古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)
【別冊 編集後記】
2024(令和6)年4月30日号(vol.17 no.8/No.365)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年4月30日号(vol.17 no.8/No.365)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
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今月の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」は引き続き、
陶淵明の詩から「居を移す二首」と
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」を。
(陶淵明 第1回)
2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)
「五柳先生伝」-楽しい読書351号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/09/post-b68999.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d371c2c2141932565db7fac1a67c1150
(第2回)
2023(令和5)年10月31日号(No.352)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/10/post-7e3a1c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/fb0ed419e609fae5ca4d419eb039fc2a
(第3回)
2024(令和6)年2月29日号(No.361)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.2.29
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首(其一・二)」-楽しい読書361号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/02/post-40f92c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/554a8f921e059526fa614aeb7885735b
(第4回)
2024(令和6)年3月31日号(vol.17 no.6/No.363)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首 其の三・其の四」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.3.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首(其三・四)」-楽しい読書363号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/03/post-23dc09.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/983a4bfc7e91c974e60c7924b461f563
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◆ 農事にいそしむ ◆
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)
~ 陶淵明(5) ~
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回の参考文献――
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より
●陶淵明、農事にいそしむ
今回は、隠居後二年で火事にあい、引っ越すこととなり、
その直後に使った詩「居を移す二首」から「其の二」と
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」を紹介しましょう。
「居を移す二首」は、
《引っ越し直後に新しい隣近所の人たちと宴会を開き、
その場で挨拶がわりに“どうぞこれからよろしくお願いします”
と詠んだもののようです。》p.349
●「居を移す二首 其の二」
移居二首 居を移す二首 陶淵明
其二 其の二
春秋多佳日 春秋(しゆんじゆう) 佳日(かじつ)多(おほ)く
