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旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

短編小説 「さだめゆえ」

2008-01-22 | ほかの話
「おまんは、ひどい男やのぉ」
 坂本竜馬の言葉に、前を歩いていた武市半平太は、その端正な顔をくるりと後ろに向けた。その顔は、なぜそのような言われ方をされなくてはならないのか分からない、という表情だった。
「以蔵が気の毒ちゃ」
 以蔵とは、竜馬や武市と同じ土佐藩士、岡田以蔵のことである。武市の懐刀として、文字通り刀を振るっているのだが、その以蔵が佐幕派の要人を次々と斬殺しているという噂が流れていた。
 竜馬は、武市の指図で以蔵が動いているのだろうと推測して言っただけで、武市を責める気などない。
 しかし、武市は自分の不手際を指摘されたように感じて、ちょっと鼻白んだ。
「竜馬、それは誤解だ」
「誤解?」
「わしは以蔵に何の指示も出してはおらん。あいつが勝手にやっているだけだ」
「ふーん」
 何も知らない人が聞いたら、竜馬が武市に喧嘩を売っているのかと思いかねない態度だが、竜馬の腹に含むところは何もない。あくまでも話の相槌を打っているだけなのだ。もちろん、長い付き合いになる武市もそのあたりのことは承知している。
「そもそも」武市は顔を前へ向けた。「以蔵が人斬りをしていることを、わしは最近知ったのだ」
「なに、おんしゃ、知らんかったんか」
 竜馬の素っ頓狂な声に向かって、武市は表情を変えずに黙したまま肯いた。


 ここにきて加速している京における佐幕派の暗殺は、以蔵の単独行動ではない。以蔵が有志を数名集って、他の者には気取られないよう密かに実行しているのだが、そのことに誰一人として気付いていないことがあろうわけがなく、ましてや、土佐勤皇党の党首である武市半平太が、傍近くに置いている以蔵の人斬りについて、まったく知らないはずはなかった。
 集会で「幕府側の誰某が目障りだ」というような話を誰かがすると、その日かあるいは数日のうちに、その誰某が暗殺されるということが相次げば、その集会の場にいた誰かが手を下したのだということは、誰にでも薄々分かることだ。しかも、土佐きっての怜悧な頭脳を持つ半平太ならば、その所業が誰の手によるものか即座に見抜いたはずである。
 もちろん、そんな偶然の一致より、殺戮の事実を明らかに指し示していたのは、以蔵の衣服にまとわりついた、水ではなかなか消えない血の匂いだったが。
 武市自身は、暗殺などという乱暴な手段は好まない。
 思想の異なる相手を倒すのなら、理論でもって論破し、その上で正当なる理想を諭し、逆に相手を感化させる方が得策ではないかと思う。闇雲に相手を倒したところで、それは反感を呼ぶだけではないか。
 そう思いながらも、武市は以蔵の暴挙を止めようとは思わない。


 土佐藩は、関が原の戦の後、長曾我部一族に成り代わって山内一豊が藩主となって以来、根強い身分制度の下にある。
 たとえば。
 文武にかなり秀でた、それが百年に一人の逸材とも言えるような者がいて、周囲がその者の実力をどれほど認めたとしても、またそれが藩主の目に偶然留まったとしても、その者が下士階級の出身である限り、どう転がっても出世の道はない。
 武市自身、その下士の出身である。その才をどれほど評価されてはいても、藩政に携わることも、ましては藩主に意見具申することなど到底出来ない。
 そして以蔵にいたっては、そのまた下に位置する足軽の出なのである。しかも、武市のような鋭い頭脳も、人心を魅了する才覚も備わっていない以蔵にとって、唯一の己の自慢は、殺人剣と言われて様々な道場から忌み嫌われた、その圧倒的に強い剣の腕前だった。
 おまえの剣を世の中に活かさないか、と以蔵を誘ったのは武市自身だ。
 尊皇攘夷の魁として土佐勤皇党を率いる武市は、徳川幕府に恭順している藩から目をつけられている。武市を討て、という藩の使命が下されているやもしれぬ。自分の身を守るための護衛が必要だった。
 もちろん、これは以蔵にとっても悪い話ではないはずだった。惨めな足軽の身分で終わったかもしれない彼の人生が、世の中を変えるために己の剣を活かす、という輝かしいものになるのだから、喜ばしいことではないか。
 武市は、そう考えていた。


