2月17日に見たネットニュースにカチンときたので、書いてみます。
このようなニュースの取り上げ方に、多数派・主流派の傲慢さ、おごりのようなものを感じてしまうのは、少数派・非主流派の左利きである私のひがみでしょうか。
------------------------------------------------------------
(カチンときたニュース)
●左利き対応の要望は「理不尽なクレーム」か?
●お店の格により対応は違う?
●「事前に一言尋ねれば済む」問題では?
●「普通」って何?――
時代によって、構成員によって「標準」は変わる
●左利きに配慮した教科書の登場
●他社の左利き対応の状況について
●受け入れる時代――教科書採択についての議事録より
------------------------------------------------------------
カチンときたニュース
↓
定食屋でクレームをつけた男性客 意味不明な内容に「出禁にすべき」
---
和食の配膳位置といえば、ご飯茶碗を左手前、汁物を右手前に配置するのが一般的だろう。
中には利き手によって配置を変える人もいるが、飲食店などで利き手を把握してもらうことは難しい。
『Yahoo!知恵袋』では定食屋で起こった出来事について相談が寄せられている。
■左利きの男性客がクレーム
定食屋で遭遇した出来事についてつづった投稿者。
隣に座った男性客が注文を済ませ、店員からトレイに乗った料理が提供された際に「ちょっと、右利き前提で置いてるけどこの置き方だと左利きの人は食べづらいでしょうが」とクレームを付けていたという。
■さらに言葉は続き…
男性の言葉はまだ続き、「左利きは茶碗を右手で持つでしょ?
右手が味噌汁の器に当たらないようにご飯を右、味噌汁を左にして持ってくるのが普通でしょ。
おたくらは客を相手にしてるんだから」ときつく当たっていたそうだ。
もちろん、店員は男性が左利きであることは知りもしないため、「店内中がドン引きしていた」と状況を振り返り語った。
■「出禁にすべき」との意見も
サービス業とはいえ、来店する客の利き手まで気にしている余裕はないだろう。
この投稿を受けて、ユーザーからは
「単なるクレーマーです。出入り禁止にするレベルだと思います」
「世間一般は右利きが多いからご飯は左に置くのが普通でしょう」
と店員に同情する声が多く寄せられた。
■お客様は神様?
今回の件のように、客という立場を利用して理不尽なクレームをつけるケースは少なくない。
しらべぇ編集部が全国の20~60代の男女1,365名を対象に調査を実施したところ、全体の6.3%が「お客様は神様だから偉そうにしてもいいと思う」と回答。
数値としては1割以下だが、「お客様は神様」という概念を持つ人は一定数いるようだ。
男性を接客していた店員はもちろん、投稿者含め周りにいた客も不快な思いをしたに違いない。
自らの行動を省みるべきだろう。
(文/しらべぇ編集部・稲葉 白兎)
---
●左利き対応の要望は「理不尽なクレーム」か?