登高賦新詩 高(たか)きに登(のぼ)つて新詩(しんし)賦(ふ)す
過門更相呼 門(もん)を過(よぎ)りて更(こも)ごも相(あい)呼(よ)び
有酒斟酌之 酒(さけ)有(あ)らば之(これ)を斟酌(しんしやく)す
春と秋には天気のよい日が多く
小高い所に登って新しい詩を作りたくなる
近所の人々の戸口を訪ねてお互いを呼び合い
そこに酒があれば酌み交わす
《コミュニケーションを円滑にする、
“これからそういうおつき合いをしましょう”と呼びかけている雰囲気》
p.349 だといいます。
農務各自帰 農務(のうむ)には各自(かくじ)帰(かへ)り
閒暇輒相思 閒暇(かんか)には輒(すなは)ち相(あひ)思(おも)ふ
相思則披衣 相(あひ)思(おも)へば
則(すなは)ち衣(ころも)を披(ひら)き
言笑無厭時 言笑(げんしよう) 厭(あ)く時(とき)無(な)し
とはいえ、畑のおつとめがあればそれぞれ自分の畑に戻り
手が空けばその都度、お互いのことを思い出す
思い出せば、着物をはおって出かけ
近所の人同士で談笑し、飽きることがない
此理将不勝 此(こ)の理(り) 将(は)た勝(まさ)らざらんや
無為忽去茲 忽(たちま)ち茲(ここ)を去(さ)るを為(な)す無(なか)らん
衣食当須紀 衣食(いしょく)
当(まさ)に須(すべから)く紀(をさ)むべし
力耕不吾欺 力耕(りよくこう) 吾(われ)を欺(あざむ)かず
こういう生き方の道筋は、さて優れていないか、どうでしょうか
ふいに深い考えもなしに、この村を立ち去るようなことはしません
自分が着るものや食べるものは当然、自分で調えるもの
一心に骨折って農作業する生活は、私たちを欺いたりしませんよね
農作業にいそしみ、《この村でみなさんとずっと一緒に暮らしますよ》
ですから《どうぞよろしく、仲間に入れてください》と、
《彼の社交的な面、公の面》が見られる詩だ、といいます。
●「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」
次は、陶淵明46歳の秋頃の作品。
火事で焼け出され、貧窮し、
いよいよ農作業に力を入れなければならない状況。
儒教は世直しの思想で、この孔子の教えに従い、官吏となりながらも、
乱れた世に志も遂げられず、職をなげうった陶淵明。
この決断も孔子の教え、『論語』に依拠したもので、そこを押さえれば、
この詩はわかりやすい、と宇野さんは言います。
『論語』「泰伯第八」に「天下道有れば則(すなわ)ち見(あらわ)れ、
道無ければ則ち隠る」とあり、
《世の中が治まっている時はどんどん出て行って世直しをすべきだが、
凡人は隠居して農耕生活でもするがよい――
陶淵明はどうやらこの説に従って隠居したのではないか。
ところが実際にそうしてみるとうまくゆかない、
“これはどういうことだ”
と孔子さまに食って掛かっている感じです》p.350
庚戌歳九月中於西田穫早稲 庚戌(こうじゆつ)の年(とし)
九月中(くがつちゆう)
西田(せいでん)に於(お)いて
早稲(そうとう)を穫(か)る 陶淵明
人生帰有道 人生(じんせい) 有道(ゆうどう)に帰(き)す
衣食固其端 衣食(いしょく) 固(もと)より其(そ)の端(たん)なり
孰是都不営 孰(たれ)か是(こ)れ都(すべ)て営(いとな)まずして
而以求自安 而(しか)も以(もつ)て
自(みづか)ら安(やす)んずるを求(もと)めんや
“人は道徳を修めることが肝心だ”と孔子さまは言われた
それはもっともだが、衣食が安定していることがその前提になる筈だ
衣食のことにまったく関わらず、
しかも自分を安心させようとするのは誰か、いやそんな人は誰もいない
冒頭、『論語』への疑問から始まる。
「人生 有道に帰す」は引用。
『論語』「学而第一」で、
《学ぼうとする者は、飽食や美食を求めず、安楽な住まいをも求めず、
やるべき物事はてきぱきと迅速に行い、言葉遣いに気をつけ、
お手本となる立派な人について正す。そうであればこそ、
学ぶのが好きな人と言える》p.352
と、
《学ぶ者は、衣食住にこだわるな、
物質的満足より精神的充実を目指しなさい》p.352
という。
陶淵明はそれに共感していたけれど、実際に暮らしてみると、
どうもそれだけではすまないぞ、と考えるようになった……。
開春理常業 開春(かいしゆん) 常業(じようぎよう)を理(をさ)め
歳功聊可観 歳功(さいこう) 聊(いささ)か観(み)る可(べ)し
晨出肆微勤 晨(あした)に出(い)でて微勤(びきん)を肆(つく)し
日入負耒還 日(ひ)入(い)りて耒(すき)を負(お)うて還(かへ)る
春のはじめから普段の農作業をきちんとすれば、
その年の収穫はまずまず見るべきものになる筈だ
だから私は朝早くから畑に出てささやかな努力を傾け、
日没とともに農具を背負って帰って来る
山中饒霜露 山中(さんちゆう) 霜露(そうろ)饒(おほ)く
風気亦先寒 風気(ふうき)も亦(また) 先(ま)づ寒(さむ)し
