歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

豊臣蒼天録紀行14―大垣城―

2012-04-03 22:09:47 | 豊臣蒼天録
蒼天録紀行はお久しぶりですが、
今回、ようやく?県を越えまして岐阜県へ。
で、やって来たのは・・・



大垣城


なんですが。。。




歴史館とかはざっくり休館日で
この同じミス、勝龍寺城でもやった気が・・・
ちなみにこの日は9月13日。
関ヶ原の合戦2日前です。なので開けてくれても!!
・・・という訳に行かず、、、
外側の公園には入れたので、周囲だけでもと。









大垣城は竹腰尚綱による明応9年(1500)築城。
美濃の主と共に城主も斎藤、織田、豊臣配下で何度も変わり、
秀吉の時代、伊藤祐盛の時に大々的に改修されます。
牛屋川の水を回して堀としており、実は水害の危険性もある土地。
城内にも水害の碑があったりしました。
「大垣城水攻め」・・・も歴群では取り上げられるかと。


ちなみに、『豊臣蒼天録』でも大垣城は登場しますが、
『関ヶ原群雄伝』の時は主要舞台のひとつでした。
大谷吉勝が朝ご飯食べたり、石田三成に引っぱたかれたり(w




これが『おあむ物語』の「おあむの松」
2代目だそうですが。




そして、城を背に立つ騎馬武者像。
徳川譜代・戸田氏鉄です。
大坂夏の陣後の、寛永12年(1635)に大垣城主となり、
以後は明治まで大垣藩は、戸田氏によって治められます。


作中の時期、氏鉄は前回紹介した膳所城主。
えー・・・散々な扱いです。
この銅像な前で、よーく謝っておこう。




せめて、もう1枚載せておこう。
抜刀して駆ける氏鉄の勇姿を!!
・・・まあ、あれは夕日なのだが。