私自身は、「お客様は神様」だという意識はありませんが、「お客さんはみな同じ人間であり、平等な権利を持つ存在だ」というふうには考えています。
ここでは、私は、左利き対応についての要望を、単純に「理不尽なクレーム」と一緒にする感覚が怖い、と思います。
まず最初にいわなければならないことは、「同じ料金を払っていて、同じレベルのサービスを受けられないのはおかしい」ということです。
右利きの人も左利きの人も同じ料金を払っている。
にもかかわらず、左利きの人は「そのままでは食べにくい」という一段下の異なる対応をされている、というが現実です。
そもそも配膳における食器類の置き方は、食べる人が「食べやすいように、粗相をしないように」という配慮から考え出されたものです。
右利きの人が多数派なので、「右利き仕様の置き方」が「標準」とされている、ということです。
今回のケースのように、左利きの人への対応を求める意見を「理不尽なクレーム」と受け止める人は、たぶん右利きの人でしょう。
右利きの人の多くは、自分が運良く主流派の右利きに生まれ、主流派の右利き故に、右利き偏重の現状の社会にあって恵まれた立場にある、という事実を認識していないのです。
左利きの人は誰も、左利きに生まれようとして生まれてきたのではありません。
同様に、右利きの人もそうです。
偶然の結果です。
自分自身が、社会の主流派に属し、恵まれた立場にあると自覚していれば、おのずからその事実に感謝の気持ちを抱き、そうではない人に対する思いやりの気持ちも生まれるでしょう。
少数派の非主流派の人からの要望や要求を直ちに「理不尽なクレーム」扱いをするのは、やはり間違っているのではないでしょうか。
あまりこういう書き方はしたくないのですけれど、もしこれが障害者からのクレームならば、ネットの反応も違ったものになっているのではないでしょうか。
建前で物を言う人も多いので。
ところが、左利きの問題となりますと、左利きに対する認識不足もあり、単なるわがままとか自分勝手と受け止める人も多いようです。
このお客さんの言い方にも問題はあったかもしれません。
ただ、そういう事情は抜きにして、単純に「左利き対応への要望」を「不当なこと」でもあるかのように取り上げるのは間違っている、と思います。
●お店の格により対応は違う?
もちろん、店には格というものがあります。
そこらの定食屋で、左利き対応を求めるのは、現状の社会通念では、「野暮」というものかもしれません。
しかし、ある程度の格の店なら、お客さんに合わせて配慮しても罰は当たらないでしょう。
たとえば、銀座の名店、ミシュラン三つ星の常連「すきやばし次郎」は、店主自身が左利きということもあり、客をみて、左利きの客には、左向きに寿司を出すといいます。
--
《左利きのお客には握りを「ノ」の字のように斜めに置き、
つかみやすくする……。》
宇佐美伸/著『すきやばし次郎 鮨を語る』文春新書 2009.10.20
というもの。
ふつうにぎりずしを並べる際は、
右手(に持った箸)で取りやすいように、
「\\\…」
という角度に並べます。
ところが、二郎さんは、相手に合わせて出すというのです。
《山本:(略)真っ直ぐに置かずに、
客が手でつまみやすいように、
ちょっと角度をつけて置かれます。
(略)あれは意識して置かれているんですよね。
二郎:はい。
山本:その最初の一個を左利きで召し上がるお客様だったら、
すかさず二個目からは……。
二郎:左に向けます。》
山本益博/著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書 2003
--
(左利きメルマガ)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第539号(No.539) 2019/4/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~11 左利きの寿司職人・すきやばし次郎(後)」
より
この場合は、お客さんを目の前にした寿司屋さんならでは、という特殊な条件もありますけれど。
●「事前に一言尋ねれば済む」問題では?
「店員が客の利き手を知らないのは当然」と受け取る感覚も、どうかという気がします。
「サービス業とはいえ、来店する客の利き手まで気にしている余裕はないだろう。」
なるほど、お昼時、大勢の客が殺到する様な定食屋さんではいちいちお客さんの利き手まで確認していられないかもしれません。
しかし、入店時に、「何人さまですか」とか「おタバコは?」などと確認して、席までお客さんを案内するような店なら、そのときに、あるいは、注文をとるときに、「右利きでお食べですか、左ですか」と訊いてもいいのではないでしょうか。