田家豈不苦 田家(でんか) 豈(あに) 苦(くる)しからざらんや
弗獲辞此難 此(こ)の難(なん)を辞(じ)するを獲(え)ず
私の家があるのは山の中で、霜や露がことのほか多い
風も空気も平地に先立ってどんどん冷えてしまう
そういう農耕生活がどうして苦しくない筈があろうか、たいへん苦しい
しかしこの難儀を避けることはできない
日々の農作業のつらさを告白します。
四体誠乃疲 四体(したい) 誠(まこと)に乃(すなは)ち疲(つか)る
庶無異患干 庶(こひねが)はくは
異患(いかん)の干(をか)す無(なか)らんことを
盥濯息簷下 盥濯(かんたく)して簷下(えんか)に息(いこ)ひ
斗酒散襟顏 斗酒(としゆ)もて襟顏(きんがん)を散(さん)ず
両手両足がまったくもうくたくたである
どうかこの上は、よきせぬ災いが襲うことのないよう願いたい
一日の終わりに手や足を洗いすすぎ、家の軒下で休み、
お酒を飲んで心と表情をくつろがせる
「斗酒」=少量の酒、これが唯一の楽しみだ、と。
遥遥沮溺心 遥遥(ようよう)たる沮溺(そでき)の心(こころ)
千載乃相関 千載(せんざい) 乃(すなは)ち相関(あひかか)はる
但願常如此 但だ願ふ 常に此の如きを
躬耕非所歎 躬耕は歎ずる所に非ず
こういう生活を続ける中で、遙か昔、孔子に批判的であった隠者、
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)の気持ちが
千年の隔たりを超えてなんとまあ、今ごろ私と通い合った
いつまでもこういう生活が続くことをひとえに願う
私は農作業については、歎くべきこととは思っていない
孔子に批判的であった隠者、長沮と桀溺とは、『論語』「微子第十八」に
道に迷った孔子一行が、農作業中の二人に道を尋ねると、
《「孔子なら中国全体をわたり歩いているから、
道は知っている筈だろう」と道を教えてくれませんでした。》p.354
という二人で、彼らは孔子の生き方に賛成せず、
《「世の中は悪い方に流れていて、もう正すことはできない。
無理して世直しするのではなく、わしらのように宮仕えせず、
農作業をして生きる方がいい」》p.354
それに対して孔子は、
《「われわれは人である限り、完全に世の中を避けることはできない。
鳥や獣と一緒に暮らすのは無理だ。私はあくまで人間たちとともに
いきてゆきたい。だから世直しを志しているんだ」》p.354
で、陶淵明は千年を隔てて、この長沮と桀溺の気持ちが分かった、
というのです。
とはいえ陶淵明は、元は孔子の教えに従い隠居生活に入った身、
隠者にはなりきれず、新しい村の人たちとやって行こう、
という気持ちでいます。
新しい生活に馴染んでいこうという思いでいます。
前回紹介しました「園田の居に帰る五首」では、
《観念的な理想や、隠居後の折々の感慨を述べた》p.355
陶淵明でしたが、
《方向性が出ていない印象がありました。
それがこの辺から農作業の実体験を通じて、
本当の生き方を探る方向性がとりあえず見えて来たのか。
なんとなく生き方の糸口がつかめましたよ、
と孔子さまに報告しているのかな。それを借り物でなく、
自分の言葉で述懐しはじめたのかもしれません。》pp.355-356
というのが、解説の宇野さんの言葉です。
・・・
生きるというのは、志を貫くにこしたことはないのでしょうけれど、
いざ、実際に生活を続けていくことは大変で、様々な問題もあり、
初志貫徹がなるものでもない、志は大切ですが、
一方で現実の中で生きていくためには、お金も必要ですし、
志だけでは生きていけません。
ある程度あきらめながら、どこかで現実とのあいだで、
折り合いを付けていかなければならない。
その辺の迷いなども徐々にその詩の中に出て来るようです。
次回は、その辺の心境を歌っているような作品を見て行ければ、
と思います。
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首 其の二」「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」 」と題して、今回も全文転載紹介です。
今回も田舎に帰った陶淵明さんの詩です。
田舎で農作業に日々を過ごす隠居さん、といえば今もあこがれる人が結構いそうな気がします。
しかし、これも作物が順調に育ってのことで、ひとたび天候不順や病虫害に見舞われれば、一年の苦労があっという間に水の泡ともなりかねず、なかなか大変な毎日が続きます。
孔子の教えに従いながらの日々の中で、そんな苦労も垣間見れる状況を描いています。
スローライフとか、田舎暮らしについて、色々と言われる時代ではありますが、いつの時代であっても、どこに行っても、人生とは苦労の種が尽きないもの。
強いて言えば、健康でさえあればなんとか我慢できるのかなあ、という感じですね。
・・・