「わしゃあ、どうも血なまぐさいことはすかんにゃあ」
 竜馬の言葉に、血を流さずして新たな世の創生など不可能だ、と武市は思う。幾多の犠牲と屍を越えて、歴史は作られていくのだ。だが、こんなことを竜馬に語ったところで彼には理解できまい。
 武市は竜馬に反論しようとはしなかった。心の奥底では、どれほど名のある論客・識者たちよりも、武市自身を惹きつけてやまない、この愛嬌ある男に自分の思いを理解してもらいたいと思っているのだが。
「竜馬」
「あん?」
「おまん、これからどうするのだ」
「そうだなあ、どうするかにゃあ」
「暢気だな」
「そうか?これでもいろいろと考えとるぞ」
 その能天気な頭で何を考えているのかと、武市の口元に思わず笑みがこぼれた。それを見て、竜馬もにやりとした。
「笑ったな」
「おお、笑うわ」
「わしゃあ、半平太みたいに国を変えようなどと考えちょらんが、出来のいいおまんでも思いつかんような、でっかいことをするぜよ」
「それは楽しみだ」
「半平太」
 竜馬が立ち止まったので、武市も足を止めた。
「なんだ」
「おまん、楽しいことをやって生きたいとは思わんのか」
「楽しいこと・・・?」
 そんなことは今まで一度も考えたことはない。命をかけて国を変える、それこそが自分の生きる道だと、武市はそう信じている。
「よく分からんな」
「ほうか、分からんか」
「それは、わしの生き方ではない」
「なあにを言うか。生き方なんぞいくらでも変えられるちゃ。だいたい、これが自分の一生の生き方だなどと、決めちょる方がおかしいぜよ」
 一瞬、武市は何かで後頭部をドスンと殴られたような気がした。別にこれが自分の一生だなどと決めつけたことはないが、土佐における尊皇攘夷こそ、天から与えられた己の使命だと信じていることは確かである。
 しかしそれを、たとえ竜馬といえども、否定されたくはない。
「竜馬」
 しかし、武市が何か言い出す前に、竜馬は両手をぱっと上に挙げた。
「もうええ」
「なにが」
「おまんと論争しても、わしゃ勝てん」
「何を言う。そもそもおまんが」
「だから、やめだ、やめ」
 竜馬は目の前で手をぶんぶんと交差させた。
「やめたき。半平太。おまんの好きに生きりゃあええ」
「・・・・・・・・・」
「おまんがどこで誰と何をしようと、わしゃあ、おまんのことは、無二の友じゃと思っとる」
 懐手に歩き出した竜馬の広い背とぼさぼさの髪を、武市は見つめた。
「なあ、半平太」と竜馬の声。
「なんだ」
「・・・命を惜しめよ」
「竜馬。命を惜しんでいては、この世の改革は成らん」
「半平太。死んだらなあんもできんぜよ」
「・・・・・・・・・」
 そのまま別れの挨拶もせず、後ろを振り返りもせず、瓢々と歩き去る竜馬を、武市は立ち止まって見つめたまま、追おうとはしなかった。
 たしかに。竜馬の言うとおりだと武市も思う。
 だが、たとえ自分の命が志半ばで尽き果てたとしても、自分の意思を継いでいく者たちがいる。彼らが自分の代わりに成し遂げてくれるのだ。
 命は果てても、心は果てぬ。
 武市は空を見上げた。千切れた白雲が蒼天を漂う。
「生きるも死すも、すべてはさだめ・・・」
 武市のつぶやきも、宙を漂う。


    (終)


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


昨日、「IZO」を観たときに、以前に書いたこの短編を思い出しました。
レビューを書く前に、ちょっと懐かしくなって「奥の蔵」から引っ張り出してきました。
たぶん読まれたことがある方も中にはいると思いますが(笑)、初めて読む方のほうが圧倒的に多いと思うので載せてみました。
えーと・・・いかがでしょうか?

司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を読んで以来、私はこの二人、坂本竜馬と武市半平太のコンビが大好きで。
シゲ&慶ちゃんコンビに匹敵するくらい好きなんだな(笑)
そうだ、奇跡が起こって(?)、シゲが竜馬を演じることになったときは、慶ちゃんに武市役をやってほしいな。うん、半平太役、意外と慶ちゃんに向いてるような気がする。

竜馬と半平太。
ともに互いの実力を認め合って、そしてお互いに相手のことをいつも気にかけているのに、それでも二人の進む道は生涯において重なりあうことがなくて、二人別々の道を歩いていくんですよね。
そして二人とも志半ばにして、その命を散らしてしまうわけですけども。
誰にも縛られずに自由に思うまま生きた竜馬と、土佐勤皇党の党首という立場を常に背負い続けた半平太。
どちらの人生も後世の私たちが正否をつけられるものではないし、世の中を変えたいという出発点は二人とも同じなんですよね。
まあ、この二人に限らず、この時代に動いた人たちの出発点はすべて同じなんじゃないかと思います。「変えたい」という気持ちのその後の方向性が違っていただけで・・・

あ・・・ヤバイ!
「IZO」のレビューで書こうと思ってたことまで、うっかりここで書きそうになるとこやった!
なので、このへんでやめときます。