旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

第5回 2 ~ Two ~

2008-05-20 | 円熟途上エッセイ「桃色の独り言」
今回ほど悩んだテーマはなかったです。


…ということを毎回言ってるような気がしますけども、今回はマヂで難しかった!

というのも、本家の内容があまりにもストレートで分かりやすくて、その内容に、私が完全にとらわれてしまったのですよ。
何を書いても、けっきょく本家の2番煎じにしかならないような気がして。
今まではどんなに悩もうと、書くネタにだけは困らなかったのですけども、今回のテーマ「2」は、そもそも何をネタにしたらいいのかまったく思いつかなくて、正直困りはてました。

くわえて、シゲ本人はこのテーマをサクサクっと書いたんだろうなーと思うと、ますます「ああもう、何やっとんねん、私」と己の引き出しの少なさにガッカリ…。

こんな産みの苦しみからようやく出た、まだまだ第5回目のエッセイです。
(本家はすでに24回目。連載開始から2周年目を迎えました)
ご感想など気軽にコメントいただけたらと思います。



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一人っ子で育った私は、家の中ではつねに1番だった。兄弟姉妹という競争相手がいないまま、幼少期を通過した私は、小学校に入学して初めて、自分がつねに1番でいることがどれほど難しいことなのか、思い知らされた。
2番、3番、4番…2番ならまだいい。あと少し、あと一歩の努力で1番に手が届かないこともない。だが、2番を取ることは1番を取ることと同じくらいに大変なことなのだ。

秀才でもない。スポーツ万能でもない。人より秀でた特技さえ持っていない私は、クラスで1、2番を競ったりすることとは無縁の、実に平均的な子供だった。



2の前につねに存在する『1』。
その順位は決して揺らぐことなく、2は1に近づけても1にはなれない。
背筋を伸ばし堂々とした姿で立つ『1』。
背中を丸めて俯いたような姿の『2』。
なんだ、数字の形そのものも、現実社会の順位を表現しているんじゃないか。

そんな『2』という字の成り立ちについて、シゲがエッセイの中で触れていたけれど、私にはこの2という字が、何かをつかもうとしている形のように見える。あるいは、何かをとらえるための鉤のような形に。

つかもうとしたものは何だろう。
その鉤でとらえようとしたものは何だろう。



「1番好きなものは何?」という質問がある。
その『もの』は食べ物だったり、動物だったり、場所だったり、質問の内容はいろいろあるが、比較的すぐに思いついて「○○○!」と答えられる『1番』に対して、「それじゃ2番目に好きなのは?」という質問に、ふと答えを迷ってしまうのは私だけではないと思うのだがどうだろうか。
数ある好きなものの中から、1番目を選択することには迷いがないが、その次となると、これかな?いや、あれかな?いや、待てよ…あれか?と選択肢がいきなりワイドになる。2番目というのはキャパシティが広いものなのだな。
つまり、2番目には何がきてもおかしくない。2番手として挙がった候補のどれもが2番になりえるということだ。
よくよく考えると、2番目の候補というのは、残念ながら1番にはなれなかった、されど限りなく1番に近いものだったりするわけで。1番じゃないけれど、とても好きなものの中から一つだけ選ぶのはやっぱり悩んでしまうなあ。



1+1は2、というのは基本的な数式だが、1+1は1という考え方も中にはあるようだ。
ここに2つの粘土の塊があったとして、それを一緒に合わせると、たしかに容量は2つ分に増えているが、見た目は1つの塊だ。
靴が左右2つで1足というのも同じだろう。
さっきの順位の話ではないが、そういう意味でも『2』という数字は1に近く、また1になれる要素を秘めたポテンシャルの高い数字と言えるかもしれない。



最近、「おひとりさま」という言葉がようやく世の中に浸透してきた。
女性一人で外食したり、バーに入ったり、旅行をするなど、ここ数年ではもう当たり前の光景だが、一昔前は、ちょっと格式の高い旅館などでは、お一人様では予約も取れなくて不便したものだが、近頃は一人での宿泊OKの温泉旅館まで出てきて隔世の感がある。
ご多聞にもれず、私も「おひとりさま」を楽しむ一人だ。一人で行動したりすることにまったく抵抗感はないが、ふと「ああ誰かと一緒だったらな」と思うことがある。美味しい食事を堪能しているとき、感動的な光景に出会ったとき、面白い出来事に遭遇したとき…一人でも楽しいものは十分楽しいし、美味しいものは十分美味しいのであるが、二人で体験したほうが感動は倍になるんだろうな、とも思う。

1個のものを「半分こ」して分けあったり、2人でコンビを組んだり、お揃いのペア商品を買ったり…2という数字が表すものは、そこに温もりや優しさを感じられる。そう思いながら、再び『2』という数字を眺めてみると、背中を丸めて俯いているかのように見えていた『2』という形が、まるでそこにある何かを優しく包みこもうとするような穏やかな形に見えてこないだろうか。

誰かが言っていた。「勝者は孤独だ」と。つねに1番であり続けることは孤独と向き合うことでもある。私には、孤高の1番は耐えられない。誰にも負けたくない、いつでもトップでいたい、という人はともかく、私は2番でも3番でも、はたまたドン尻でも、というか、そもそもそんな順位など関係なく自由に生きていきたい。

たった1本の点で立つ『1』よりも、地にしっかりと土台を構え、しなやかな曲線で立つ『2』のほうが、ずっとたくましそうに見えませんか?