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首」他-楽しい読書365号
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【別冊 編集後記】
2024(令和6)年4月30日号(vol.17 no.8/No.365)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年4月30日号(vol.17 no.8/No.365)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
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今月の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」は引き続き、
陶淵明の詩から「居を移す二首」と
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」を。
(陶淵明 第1回)
2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)
「五柳先生伝」-楽しい読書351号
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(第2回)
2023(令和5)年10月31日号(No.352)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号
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(第3回)
2024(令和6)年2月29日号(No.361)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.2.29
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首(其一・二)」-楽しい読書361号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/02/post-40f92c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/554a8f921e059526fa614aeb7885735b
(第4回)
2024(令和6)年3月31日号(vol.17 no.6/No.363)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首 其の三・其の四」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.3.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首(其三・四)」-楽しい読書363号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/03/post-23dc09.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/983a4bfc7e91c974e60c7924b461f563
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◆ 農事にいそしむ ◆
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)
~ 陶淵明(5) ~
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回の参考文献――
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より
●陶淵明、農事にいそしむ
今回は、隠居後二年で火事にあい、引っ越すこととなり、
その直後に使った詩「居を移す二首」から「其の二」と
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」を紹介しましょう。
「居を移す二首」は、
《引っ越し直後に新しい隣近所の人たちと宴会を開き、
その場で挨拶がわりに“どうぞこれからよろしくお願いします”
と詠んだもののようです。》p.349
●「居を移す二首 其の二」
移居二首 居を移す二首 陶淵明
其二 其の二
春秋多佳日 春秋(しゆんじゆう) 佳日(かじつ)多(おほ)く
登高賦新詩 高(たか)きに登(のぼ)つて新詩(しんし)賦(ふ)す
過門更相呼 門(もん)を過(よぎ)りて更(こも)ごも相(あい)呼(よ)び
有酒斟酌之 酒(さけ)有(あ)らば之(これ)を斟酌(しんしやく)す
