蒼天録紀行はお久しぶりですが、
今回、ようやく?県を越えまして岐阜県へ。
で、やって来たのは・・・
大垣城
なんですが。。。
歴史館とかはざっくり休館日で
この同じミス、勝龍寺城でもやった気が・・・
ちなみにこの日は9月13日。
関ヶ原の合戦2日前です。なので開けてくれても!!
・・・という訳に行かず、、、
外側の公園には入れたので、周囲だけでもと。
大垣城は竹腰尚綱による明応9年(1500)築城。
美濃の主と共に城主も斎藤、織田、豊臣配下で何度も変わり、
秀吉の時代、伊藤祐盛の時に大々的に改修されます。
牛屋川の水を回して堀としており、実は水害の危険性もある土地。
城内にも水害の碑があったりしました。
「大垣城水攻め」・・・も歴群では取り上げられるかと。
ちなみに、『豊臣蒼天録』でも大垣城は登場しますが、
『関ヶ原群雄伝』の時は主要舞台のひとつでした。
大谷吉勝が朝ご飯食べたり、石田三成に引っぱたかれたり(w
これが『おあむ物語』の「おあむの松」
2代目だそうですが。
そして、城を背に立つ騎馬武者像。
徳川譜代・戸田氏鉄です。
大坂夏の陣後の、寛永12年(1635)に大垣城主となり、
以後は明治まで大垣藩は、戸田氏によって治められます。
作中の時期、氏鉄は前回紹介した膳所城主。
えー・・・散々な扱いです。
この銅像な前で、よーく謝っておこう。
せめて、もう1枚載せておこう。
抜刀して駆ける氏鉄の勇姿を!!
・・・まあ、あれは夕日なのだが。