであり、
その点を右利きの人が左利きの人を攻撃するポイントにしていた、
ということでもありす。
そして特に、私のようにある程度の年齢以上の左利きの人では、
この「左利きアイデンティティ」を
より強く感じているのではないでしょうか。
差別の記憶がそうさせているのだと思うのです。
この思いがなくなる日が来るのかどうか、
そして、左利きをアイデンティティとすることがいいことなのかどうか、
私には、まだ分かりません。
●左利き生活向上のために
そこで思うことは、この「国際左利きの日」を機会に、
もっと多くの人が、左利きについても考えてもらえるように、
この左利き啓蒙活動を広めてゆきたいということです。
精神的にも肉体的にも、心理的にも物理的にも、
左利きの人の生活が向上する――幸せになるために
ぜひ、読者の皆様のご協力を乞うものです。
先に紹介しました鴻上尚史さんの『「空気」を読んでも従わない』に
こういうことも書いてありました。
《「世間」の悪い面は、
意識的に変えようと思わないとなかなか変わりません。
放っておいて自然に変わるということはないのです。》
<16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.107
さらに、<18「世間」はなかなか変わらない>には、こうあります。
《「世間」はすでにあって、
これからもずっと続くものと思われているからです。
「世間」は変えるものでなく、
そこにあるものと思ってしまうのです。》p.117
日本人は、そういうとき、
「世間」や「社会」を変えようとするのではなく、
「しょうがない」という言葉でやり過ごしてしまう、といいます。
ガマンしてしまう。
そうではなく、
《自分たちの生きている「世間」や「社会」を
よりいいものにするのは、
私たちの権利であり義務でもあると思っているのです。/(略)
「世間」や「社会」に身をまかさないで戦う必要がある
と僕は思っているのです。》 <同> p.118
私もまた、この意見に賛成で、「長いものには巻かれろ」ではなく、
「誤りは正す」姿勢が大切だ、と考えています。
表題下にも書いていますように、従来の
「右利き偏重社会」を
「左利きにも優しい左右平等、左右共存の社会」に
変えてゆきましょう。
たとえどんな小さなことからでもいいのです。
始めてみましょう
鴻上さんは、こうも書いておられますから。
《小さな戦いが、この国の大きな「世間」をゆさぶり、
変えるきっかけになることは間違いないのです。》
<20 強力な「世間」との戦い方> p.136
そして、「おわりに」には、
《あなたの戦いは、あなただけの戦いではない。》p.189
ともあります。
それを期待して、私もこの戦いを続けたいものです。
*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事
↓
カテゴリ:<8月13日国際左利きの日>
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/cat24364203/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「★600号までの道のり」は、お休みです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本誌では、「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続) 左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」と題して、今回も全紹介です。
ゼナ・ヘンダースン《ピープル》シリーズについては、前号およびその編集後記でも書いていますので、そちらを参照していただくとして、今回は、左利きとアイデンティティについて書いてきました。
いいたいことは、要するに左利きの私にとっては、この現在あるこの「社会そのもの」が「間違っている」ということで、それを「左利きの人にも優しい社会に変えてゆこう」。
そのためにどん些細なことであっても、おろそかにせず、取り組んでいけたらいいなあ、ということです。
皆様もご協力いただければ嬉しく思います。
・・・
弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
『レフティやすおのお茶でっせ』〈左利きメルマガ〉カテゴリ
--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)左利きとアイデンティティ-週刊ヒッキイ第625号
--
第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」
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第625号(No.625) 2022/9/3
「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)
左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
先月は、
八月合併号として8月13日<国際左利きの日>に発行しました。
今回は、その続きで、前回途中まで書いた
「左利きとアイデンティティ」についてお話しします。
┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2022年8月合併号(続)
― 左利きとアイデンティティ ―
心の癒やし ~ 《ピープル》シリーズ から考える
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●前回後半のおさらい
前回の後半では、「左利きとアイデンティティ」について、
ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ『果てしなき旅路』
について書かれた赤木かん子さんの
『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
の該当文章を引用しながら、私の左利きの経験を交えて書いてみました。
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『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
赤木 かん子/著 自由國民社 2001/5/1
自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
不安で不幸な人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、
幸福になる……そういう話が――。そうしてそのテの物語を、
“ピープル・タイプ”と呼んでいました。それは今考えればみな、
アダルト・チルドレンの物語だったのです。/
当時のSF作家たちは超能力者だけではない
いろいろなSF的手法を使って、
ACの癒やしの物語を紡いでいたのでした。なぜか……?!
