ほとんど金聖響さん目当てで行ったコンサートですが、今回で5回目を迎えたコンサートなんですね。
セレモアつくば、はその名前からも分かるとおり、葬儀・斎場関連の法人なのですが、数年後にはそこのお世話になりそうなお年をめされた方々が、紀尾井ホールに大勢ご来場されておりました。
………
さて。
今回のチャリティーコンサートは、モーツァルト生誕250周年記念ということで、モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲を演目にチョイス。
まず最初に、交響曲第32番ト長調(序曲)KV318。
次に、ピアノ協奏曲第23番イ長調KV488。
そして最後に、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」KV551。
なかなかいい選曲ですよね。
序曲第32番で華やかな幕開け、ピアノ協奏曲でぐーっと盛り上げてインターミッション(休憩)へ。次の交響曲への期待がふくらみ、第2幕の幕開け後、一挙にクライマックスへ。
最後の交響曲第41番については、3月の下野さんとのレクチャーの折、話題に出ていた曲で、最初の出だしをどう振るか、と2パターンの振り方を見せてくれてました。
指揮棒の振り方ひとつで、アクセントの場所が微妙に変わって、同じ曲なのに違うイメージになるんですよね。
今回のは、たぶんダニエル・ハーディングがやったという、最初にアクセントを持ってくるアプローチだったのではないかと。
好みの問題になるんでしょうが、私はこの方が好きですね。
冒頭に、ダダダン!ダダダン!ダダダン!と強く打ち出すと、その後に続く流れるようなメロディーに、その強い弾みでふわーっと浮かび上がれるような感覚があって。
……わかりにくい説明ですみません。
ピアノ協奏曲。ピアノ演奏は久元祐子さんなのですが、もう本当に素晴らしい!
たぶん、ピアノはベーゼンドルファーだと思うのですが、グランドピアノでもモーツァルトの曲の持つ軽やかさをあれほど見事に表現できるものなんですね。
オケとの掛け合いも、決して一人技巧的に飛び出したりせず、合いの手を打つような心地よさ。
ピアノは個人技の楽器というイメージがあるのですが、コンチェルトなどを聴くと、独りよがりで弾く楽器ではないなと思うのです。
昔の私のピアノは一言でいえば「自分勝手」。
スコアに書かれていることなどまったく無視、スピードは自分の気分で勝手に速くなったり遅くなったり、音の強弱や音色などまったく気にかけてなくて、自分が気分よく弾けてればそれでいいじゃん?と思ってました。
いまさらどこまでいけるか、自分でも分からないけれど、久元さんのレベルになんて到底追いつけるわけないけれど、でも、目標は高く持ってピアノを続けたいですよね。(再開して1年も経ってないけれど)
ピアノコンクールへの出場。
金聖響さんの指揮でピアノコンチェルト。(←この夢かなったら何を失ってもいい)
それにしても、あらためて思うのはモーツァルトの曲の素晴らしさ。
子供の頃は、ちっともいいと思わなかったんですけどね。
「癒しの音楽」と言われるだけに、やっぱり癒しを求めるお年頃にならないと、その魅力に気づけないのかもしれません……。
セレモアつくば、はその名前からも分かるとおり、葬儀・斎場関連の法人なのですが、数年後にはそこのお世話になりそうなお年をめされた方々が、紀尾井ホールに大勢ご来場されておりました。
………
さて。
今回のチャリティーコンサートは、モーツァルト生誕250周年記念ということで、モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲を演目にチョイス。
まず最初に、交響曲第32番ト長調(序曲)KV318。
次に、ピアノ協奏曲第23番イ長調KV488。
そして最後に、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」KV551。
なかなかいい選曲ですよね。
序曲第32番で華やかな幕開け、ピアノ協奏曲でぐーっと盛り上げてインターミッション(休憩)へ。次の交響曲への期待がふくらみ、第2幕の幕開け後、一挙にクライマックスへ。
最後の交響曲第41番については、3月の下野さんとのレクチャーの折、話題に出ていた曲で、最初の出だしをどう振るか、と2パターンの振り方を見せてくれてました。
指揮棒の振り方ひとつで、アクセントの場所が微妙に変わって、同じ曲なのに違うイメージになるんですよね。
今回のは、たぶんダニエル・ハーディングがやったという、最初にアクセントを持ってくるアプローチだったのではないかと。
好みの問題になるんでしょうが、私はこの方が好きですね。
冒頭に、ダダダン!ダダダン!ダダダン!と強く打ち出すと、その後に続く流れるようなメロディーに、その強い弾みでふわーっと浮かび上がれるような感覚があって。
……わかりにくい説明ですみません。
ピアノ協奏曲。ピアノ演奏は久元祐子さんなのですが、もう本当に素晴らしい!
たぶん、ピアノはベーゼンドルファーだと思うのですが、グランドピアノでもモーツァルトの曲の持つ軽やかさをあれほど見事に表現できるものなんですね。
オケとの掛け合いも、決して一人技巧的に飛び出したりせず、合いの手を打つような心地よさ。
ピアノは個人技の楽器というイメージがあるのですが、コンチェルトなどを聴くと、独りよがりで弾く楽器ではないなと思うのです。
昔の私のピアノは一言でいえば「自分勝手」。
スコアに書かれていることなどまったく無視、スピードは自分の気分で勝手に速くなったり遅くなったり、音の強弱や音色などまったく気にかけてなくて、自分が気分よく弾けてればそれでいいじゃん?と思ってました。
いまさらどこまでいけるか、自分でも分からないけれど、久元さんのレベルになんて到底追いつけるわけないけれど、でも、目標は高く持ってピアノを続けたいですよね。(再開して1年も経ってないけれど)
ピアノコンクールへの出場。
金聖響さんの指揮でピアノコンチェルト。(←この夢かなったら何を失ってもいい)
それにしても、あらためて思うのはモーツァルトの曲の素晴らしさ。
子供の頃は、ちっともいいと思わなかったんですけどね。
「癒しの音楽」と言われるだけに、やっぱり癒しを求めるお年頃にならないと、その魅力に気づけないのかもしれません……。