春と秋には天気のよい日が多く
小高い所に登って新しい詩を作りたくなる
近所の人々の戸口を訪ねてお互いを呼び合い
そこに酒があれば酌み交わす
《コミュニケーションを円滑にする、
“これからそういうおつき合いをしましょう”と呼びかけている雰囲気》
p.349 だといいます。
農務各自帰 農務(のうむ)には各自(かくじ)帰(かへ)り
閒暇輒相思 閒暇(かんか)には輒(すなは)ち相(あひ)思(おも)ふ
相思則披衣 相(あひ)思(おも)へば
則(すなは)ち衣(ころも)を披(ひら)き
言笑無厭時 言笑(げんしよう) 厭(あ)く時(とき)無(な)し
とはいえ、畑のおつとめがあればそれぞれ自分の畑に戻り
手が空けばその都度、お互いのことを思い出す
思い出せば、着物をはおって出かけ
近所の人同士で談笑し、飽きることがない
此理将不勝 此(こ)の理(り) 将(は)た勝(まさ)らざらんや
無為忽去茲 忽(たちま)ち茲(ここ)を去(さ)るを為(な)す無(なか)らん
衣食当須紀 衣食(いしょく)
当(まさ)に須(すべから)く紀(をさ)むべし
力耕不吾欺 力耕(りよくこう) 吾(われ)を欺(あざむ)かず
こういう生き方の道筋は、さて優れていないか、どうでしょうか
ふいに深い考えもなしに、この村を立ち去るようなことはしません
自分が着るものや食べるものは当然、自分で調えるもの
一心に骨折って農作業する生活は、私たちを欺いたりしませんよね
農作業にいそしみ、《この村でみなさんとずっと一緒に暮らしますよ》
ですから《どうぞよろしく、仲間に入れてください》と、
《彼の社交的な面、公の面》が見られる詩だ、といいます。
●「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」
次は、陶淵明46歳の秋頃の作品。
火事で焼け出され、貧窮し、
いよいよ農作業に力を入れなければならない状況。
儒教は世直しの思想で、この孔子の教えに従い、官吏となりながらも、
乱れた世に志も遂げられず、職をなげうった陶淵明。
この決断も孔子の教え、『論語』に依拠したもので、そこを押さえれば、
この詩はわかりやすい、と宇野さんは言います。
『論語』「泰伯第八」に「天下道有れば則(すなわ)ち見(あらわ)れ、
道無ければ則ち隠る」とあり、
《世の中が治まっている時はどんどん出て行って世直しをすべきだが、
凡人は隠居して農耕生活でもするがよい――
陶淵明はどうやらこの説に従って隠居したのではないか。
ところが実際にそうしてみるとうまくゆかない、
“これはどういうことだ”
と孔子さまに食って掛かっている感じです》p.350
庚戌歳九月中於西田穫早稲 庚戌(こうじゆつ)の年(とし)
九月中(くがつちゆう)
西田(せいでん)に於(お)いて
早稲(そうとう)を穫(か)る 陶淵明
人生帰有道 人生(じんせい) 有道(ゆうどう)に帰(き)す
衣食固其端 衣食(いしょく) 固(もと)より其(そ)の端(たん)なり
孰是都不営 孰(たれ)か是(こ)れ都(すべ)て営(いとな)まずして
而以求自安 而(しか)も以(もつ)て
自(みづか)ら安(やす)んずるを求(もと)めんや
“人は道徳を修めることが肝心だ”と孔子さまは言われた
それはもっともだが、衣食が安定していることがその前提になる筈だ
衣食のことにまったく関わらず、
しかも自分を安心させようとするのは誰か、いやそんな人は誰もいない
冒頭、『論語』への疑問から始まる。
「人生 有道に帰す」は引用。
『論語』「学而第一」で、
《学ぼうとする者は、飽食や美食を求めず、安楽な住まいをも求めず、
やるべき物事はてきぱきと迅速に行い、言葉遣いに気をつけ、
お手本となる立派な人について正す。そうであればこそ、
学ぶのが好きな人と言える》p.352
と、
《学ぶ者は、衣食住にこだわるな、
物質的満足より精神的充実を目指しなさい》p.352
という。
陶淵明はそれに共感していたけれど、実際に暮らしてみると、
どうもそれだけではすまないぞ、と考えるようになった……。
開春理常業 開春(かいしゆん) 常業(じようぎよう)を理(をさ)め
歳功聊可観 歳功(さいこう) 聊(いささ)か観(み)る可(べ)し
晨出肆微勤 晨(あした)に出(い)でて微勤(びきん)を肆(つく)し
日入負耒還 日(ひ)入(い)りて耒(すき)を負(お)うて還(かへ)る
春のはじめから普段の農作業をきちんとすれば、
その年の収穫はまずまず見るべきものになる筈だ
だから私は朝早くから畑に出てささやかな努力を傾け、
日没とともに農具を背負って帰って来る
山中饒霜露 山中(さんちゆう) 霜露(そうろ)饒(おほ)く
風気亦先寒 風気(ふうき)も亦(また) 先(ま)づ寒(さむ)し
田家豈不苦 田家(でんか) 豈(あに) 苦(くる)しからざらんや
弗獲辞此難 此(こ)の難(なん)を辞(じ)するを獲(え)ず
私の家があるのは山の中で、霜や露がことのほか多い
