歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

前橋から花燃ゆ③-寿と素彦の物語ー

2015-03-01 19:47:24 | 日記
やっと前橋の大河館に行った!!




会場の群馬県庁昭和庁舎。
帝都医科大学付属病院という説もありますが、それはさておき。
米倉さんを探してみたりもしましたが、それも置いといて。。。




中は当然のように撮影禁止ですが、
松下村塾のセットの再現や、
楫取素彦の執務室再現、各クイズ?などがあります。
前橋の古地図もありましたね。母の実家が載っていたw


しかし、キャッチコピーには「文と素彦の物語」としたりしてますが、
中をみて思うのは、、、


「群馬にとって楫取素彦夫人とは寿子のことであり、
寿と素彦の物語!!」



として、全面的に寿さん(優香さん)を推してましたね。
ええ、完全に全力で!!


これは、私も昔から、
「県令・楫取素彦夫人と言えば?」
「(先妻の)寿子)」とよく聞いていましたし、
某県立女子大の先生も「群馬としては、できれば寿子さんで見たかった!」
とおっしゃっていました。
あ、、、最近はそうでないですが、ドラマ開始時には、
「なんで、寿子をああいうキャラにした?」
と怒っている声もあったな。。。


しかし、ドラマ館を見てここまで群馬県人が、
寿子さんを深く認識していることに驚きもありました。
県令夫人として寺院の誘致、何より女学校の設置には熱心で、
群馬県が当時、全国屈指の教育県となった要因を作った人です。


この件につき、師匠に聞いてみたところ、
「群馬県の女学校にルーツを持つ学校は、
だいたい寿子夫人の直筆が掲額されていた」とのことです。
前橋では見ないのは、空襲で焼けたからだそうで。
それ以外、郡部の学校とかにはもしかしたら、
今でもかなり残っているのかも知れないですね。
空襲なきゃ、母の実家にもあったのかな・・・


そんな訳で、ドラマ館はおススメなのですが、
見逃せない点がひとつ!!
楫取県令を語るに欠かせないはずの、
「県庁移転 2万6千円(当時)事件」を一行も触れていない。
まず、この件で高崎が怒っているとか、いないとかw
で、、、今日は高杉が出るのか・・・


ぐんま花燃ゆプロジェクト http://www.gunma-hanamoyu.com/



智本光隆