歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

豊臣蒼天録紀行16―関ヶ原へ―

2012-04-25 22:12:25 | 豊臣蒼天録
さて、第3巻が発売される中で、紀行は何故か2巻の舞台へ。
今回、いよいよ彼の地へ足を踏み入れるわけですが、
実は『関ヶ原群雄伝』が完結した時に、けっこう来た質問、、、


「すみません、関ヶ原では戦わないんですか?」


お待たせしまして、11年の歳月(w を経て、主人公はようやくその場所へと立ちます。
とは言いましても、まず降り立ったのは・・・



垂井駅。


実は今回、「垂井から関ヶ原まで歩く!!」ことを計画しました。
理由は2巻の作中、豊臣軍が中山道を西進する場面あり。
そのイメージを掴みたかったので。
出来れば大垣から歩きたいくらいでしたが、さすがにそれは無理と思い垂井からスタート!!!









・・・この日、気温は9月にして35℃
スタートから30分・・・早くも後悔が胸を去来




それでも、垂井一里塚を経て、




垂井から約40分で、関ヶ原町へ




左手に南宮山。実際の関ヶ原の合戦では、不戦の毛利勢が布陣。






そして、桃配山。壬申の乱で大海人皇子が、兵士を鼓舞するため桃を配ったことに由来。
言わずと知れた、徳川家康が開戦時に本陣を置いた山。
『豊臣蒼天録』の作中、この場所に陣を置いた脇坂安治が、物語を大きく動かしました。
写真の左は、家康が使用したという腰掛石。



関ヶ原西側方向です。家康が見たかもですが、位置が低いのでこんな感じ。


で・・・この山を下りたあたりで、自転車のおじいさんと会いまして。


「伊吹山に植物を採集しに行くんだよ」
「へ~どこから来たんですか?」
「名古屋から」
「・・・・・・・」



遠ざかる自転車が、暑さのせいでか霞んで見える・・・





さて、気を取り直して再びてくてく歩き。。。





垂井より1時間28分、関ヶ原駅着!!!
なお、この後で自転車を借りたレンタサイクル店で、垂井から歩いて来たと言ったところ、
かる~く呆れられました(w

とはいえ、時間もないので早速古戦場へ。




東西両軍の旗が翻る。




そして、自転車に乗る島左近。