歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

神代の国の旅第2回―楠郷② 楠山城と楠木氏―

2013-11-18 22:25:06 | 神剣の守護者

大樟を見上げる。




さて、この大樟ですが実は楠山城(楠城)の跡地に立っています。
作中の位置とは違うのですが、鈴鹿川の流れが現在とは少し異なり、
もう少し西側に城があったという、『楠町史』の記述を参考にしました。


その楠山城ですが、築城は北畠顕能によって室町時代初期といわれています。
初代城主とされているのは、楠十郎正信。
この人物は楠木正成の異母兄弟とも言われていますが・・・
この説の他に楠山城初代城主は、北畠氏被官の諏訪十郎貞信との説もあり。
諏訪氏が3代で断絶の後、楠木正威が第4代城主になったといいます。
その子が楠木正富・・・序章の多聞丸です。本作はその正富を楠山城の初代城主としています。






正覚寺には楠十郎の碑、そして楠山城主の墓がありあす。
なお、この寺には1章に登場する「神宝」もあるとのこと。






大樟の西の楠村神社。
ちょうど、紫陽花の季節でした。


ところで、「楠」という地名なのですが、楠木氏の入部以前からの古名です。
湊からくる「国津」が訛ってクスになった、アイヌ語を語源とする・・・と説がありますが、
はっきりとは分かっていません。


最後に湊方向、そして鈴鹿川北川へ(四日市へ戻ったので)



現在だと川の北側は、四日市コンビナート。


なお、伊勢楠木氏は「楠氏」と記述されることが多いですが、
『神剣の守護者』では正成の時代より通じて、
「楠木」表記で統一しました。