一人一人に「右利きか左利きか」と訊かなくても、グループなら「左利きの方はいらっしゃいますか」と訊く。
一人に訊く場合でも、「左利きで召し上がりますか」。
もっと簡単に「左で召し上がりますか」でも理解できるでしょう。
いちいち訊くのは面倒だというのなら、店頭の目に立つところに「左利き対応をお望みの方はその旨お申し付けください」と張り出すなり、メニューの始めにでも明記しておくという方法もあるでしょう。
もちろん現状では、「右利きに決まってるやろ、当たり前やないか」と「ふざけたこと聞くな」というバカにするようなお客さんも出てくるでしょうけれど。
しかし、いずれは、格の高いお店なら、お客さんの利き手を確認して配膳する、というサービスを標準とするところも出てくることでしょう。
今でも、あるレストランでは、予約の際にちゃんと「利き手は?」と訊いてくれて、当日には、ナイフとフォークを左右入れ替えてあり、食べやすく嬉しかった、という意見をネットで見かけた記憶があります。
そういえば、ステーキの焼き加減をお客さんの好みに合わせてくれるようなレストランなら、お客さんの利き手を確認して、ナイフとフォークの並べ方をかえるぐらいのサービスは、当然のこととして対応できるでしょう。
要するに、「事前に一言尋ねれば済む」問題、でもありますからね。
仮に左利き対応することになっても、現場が大混乱するということはないでしょう。
なぜなら、左利きはせいぜい10%程度といわれています。
左利き対応するお客さんの数も、それぐらいでしょう。
残りの大半のお客さんは今まで通りの対応でいいのですから。
結局、そういう少数派への配慮を当然のことと考えられるかどうかの人間性の問題です。
あるいは、人間としての優しさの違い、という言い方もできるでしょうか。
●「普通」って何?――時代によって、構成員によって「標準」は変わる
「世間一般は右利きが多いからご飯は左に置くのが普通でしょう」というのも、気になります。
確かにそれが多数派であることは確かですが、だからといって、常にそれが「正解」とは限らないのも事実です。
先にも書きましたが、今の「正式」とされる配膳は、必ずしも「絶対的な正しい」作法ではない、ということです。
右利きの人が多数派なので、それにあわせた一般的な場における「標準」になっているだけのことです。
それは、「標準語」が「正しい日本語」で、「方言」が「間違った日本語」だ、というわけではないように、一つの標準を意味しているだけのことです。
社会における「標準」というのは、社会における「最大公約数」ではないでしょうか。
「偶数」のみの数のグループにおける最大公約数は「偶数」です。
たとえば、6と12なら、最大公約数は6で、偶数。
しかし、一つ奇数が入ると、その数のグループの最大公約数は、「奇数」になります。
先の6と12のグループに、9という奇数が入ると、その数のグループの最大公約数は3という奇数です。
最大公約数はそのように、構成する数という要素により異なってきます。
社会の標準も、構成員が様々に変化すれば、標準も変化するのです。
構成員が「右利きの人のみ」なら、標準は「右利き仕様のみ」でいいでしょう。
しかし、左利きの人が加われば、それでは困ります。
「右利き仕様のみ」ではなく、左利きにも不都合のない「左右両方で使えるもの」になって欲しいのです。
これからは、多様性の時代です。
男女同権とか、障害者や社会的弱者に優しい社会になっていくべきでしょう。
食事の際の対応にしましても、同じです。
8月13日「国際左利きの日」に、左利きの人に敬意を表し、左利きの人が食べやすいように「お箸を左右逆さまに置くイベント」を実施する
LEFTEOUS(facebook)
という活動がありました。
そういう考えを拡げ実践しようという人たちもいます。
私にいわせれば、こういう「○○が普通」といった物言い自体に多数派・主流派のおごりが感じられます。
昔、何かの会や団体では、(下は児童会や生徒会から始まり、たいていの男女が関わる団体では)「会長は男性、副会長が女性」というのが、当たり前だったことがあります。
さらにいえば、今たいていのお店には、「盲導犬・介助犬以外の動物の入店はお断りします」とあります。
昔は、盲導犬であろうが介助犬であろうが、動物の入店は断られたものでした。
どのような種類の動物であろうと、動物の入店がダメなのは「普通」であり「当たり前」だったものです。
このように時代によって、「普通」の中身は変わります。
昔は、問答無用で「左利きは直すもの」とされました。
