2005.10.21「JSCジャパン・サウスポー・クラブのサイト消滅」お茶でっせ版、新生活版でお知らせしましたように、昨年9月末ごろ、ずっと休眠状態の続いていたネット上の左利きのコミュニティのサイトとMLが消滅しました。
その後偶然、私や何人かのMLメンバーが相次いでmixiに参加、そちらで再会をはたしました。
そのひとりからの情報で、元JSC会長氏がブログを始め、その中で以下のような文章を発表していることを知りました。
・2005.10.31 Japan Southpaw Club の存続について思うこと
・2005.11.1 このマークに記憶のあるかた~
(ひだりききコネクション
■このブログは「Japan Sountpaw Club」なるひとりよがりなコミュニティの存続を測るために始めました。)
JSCについては、私も一応の役割を果たしたし、それなりに胸を張って歴史を刻んだことを自慢してよいと思っています。
「左利きの小ネタ」(「お茶でっせ」サイドバー参照)のひでゆきさんから指摘―Japan と銘打つからには、japanをとりまとめる活動が必要だ/左利きにかこつけた飲み会に変わっただけの「集会」―もその通りだと思います。
それが勢いに乗って、次々と仕事を膨らませて行った。
そこまではよかった。
しかし、強い熱情と志(と経済力)に裏打ちされていない、勢いだけで突き進んできた烏合の衆のような集まりはやはり空中分解するしかなかったのでしょう。
従来少数派の中で唯一の組織化されない人々、といわれてきたのが左利きでした。
そういう人がたとえ何百人かでも、MLに登録し、何かを求めたのは事実です。
日本の左利きの歴史をたどってみたとして、このようなことは箱崎先生の左利き友の会以来のことでしょう。
理念と現実の間で空中分解したとしても、これはやはり評価されるべきであったと思います。
・・・
そして今、再開について意見交換しましょうと提言されています。
(少なくとも私はそういう気持ちでやってきたつもりです。)
また、単に左利きの人がくつろげる空間を提供するのなら、そういう場としてもブログは十分機能すると思います。
・・・
要するに自分に思いがあるのなら、とにかく一歩を踏み出すことしかない、のです。
結果として何が付いてくるかです。
そして、そのような結果はずっと後からやってくるものでしかないのです。
何事でも大事なのは、何を考えたかではなく何をしたのか―実行なのです。
実行に移しても、継続はなおむずかしい…。
でも、何度でも出直せばいいのです。
そして、恐れることなくひるむことなく、前へ前へ進む、のです。
・・・
新たな活動に期待しています。
※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「JSCジャパン・サウスポー・クラブ再開?」を転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
その後偶然、私や何人かのMLメンバーが相次いでmixiに参加、そちらで再会をはたしました。
そのひとりからの情報で、元JSC会長氏がブログを始め、その中で以下のような文章を発表していることを知りました。
・2005.10.31 Japan Southpaw Club の存続について思うこと
・2005.11.1 このマークに記憶のあるかた~
(ひだりききコネクション
■このブログは「Japan Sountpaw Club」なるひとりよがりなコミュニティの存続を測るために始めました。)
JSCの活動スタイルとして、MLという閉じた形式にこだわるのは時代にそぐわないだろう。ブログもれっきとしたWebサイトだし、日本の左利きの立ち寄れるラウンジのような役割がJSC(サイト)ではないだろうか?そこは団体の区別が無い交流の場にしたいがどうだろうか?・・・
JSCについては、私も一応の役割を果たしたし、それなりに胸を張って歴史を刻んだことを自慢してよいと思っています。
「左利きの小ネタ」(「お茶でっせ」サイドバー参照)のひでゆきさんから指摘―Japan と銘打つからには、japanをとりまとめる活動が必要だ/左利きにかこつけた飲み会に変わっただけの「集会」―もその通りだと思います。
一番最初は「左聞きが集まるコミュニティ」という漠然とした目的での立ち上げでした。とあるように、「JSC」も当初は、ごく軽い左利きが集まるコミュニティ、いってみれば、<阪神タイガース・ファンが集まる飲み屋>の「乗り」のようなものだったのかもしれません。
それが勢いに乗って、次々と仕事を膨らませて行った。
そこまではよかった。
しかし、強い熱情と志(と経済力)に裏打ちされていない、勢いだけで突き進んできた烏合の衆のような集まりはやはり空中分解するしかなかったのでしょう。
従来少数派の中で唯一の組織化されない人々、といわれてきたのが左利きでした。
そういう人がたとえ何百人かでも、MLに登録し、何かを求めたのは事実です。
日本の左利きの歴史をたどってみたとして、このようなことは箱崎先生の左利き友の会以来のことでしょう。
理念と現実の間で空中分解したとしても、これはやはり評価されるべきであったと思います。
・・・
そして今、再開について意見交換しましょうと提言されています。
「例えば、左利きに関する情報のデータベースの役割がJSC」「例えば、他のコミュニティときちんと交流を持つことが必要」「ひとりよがりじゃないと万人に認めてもらうために、JSCとして何が必要なのかを見直したい。」私の意見は、はじめの記事への雷電太郎さんのコメントとほぼ同じです。
JSCの再興を考えるならば、ビジョンの「議論」をするのではなく、同士が集まるようなビジョンをここで提示できるかだと思います。それに共感すれば仲間は集まり、再興は可能でしょう。また、一人で始めるなら難しいことを考えず、好きなことから始めればいいと思います。理念を持って進めるのなら、より高い志に基づき自分ひとりでも始められると思います。
(少なくとも私はそういう気持ちでやってきたつもりです。)
また、単に左利きの人がくつろげる空間を提供するのなら、そういう場としてもブログは十分機能すると思います。
・・・
要するに自分に思いがあるのなら、とにかく一歩を踏み出すことしかない、のです。
結果として何が付いてくるかです。
そして、そのような結果はずっと後からやってくるものでしかないのです。
何事でも大事なのは、何を考えたかではなく何をしたのか―実行なのです。
実行に移しても、継続はなおむずかしい…。
でも、何度でも出直せばいいのです。
そして、恐れることなくひるむことなく、前へ前へ進む、のです。
・・・
新たな活動に期待しています。
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