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国広稔弁護士  BC級戦犯裁判弁護人となった千葉県と関わりのある弁護士

2022年02月24日 | 歴史を振り返る
国広稔弁護士
 BC級戦犯裁判弁護人となった千葉県と関わりのある弁護士

・明治32年10月14日生(参考文献1-610頁)
・昭和2年 弁護士登録(参考文献1でのインタビュー)

・昭和11年 新潟県弁護士会に移籍する。玉井潤次弁護士の招きに応じたもの(参考文献1でのインタビュー)。
玉井弁護士と共に小作事件の代理人となる。

・昭和18年 東京弁護士会に移籍(参考文献1でのインタビュー)     
 同インタビューでは、「玉井先生が逮捕されたこともあり健康を害され、また戦争が激しくなって弁護活動も思うようにできなくなり、昭和18年に一旦は東京弁護士会に入りましたが、食糧事情も窮迫してきましたので、家内の縁で成田の転居したのです。成田ならなんとか食べるものも手に入るだろうという考えでした。」と発言しています。

・昭和22年1月
 シンガポールでのBC級戦犯裁判の弁護人となる。
⇒国広弁護士の弁護人活動については、過去記事でも紹介しました。
「終戦になって、また私の生活は一変しました。戦後の戦争犯罪人裁判の英軍関係の法廷の弁護人を希望したのです。」と発言しています(参考文献1でのインタビュー) 。
 弁護活動の終期については、史料で食い違いが見られますが、シンガポールに9ヶ月、ボルネオに2ヶ月、あとは香港に滞在し、昭和23年3月に帰国したとするのが妥当でしょう(参考文献2、3)。
 なお、参考文献1では、「赴いたのはシンガポール、ボルネオなどであり、シンガポールに1年半、ボルネオに4ヶ月、香港に6ヶ月滞在した。」と発言しています。

・昭和24年12月7日 東京弁護士会から千葉弁護士会(現千葉県弁護士会)に移籍(参考文献1-596頁)

・昭和36年6月19日 法務省参与井上忠男から法務省でインタビューを受ける(参考文献3)。

・昭和53年11月21日 千葉県弁護士会のインタビューに応じる(参考文献1-405頁)

・昭和59年3月16日死去(参考文献1-610頁)

参考文献
1 千葉県弁護士会『千葉県弁護士会史』(1995年)
・参考文献でのインタビューとは、
「国広稔先生に聞く」(上記参考文献p405)を指します。
2 復員局法務調査部「外地戦争裁判弁護士名簿」(昭和26年4月20日)(国立公文書館所蔵)
3 「元戦争裁判弁護人国広稔氏より聴取事項」(井上忠男・昭和36年6月19日)
(国立公文書館所蔵)




 


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