しかし今では、左利きという性質が、脳神経系に関わる固有の性質で、意思でどうにかなるものではない、という事実が知られるようになり、左利きは左利きのままでいい、という考えが普及してきました。
そして、左利きの人のために左利き用に道具を普及させようと、2月10日は「左利きグッズの日」という記念日も知られるようになりました。
*参考:
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.2.8
2020年2月10日は令和初の〈左利きグッズの日〉-文末に嬉しい情報あり
これからの時代は、多様性の容認の時代と言われています。
「みんなのためのデザイン」を目指すというユニバーサルデザインの考え方には、左利きの人も含まれています。
ところが、まだまだ左利きへの理解が不十分なケースが見られます。
左利きへの理解も含めて、まずは「心のバリアフリー」が必要です。
●左利きに配慮した教科書の登場
左利きへの理解を進める意味でも重要だ、と私が考えていることに「学校教科書に左利きの事例を入れるという」事項があります。
学校教科書は誰もが目にするものであり、教科書に書かれていることは物事の基準となるもの、と考えられます。
そこに記載されるということは、その時点で「左利きが公認された」という意味を持ちます。
学校教科書、なかでも小学一年生の書写教科書に、学問の道具ともいうべき「字を書く」という技術の例として、左手書き・左利きの例を入れるということが重要だ、と考えています。
従来は、右手書き・右利きの例だけでした。
まるで、左手で字を書く人がいないかのように、もしくは、左手で字を書くことはいけないことであるかのように。
しかし左手書字例が実現すれば、時代を担う子供たちが教科書の左右の例を見ることで、世の中には右手で字を書く人もいれば、左手で字を書く人もいるのだという事実を知り、左利きへの理解も進むでしょう。
それだけではなく、左利き以外の様々な多様性への理解にもつなげて行くことができるのではないでしょうか。
そして今年初めて、東京書籍の令和2年版小学一年書写教科書で、左手に鉛筆を持つ左利きの写真例が掲載されたものが登場します。
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.2.9
左利きへの配慮がなされた東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」
に書いています。
(画像:東京書籍令和2年版小学一年書写教科書の左手書き・左利き例)
と東京書籍の書写教科書サイトにあります。
私にいわせれば、当たり前のことなのですが、それがやっと実現したというのが、現状です。
●他社の左利き対応の状況について
左利き対応に限って、小学書写教科書を五社についてネットで見てみました。
東京書籍は、すでに報告していますように、左手書字例を写真で入れる等の対応をしています。
学校図書は、「硬筆学習用の書き込み欄を、教材文字の真下に配置することで、利き腕を問わず、教材文字が手で隠れないようにしました。」
日本文教出版は、「教科書への書き込み欄を手本文字の下に配置し,右利きでも左利きでも手本を見ながら書けるようにレイアウトが工夫されている。」
この二社は、書き込み欄の位置を工夫しています。
教育出版は、「教師向け指導資料」としてPDFで、「〔硬筆編〕見落としがちな左利きの持ち方の指導」「〔毛筆編〕姿勢,筆の持ち方,左利きの指導例」というように、教師向けの資料でのみ対応しています。
光村図書出版は、特に記載がありませんでした。
これだけでいうのはどうかという気もしますが、世間の左利きへの関心はまだまだ低く、左利きに対する正しい認識も不足していると、私には思われます。
●受け入れる時代――教科書採択についての議事録より
最後に、こういう言葉を紹介しておきましょう。
こちらの小学校教科書採択についての議事録より
↓
掛川市教育委員会定例会議事録
(1) 令和2~5年度使用の小学校教科書採択について
【家庭】「東京書籍」
(画像:東京書籍の家庭科の教科書の左手例)
--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
左利き対応への要望は「理不尽なクレーム」か?
--
このようなニュースの取り上げ方に、多数派・主流派の傲慢さ、おごりのようなものを感じてしまうのは、少数派・非主流派の左利きである私のひがみでしょうか。
------------------------------------------------------------
(カチンときたニュース)
●左利き対応の要望は「理不尽なクレーム」か?