彼ら自身がそうだったから……、そしてそうやって
自分自身を癒やそうとしたのではないかと私は思います。》p.69
《自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
不安で不幸な人々》
まさに、当時の私は、そういう「不幸な左利きの一人」だったのです。
そんな
《人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、幸福になる》
としたら、どうでしょうか。
こんな素晴らしいお話は他にはありませんよね。
--
*ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
1.『果てしなき旅路』ゼナ・ヘンダースン/著 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF ピープル・シリーズ 1978/7/1
2.『血は異ならず』ゼナ・ヘンダースン/著 宇佐川晶子, 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF 500 ピープル・シリーズ) 1977/12/1
●ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
私がこれらの作品に出会ったのは、
高校生を卒業する前後だったでしょうか。
高校二年の夏から『ミステリマガジン』や
同じ出版社のエンタメ系雑誌『SFマガジン』を読んできました。
『ミステリマガジン』は連載小説等に惹かれて定期購読していましたが、
『SFマガジン』の方は、好きな作家の作品が掲載されたときのみ、
購読していました。
そんな好きな作家の一人にこのゼナ・ヘンダースンもなりました。
偶然読んだのが最初の一編が、3作目?の「ヤコブのポタージュ」
(『果てしなき旅路』のなかでは、第3章に「ヤコブのあつもの」として
収録)だったのか、その辺のところははっきりしませんが、
この作品を原作とするアメリカ製作の単発テレビ映画は
のちにNHKで『不思議な村』というタイトルで放送され、
楽しく見たのを記憶しています。
*『不思議な村 SF超能力者の村・消滅惑星ザイラスの秘密』
(日本語吹替収録版) [DVD]
■ゼナ・ヘンダースン原作「果てしなき旅路」を映像化
■F・F・コッポラが製作総指揮を務めたSF・TVムービー
■コッポラの父、カーマイン・コッポラが魅惑的な音楽を提供。
■「スター・トレック 宇宙大作戦」のカーク船長役の
ウィリアム・シャトナーが熱演。
原題 : THE PEOPLE 製作年 : 1971年 製作国 : アメリカ
この時期は、記憶は定かではありませんが、
麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」のヒット曲や、
箱崎総一先生の主宰する「左利き友の会」などが出現し、
左利きに対する見方が味方が変化し始める<左利き観の転換期>
1970年代の初めのころでありました。
最初の本『果てしなき旅路』が出たのは、1978(昭和53)年でした。
私が24歳の時になります。
*参照:
『「古典から始める レフティやすおの楽しい読書』
2014(平成26)年6月15日号(No.129)-140615-
「私の読書論-57-「私のおススメの古典から」(4)
-人生の教科書-『ミステリ・マガジン』(2)コラム編」
2014.6.15
人生の教科書『HMM』+『SFマガジン』も―
私の読書論57おススメ古典4
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/06/574-206e.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11877568307.html
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ゼナ・ヘンダースン(ヘンダーソン)です。
「されば荒野に水わきいで…」(SFマガジン 1973年10月号)が
最初だったと記憶しています。
これを読んだ直後だったと思うのですが、
NHKでアメリカ製だろうと思われるドラマか映画が放送されました。
これは、<ピープル>シリーズと呼ばれる
地球に不時着して隠れて生きる異星人たちの物語の連作です。のちに
『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊にまとめられました。
繊細な精神の持ち主が読むのにふさわしい作品だと思っています。
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●「人と違う」――疎外された人の心の痛み
この作品を読みますと、
多くの世間から疎外された人々の記憶に出会います。
特殊能力を持った異星人であることを知られれば、
魔女狩りのように殺されてしまうこともあるのです。
《異常であるということは、
他人のふるまうようにふるまわないことである。
正常でないとは、普通のひとがやらないことをやることである。
とうさんがあんなに怒ったのは、そのせいかもしれない!
もしかしたらぼくは、正常でないことをしでかしたのかもしれない!
ぼくは途方に暮れて地面を見つめた。
ぼくの一家はどこがちがっているのだろう。(略)
自分がほかのものとへだたっているという感じ。
そしてそれを意識するとともに、
警戒心が、隠さねばならぬという認識が湧いてきた。
もしどこかおかしいところがあるのなら、
だれにもそれを知られてはならない――
うっかりそれを外にあらわしてはならないのだ……》p.93-94
(『果てしなき旅路』「ギレアデ」より)
異星人であるがゆえに疎外される、差別される人々――
そこに私の心の琴線に触れるところがありました。
私もまた左利きという「人とは違う」という点で差別され、
疎外感にさいなまれていた経験があったからです。
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さんの
『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』
(岩波ジュニア新書 2019/4/20)
にこうあります。
《「世間」は、まとまりを強くするために、
意識的にも無意識的にも、「仲間外れを作る」のです。》
<16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.101
左利きに関して言えば、
“無意識的”な「仲間外れ」という差別でしょう。
なにしろ右利きの人は、それが「普通」という感覚であり、
社会の在り方そのものが、そういう右利きの人のために
最適な環境を作っている「右利き優先」
あるいは「右利き偏重」の社会であることに
全く気付いてもいないのです。
それ故に、右利き以外の人を除外している社会だ、
という事実に気付いていないわけです。
右利きの人は「自分が右利きである」という事実も認識していない、
のが現実です。
●左利きというアイデンティティ
それに対して、左利きの人にとっては「左利きである」という事実が、
重要なアイデンティティ(の一つ)になるのです。
アイデンティティとは、(先の赤木かん子さんの本のよりますと)
《とてもカンタンに言ってしまえば、/“アナタは、ダレですか?”