風も空気も平地に先立ってどんどん冷えてしまう
そういう農耕生活がどうして苦しくない筈があろうか、たいへん苦しい
しかしこの難儀を避けることはできない
日々の農作業のつらさを告白します。
四体誠乃疲 四体(したい) 誠(まこと)に乃(すなは)ち疲(つか)る
庶無異患干 庶(こひねが)はくは
異患(いかん)の干(をか)す無(なか)らんことを
盥濯息簷下 盥濯(かんたく)して簷下(えんか)に息(いこ)ひ
斗酒散襟顏 斗酒(としゆ)もて襟顏(きんがん)を散(さん)ず
両手両足がまったくもうくたくたである
どうかこの上は、よきせぬ災いが襲うことのないよう願いたい
一日の終わりに手や足を洗いすすぎ、家の軒下で休み、
お酒を飲んで心と表情をくつろがせる
「斗酒」=少量の酒、これが唯一の楽しみだ、と。
遥遥沮溺心 遥遥(ようよう)たる沮溺(そでき)の心(こころ)
千載乃相関 千載(せんざい) 乃(すなは)ち相関(あひかか)はる
但願常如此 但だ願ふ 常に此の如きを
躬耕非所歎 躬耕は歎ずる所に非ず
こういう生活を続ける中で、遙か昔、孔子に批判的であった隠者、
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)の気持ちが
千年の隔たりを超えてなんとまあ、今ごろ私と通い合った
いつまでもこういう生活が続くことをひとえに願う
私は農作業については、歎くべきこととは思っていない
孔子に批判的であった隠者、長沮と桀溺とは、『論語』「微子第十八」に
道に迷った孔子一行が、農作業中の二人に道を尋ねると、
《「孔子なら中国全体をわたり歩いているから、
道は知っている筈だろう」と道を教えてくれませんでした。》p.354
という二人で、彼らは孔子の生き方に賛成せず、
《「世の中は悪い方に流れていて、もう正すことはできない。
無理して世直しするのではなく、わしらのように宮仕えせず、
農作業をして生きる方がいい」》p.354
それに対して孔子は、
《「われわれは人である限り、完全に世の中を避けることはできない。
鳥や獣と一緒に暮らすのは無理だ。私はあくまで人間たちとともに
いきてゆきたい。だから世直しを志しているんだ」》p.354
で、陶淵明は千年を隔てて、この長沮と桀溺の気持ちが分かった、
というのです。
とはいえ陶淵明は、元は孔子の教えに従い隠居生活に入った身、
隠者にはなりきれず、新しい村の人たちとやって行こう、
という気持ちでいます。
新しい生活に馴染んでいこうという思いでいます。
前回紹介しました「園田の居に帰る五首」では、
《観念的な理想や、隠居後の折々の感慨を述べた》p.355
陶淵明でしたが、
《方向性が出ていない印象がありました。
それがこの辺から農作業の実体験を通じて、
本当の生き方を探る方向性がとりあえず見えて来たのか。
なんとなく生き方の糸口がつかめましたよ、
と孔子さまに報告しているのかな。それを借り物でなく、
自分の言葉で述懐しはじめたのかもしれません。》pp.355-356
というのが、解説の宇野さんの言葉です。
・・・
生きるというのは、志を貫くにこしたことはないのでしょうけれど、
いざ、実際に生活を続けていくことは大変で、様々な問題もあり、
初志貫徹がなるものでもない、志は大切ですが、
一方で現実の中で生きていくためには、お金も必要ですし、
志だけでは生きていけません。
ある程度あきらめながら、どこかで現実とのあいだで、
折り合いを付けていかなければならない。
その辺の迷いなども徐々にその詩の中に出て来るようです。
次回は、その辺の心境を歌っているような作品を見て行ければ、
と思います。
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首 其の二」「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」 」と題して、今回も全文転載紹介です。
今回も田舎に帰った陶淵明さんの詩です。
田舎で農作業に日々を過ごす隠居さん、といえば今もあこがれる人が結構いそうな気がします。
しかし、これも作物が順調に育ってのことで、ひとたび天候不順や病虫害に見舞われれば、一年の苦労があっという間に水の泡ともなりかねず、なかなか大変な毎日が続きます。
孔子の教えに従いながらの日々の中で、そんな苦労も垣間見れる状況を描いています。
スローライフとか、田舎暮らしについて、色々と言われる時代ではありますが、いつの時代であっても、どこに行っても、人生とは苦労の種が尽きないもの。
強いて言えば、健康でさえあればなんとか我慢できるのかなあ、という感じですね。
・・・
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首」他-楽しい読書365号
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