●お店の格により対応は違う?
●「事前に一言尋ねれば済む」問題では?
●「普通」って何?――
時代によって、構成員によって「標準」は変わる
●左利きに配慮した教科書の登場
●他社の左利き対応の状況について
●受け入れる時代――教科書採択についての議事録より
------------------------------------------------------------
カチンときたニュース
↓
定食屋でクレームをつけた男性客 意味不明な内容に「出禁にすべき」
---
和食の配膳位置といえば、ご飯茶碗を左手前、汁物を右手前に配置するのが一般的だろう。
中には利き手によって配置を変える人もいるが、飲食店などで利き手を把握してもらうことは難しい。
『Yahoo!知恵袋』では定食屋で起こった出来事について相談が寄せられている。
■左利きの男性客がクレーム
定食屋で遭遇した出来事についてつづった投稿者。
隣に座った男性客が注文を済ませ、店員からトレイに乗った料理が提供された際に「ちょっと、右利き前提で置いてるけどこの置き方だと左利きの人は食べづらいでしょうが」とクレームを付けていたという。
■さらに言葉は続き…
男性の言葉はまだ続き、「左利きは茶碗を右手で持つでしょ?
右手が味噌汁の器に当たらないようにご飯を右、味噌汁を左にして持ってくるのが普通でしょ。
おたくらは客を相手にしてるんだから」ときつく当たっていたそうだ。
もちろん、店員は男性が左利きであることは知りもしないため、「店内中がドン引きしていた」と状況を振り返り語った。
■「出禁にすべき」との意見も
サービス業とはいえ、来店する客の利き手まで気にしている余裕はないだろう。
この投稿を受けて、ユーザーからは
「単なるクレーマーです。出入り禁止にするレベルだと思います」
「世間一般は右利きが多いからご飯は左に置くのが普通でしょう」
と店員に同情する声が多く寄せられた。
■お客様は神様?
今回の件のように、客という立場を利用して理不尽なクレームをつけるケースは少なくない。
しらべぇ編集部が全国の20~60代の男女1,365名を対象に調査を実施したところ、全体の6.3%が「お客様は神様だから偉そうにしてもいいと思う」と回答。
数値としては1割以下だが、「お客様は神様」という概念を持つ人は一定数いるようだ。
男性を接客していた店員はもちろん、投稿者含め周りにいた客も不快な思いをしたに違いない。
自らの行動を省みるべきだろう。
(文/しらべぇ編集部・稲葉 白兎)
---
●左利き対応の要望は「理不尽なクレーム」か?
私自身は、「お客様は神様」だという意識はありませんが、「お客さんはみな同じ人間であり、平等な権利を持つ存在だ」というふうには考えています。
ここでは、私は、左利き対応についての要望を、単純に「理不尽なクレーム」と一緒にする感覚が怖い、と思います。
まず最初にいわなければならないことは、「同じ料金を払っていて、同じレベルのサービスを受けられないのはおかしい」ということです。
右利きの人も左利きの人も同じ料金を払っている。
にもかかわらず、左利きの人は「そのままでは食べにくい」という一段下の異なる対応をされている、というが現実です。
そもそも配膳における食器類の置き方は、食べる人が「食べやすいように、粗相をしないように」という配慮から考え出されたものです。
右利きの人が多数派なので、「右利き仕様の置き方」が「標準」とされている、ということです。
今回のケースのように、左利きの人への対応を求める意見を「理不尽なクレーム」と受け止める人は、たぶん右利きの人でしょう。
右利きの人の多くは、自分が運良く主流派の右利きに生まれ、主流派の右利き故に、右利き偏重の現状の社会にあって恵まれた立場にある、という事実を認識していないのです。
左利きの人は誰も、左利きに生まれようとして生まれてきたのではありません。
同様に、右利きの人もそうです。
偶然の結果です。
自分自身が、社会の主流派に属し、恵まれた立場にあると自覚していれば、おのずからその事実に感謝の気持ちを抱き、そうではない人に対する思いやりの気持ちも生まれるでしょう。
少数派の非主流派の人からの要望や要求を直ちに「理不尽なクレーム」扱いをするのは、やはり間違っているのではないでしょうか。
あまりこういう書き方はしたくないのですけれど、もしこれが障害者からのクレームならば、ネットの反応も違ったものになっているのではないでしょうか。
建前で物を言う人も多いので。
ところが、左利きの問題となりますと、左利きに対する認識不足もあり、単なるわがままとか自分勝手と受け止める人も多いようです。
このお客さんの言い方にも問題はあったかもしれません。
ただ、そういう事情は抜きにして、単純に「左利き対応への要望」を「不当なこと」でもあるかのように取り上げるのは間違っている、と思います。
●お店の格により対応は違う?