ときかれた時に、その人が答える“こと”です。
それは人種だったり国籍だったり
(この両者は必ずしも一致するとは限りません)、
仕事だったり、性別だったり、それこそ星の数ほどあると思います。
そうしてどういう仕組みか、人間は自分のアイデンティティが
不安定だと精神的にも不安定になるようだし、
それを理由にいじめたり排斥したりもするので、
人が傷つく大きな原因のひとつになるわけです。/不思議だね?》
利き手もそういうアイデンティティになるのです、左利きの人の場合は。
これは先ほども書きましたように、右利きの人にはまずありません。
「左利きである」ということが、
自分が「ほかの人と違う」点として認識する項目の一つだ、
ということであり、
その点を右利きの人が左利きの人を攻撃するポイントにしていた、
ということでもありす。
そして特に、私のようにある程度の年齢以上の左利きの人では、
この「左利きアイデンティティ」を
より強く感じているのではないでしょうか。
差別の記憶がそうさせているのだと思うのです。
この思いがなくなる日が来るのかどうか、
そして、左利きをアイデンティティとすることがいいことなのかどうか、
私には、まだ分かりません。
●左利き生活向上のために
そこで思うことは、この「国際左利きの日」を機会に、
もっと多くの人が、左利きについても考えてもらえるように、
この左利き啓蒙活動を広めてゆきたいということです。
精神的にも肉体的にも、心理的にも物理的にも、
左利きの人の生活が向上する――幸せになるために
ぜひ、読者の皆様のご協力を乞うものです。
先に紹介しました鴻上尚史さんの『「空気」を読んでも従わない』に
こういうことも書いてありました。
《「世間」の悪い面は、
意識的に変えようと思わないとなかなか変わりません。
放っておいて自然に変わるということはないのです。》
<16「世間」のルール4 仲間外れを作る> p.107
さらに、<18「世間」はなかなか変わらない>には、こうあります。
《「世間」はすでにあって、
これからもずっと続くものと思われているからです。
「世間」は変えるものでなく、
そこにあるものと思ってしまうのです。》p.117
日本人は、そういうとき、
「世間」や「社会」を変えようとするのではなく、
「しょうがない」という言葉でやり過ごしてしまう、といいます。
ガマンしてしまう。
そうではなく、
《自分たちの生きている「世間」や「社会」を
よりいいものにするのは、
私たちの権利であり義務でもあると思っているのです。/(略)
「世間」や「社会」に身をまかさないで戦う必要がある
と僕は思っているのです。》 <同> p.118
私もまた、この意見に賛成で、「長いものには巻かれろ」ではなく、
「誤りは正す」姿勢が大切だ、と考えています。
表題下にも書いていますように、従来の
「右利き偏重社会」を
「左利きにも優しい左右平等、左右共存の社会」に
変えてゆきましょう。
たとえどんな小さなことからでもいいのです。
始めてみましょう
鴻上さんは、こうも書いておられますから。
《小さな戦いが、この国の大きな「世間」をゆさぶり、
変えるきっかけになることは間違いないのです。》
<20 強力な「世間」との戦い方> p.136
そして、「おわりに」には、
《あなたの戦いは、あなただけの戦いではない。》p.189
ともあります。
それを期待して、私もこの戦いを続けたいものです。
*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事
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本誌では、「2022年8月13日国際左利きの日合併号(続) 左利きとアイデンティティ ~《ピープル》シリーズから考える」と題して、今回も全紹介です。
ゼナ・ヘンダースン《ピープル》シリーズについては、前号およびその編集後記でも書いていますので、そちらを参照していただくとして、今回は、左利きとアイデンティティについて書いてきました。
いいたいことは、要するに左利きの私にとっては、この現在あるこの「社会そのもの」が「間違っている」ということで、それを「左利きの人にも優しい社会に変えてゆこう」。
そのためにどん些細なことであっても、おろそかにせず、取り組んでいけたらいいなあ、ということです。
皆様もご協力いただければ嬉しく思います。
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弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。
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(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
2022年8月13日国際左利きの日合併号(続)左利きとアイデンティティ-週刊ヒッキイ第625号
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