歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

神剣の守護者人物秘話第3回―楠木正具③―

2014-07-09 23:15:17 | 神剣の守護者
5、楠木正具は何故、藤吉郎を選んだか?


はい、実は今回、作者の予想に反しまして、
もっとも多く寄せられたのはこの質問でした。
つまり「朝鮮出兵、そして秀次事件という晩年の愚行を重ねた秀吉を、」どうして正具は草薙剣の後継者に選んだのか?」ということです。


実は、取材して頂きました上毛新聞のW田さんがこの点に非常に熱心でして、
何度も質問いただいています。あと、某サイトでも指摘いただいていますか・・・


まず作者的には、
「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三者の中で、
「正成以来の民が自由と幸福とを得られる国」・・・それにもっとも近い国家観を持った者、
それが、豊臣秀吉だった
・・・ということです。


つまり、
「楠木正具は藤吉郎こそが、正成が目指した国を創ると信じたて賭けた」
「草薙剣そのものが藤吉郎を認めた」(白く光った)
「作者自身、豊臣秀吉はその国を創れたと思っている・・・それがほんの短期間であったにせよ」
の3点です。

大坂城の天守に立ち、この国を統べた時の豊臣秀吉は、
神剣を手にする「この国の守護者」たるべき男であった・・・そう思っています。


無論、その後の彼はさまざまな愚行を繰り返します。
(というか、私もそれを書いたことありますな。『天下人の血』とかw)


剣は豊臣家を見限ったでしょう。その後の豊臣の歴史は御存知の通り。
その時、楠木正具が存命であるなら、
「仕方ない、俺の見込み違いだったか」と口ではそういいながら、
それでも、狂う秀吉を制し、その生涯に付き合ったと思います。
それは、後醍醐天皇を最後まで見限らず、湊川へ向かった正成の心境。
堕ちて行く為政者を「見捨てることができない」
それもまた、「楠木の血」の宿命かと思います。


そんな正具ですが、実はひとつだけ「ずるい保険」をかけてもいます。
作中、甥の左近に「お前がそう思うなら・・・」と、神剣奪還の許可を与えています。
左近は正具近辺の人物で唯一、一度も藤吉郎のことを認めていませんが、
若い・・・というか、幼い本人は自分でそれがなぜなのか、
まだ完全には理解してはいません。


それは、正具は目指した国を藤吉郎に賭けたが、
左近の理想はそれとは違う・・・それを知っている正具は、
左近に神剣奪還の許可を与えました。


作中、正具には男子がなく「楠木の血」を引く男子は左近のみ。
その左近は「服部」を名乗り、東へと旅立って行った・・・
何れ、左近は神剣を託するに見合う者と出会えたのか・・・それはまた別の話になりますね。