もちろん、店には格というものがあります。
そこらの定食屋で、左利き対応を求めるのは、現状の社会通念では、「野暮」というものかもしれません。
しかし、ある程度の格の店なら、お客さんに合わせて配慮しても罰は当たらないでしょう。
たとえば、銀座の名店、ミシュラン三つ星の常連「すきやばし次郎」は、店主自身が左利きということもあり、客をみて、左利きの客には、左向きに寿司を出すといいます。
--
《左利きのお客には握りを「ノ」の字のように斜めに置き、
つかみやすくする……。》
宇佐美伸/著『すきやばし次郎 鮨を語る』文春新書 2009.10.20
というもの。
ふつうにぎりずしを並べる際は、
右手(に持った箸)で取りやすいように、
「\\\…」
という角度に並べます。
ところが、二郎さんは、相手に合わせて出すというのです。
《山本:(略)真っ直ぐに置かずに、
客が手でつまみやすいように、
ちょっと角度をつけて置かれます。
(略)あれは意識して置かれているんですよね。
二郎:はい。
山本:その最初の一個を左利きで召し上がるお客様だったら、
すかさず二個目からは……。
二郎:左に向けます。》
山本益博/著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書 2003
--
(左利きメルマガ)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第539号(No.539) 2019/4/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~11 左利きの寿司職人・すきやばし次郎(後)」
より
この場合は、お客さんを目の前にした寿司屋さんならでは、という特殊な条件もありますけれど。
●「事前に一言尋ねれば済む」問題では?
「店員が客の利き手を知らないのは当然」と受け取る感覚も、どうかという気がします。
「サービス業とはいえ、来店する客の利き手まで気にしている余裕はないだろう。」
なるほど、お昼時、大勢の客が殺到する様な定食屋さんではいちいちお客さんの利き手まで確認していられないかもしれません。
しかし、入店時に、「何人さまですか」とか「おタバコは?」などと確認して、席までお客さんを案内するような店なら、そのときに、あるいは、注文をとるときに、「右利きでお食べですか、左ですか」と訊いてもいいのではないでしょうか。
一人一人に「右利きか左利きか」と訊かなくても、グループなら「左利きの方はいらっしゃいますか」と訊く。
一人に訊く場合でも、「左利きで召し上がりますか」。
もっと簡単に「左で召し上がりますか」でも理解できるでしょう。
いちいち訊くのは面倒だというのなら、店頭の目に立つところに「左利き対応をお望みの方はその旨お申し付けください」と張り出すなり、メニューの始めにでも明記しておくという方法もあるでしょう。
もちろん現状では、「右利きに決まってるやろ、当たり前やないか」と「ふざけたこと聞くな」というバカにするようなお客さんも出てくるでしょうけれど。
しかし、いずれは、格の高いお店なら、お客さんの利き手を確認して配膳する、というサービスを標準とするところも出てくることでしょう。
今でも、あるレストランでは、予約の際にちゃんと「利き手は?」と訊いてくれて、当日には、ナイフとフォークを左右入れ替えてあり、食べやすく嬉しかった、という意見をネットで見かけた記憶があります。
そういえば、ステーキの焼き加減をお客さんの好みに合わせてくれるようなレストランなら、お客さんの利き手を確認して、ナイフとフォークの並べ方をかえるぐらいのサービスは、当然のこととして対応できるでしょう。
要するに、「事前に一言尋ねれば済む」問題、でもありますからね。
仮に左利き対応することになっても、現場が大混乱するということはないでしょう。
なぜなら、左利きはせいぜい10%程度といわれています。
左利き対応するお客さんの数も、それぐらいでしょう。
残りの大半のお客さんは今まで通りの対応でいいのですから。
結局、そういう少数派への配慮を当然のことと考えられるかどうかの人間性の問題です。
あるいは、人間としての優しさの違い、という言い方もできるでしょうか。
●「普通」って何?――時代によって、構成員によって「標準」は変わる
「世間一般は右利きが多いからご飯は左に置くのが普通でしょう」というのも、気になります。
確かにそれが多数派であることは確かですが、だからといって、常にそれが「正解」とは限らないのも事実です。
先にも書きましたが、今の「正式」とされる配膳は、必ずしも「絶対的な正しい」作法ではない、ということです。
右利きの人が多数派なので、それにあわせた一般的な場における「標準」になっているだけのことです。
それは、「標準語」が「正しい日本語」で、「方言」が「間違った日本語」だ、というわけではないように、一つの標準を意味しているだけのことです。
社会における「標準」というのは、社会における「最大公約数」ではないでしょうか。
「偶数」のみの数のグループにおける最大公約数は「偶数」です。
たとえば、6と12なら、最大公約数は6で、偶数。
しかし、一つ奇数が入ると、その数のグループの最大公約数は、「奇数」になります。
先の6と12のグループに、9という奇数が入ると、その数のグループの最大公約数は3という奇数です。
最大公約数はそのように、構成する数という要素により異なってきます。
社会の標準も、構成員が様々に変化すれば、標準も変化するのです。
構成員が「右利きの人のみ」なら、標準は「右利き仕様のみ」でいいでしょう。
しかし、左利きの人が加われば、それでは困ります。
「右利き仕様のみ」ではなく、左利きにも不都合のない「左右両方で使えるもの」になって欲しいのです。
これからは、多様性の時代です。
男女同権とか、障害者や社会的弱者に優しい社会になっていくべきでしょう。
食事の際の対応にしましても、同じです。
8月13日「国際左利きの日」に、左利きの人に敬意を表し、左利きの人が食べやすいように「お箸を左右逆さまに置くイベント」を実施する
LEFTEOUS(facebook)
という活動がありました。
そういう考えを拡げ実践しようという人たちもいます。
私にいわせれば、こういう「○○が普通」といった物言い自体に多数派・主流派のおごりが感じられます。
昔、何かの会や団体では、(下は児童会や生徒会から始まり、たいていの男女が関わる団体では)「会長は男性、副会長が女性」というのが、当たり前だったことがあります。
さらにいえば、今たいていのお店には、「盲導犬・介助犬以外の動物の入店はお断りします」とあります。
昔は、盲導犬であろうが介助犬であろうが、動物の入店は断られたものでした。
どのような種類の動物であろうと、動物の入店がダメなのは「普通」であり「当たり前」だったものです。
このように時代によって、「普通」の中身は変わります。
昔は、問答無用で「左利きは直すもの」とされました。
しかし今では、左利きという性質が、脳神経系に関わる固有の性質で、意思でどうにかなるものではない、という事実が知られるようになり、左利きは左利きのままでいい、という考えが普及してきました。
そして、左利きの人のために左利き用に道具を普及させようと、2月10日は「左利きグッズの日」という記念日も知られるようになりました。
*参考:
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.2.8
2020年2月10日は令和初の〈左利きグッズの日〉-文末に嬉しい情報あり
これからの時代は、多様性の容認の時代と言われています。
「みんなのためのデザイン」を目指すというユニバーサルデザインの考え方には、左利きの人も含まれています。
ところが、まだまだ左利きへの理解が不十分なケースが見られます。
左利きへの理解も含めて、まずは「心のバリアフリー」が必要です。
●左利きに配慮した教科書の登場
左利きへの理解を進める意味でも重要だ、と私が考えていることに「学校教科書に左利きの事例を入れるという」事項があります。
学校教科書は誰もが目にするものであり、教科書に書かれていることは物事の基準となるもの、と考えられます。
そこに記載されるということは、その時点で「左利きが公認された」という意味を持ちます。
学校教科書、なかでも小学一年生の書写教科書に、学問の道具ともいうべき「字を書く」という技術の例として、左手書き・左利きの例を入れるということが重要だ、と考えています。
従来は、右手書き・右利きの例だけでした。
まるで、左手で字を書く人がいないかのように、もしくは、左手で字を書くことはいけないことであるかのように。
しかし左手書字例が実現すれば、時代を担う子供たちが教科書の左右の例を見ることで、世の中には右手で字を書く人もいれば、左手で字を書く人もいるのだという事実を知り、左利きへの理解も進むでしょう。
それだけではなく、左利き以外の様々な多様性への理解にもつなげて行くことができるのではないでしょうか。
そして今年初めて、東京書籍の令和2年版小学一年書写教科書で、左手に鉛筆を持つ左利きの写真例が掲載されたものが登場します。
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.2.9
左利きへの配慮がなされた東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」
に書いています。
(画像:東京書籍令和2年版小学一年書写教科書の左手書き・左利き例)
《右手・左手どちらの持ち方も掲載
右利きの持ち方の写真のみが掲載されていたこれまでの教科書では、左利きの子供たちは写真を頭の中で反転させて、それを自分の手指で再現しなければなりませんでした。
そこで、左利きの写真を載せることで不要な負担をなくすよう配慮しました。》
と東京書籍の書写教科書サイトにあります。
私にいわせれば、当たり前のことなのですが、それがやっと実現したというのが、現状です。
●他社の左利き対応の状況について
左利き対応に限って、小学書写教科書を五社についてネットで見てみました。
東京書籍は、すでに報告していますように、左手書字例を写真で入れる等の対応をしています。
学校図書は、「硬筆学習用の書き込み欄を、教材文字の真下に配置することで、利き腕を問わず、教材文字が手で隠れないようにしました。」
日本文教出版は、「教科書への書き込み欄を手本文字の下に配置し,右利きでも左利きでも手本を見ながら書けるようにレイアウトが工夫されている。」
この二社は、書き込み欄の位置を工夫しています。
教育出版は、「教師向け指導資料」としてPDFで、「〔硬筆編〕見落としがちな左利きの持ち方の指導」「〔毛筆編〕姿勢,筆の持ち方,左利きの指導例」というように、教師向けの資料でのみ対応しています。
光村図書出版は、特に記載がありませんでした。
これだけでいうのはどうかという気もしますが、世間の左利きへの関心はまだまだ低く、左利きに対する正しい認識も不足していると、私には思われます。
●受け入れる時代――教科書採択についての議事録より
最後に、こういう言葉を紹介しておきましょう。
こちらの小学校教科書採択についての議事録より
↓
掛川市教育委員会定例会議事録
(1) 令和2~5年度使用の小学校教科書採択について
【家庭】「東京書籍」
《委員:右利きの包丁の使い方、左利きの包丁の使い方それぞれが載っている。
委員:一昔前なら修正しなければいけないとされたものが、現在では多様性、違うものを受け入れられる時代となった。
今までは駄目と言われたことでも、今からは受け入れる時代になっていることがしっかりわかった。》
(画像:東京書籍の家庭科の教科書の左手例)
--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
左利き対応への要望は「理不尽なクレーム」か?
--