歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

4連勝 首位!!

2015-05-05 20:24:15 | 日記
4連勝!!
・・・5月に入って首位って何時以来?
あの1998年ですら、開幕直後は勝ち星伸び悩んだはずだが・・・


試合 勝 負 引 勝率
33   19  14 0  .576


単独首位!!
三浦の好投とかいろいろありますが、
その前に昨日の広島―巨人戦について。


ありがとう、石井琢朗。
我々は何時も何時までも、そしてこれからも石井を愛している。
明日のをつかめよ、石井その手で!!


あ、ところで98年の阪神戦で、
インフィールドフライ→セカンドランナー飛出し→谷繁、石井と渡って、
タッチアウトで横浜勝利!!
・・・って試合があった気がするんだけどw



智本光隆

前橋から花燃ゆ⑤ー日本最後の築城ー

2015-05-04 08:08:02 | 日記
何か視聴率しか話題になっていない大河「花燃ゆ」ですが、
タイアップした群馬の某会社社長が、嘆いているとかいないとか?
で、このブログでもまた語ってみよう。


そもそも前橋は古来は厩橋と呼ばれました。
「うまやばし」ではなく「まやばし」と読みます。
箕輪城の支城として築城され、初代城主は長野氏とされています。
武田信玄を破った長野業政が特に有名ですが。


戦国時代には上野は武田、北条、上杉の草刈り場と化しますが、
上杉謙信の関東経営の拠点となります。
武田氏の滅亡後には滝川一益が入りますが本能寺の変後に撤退し、
後北条氏を経て徳川家康の領有に。


平岩親吉、酒井氏を経て寛延2年(1749)に姫路から松平朝矩が入ります。
この松平氏は結城秀康の系譜です。
ちなみに、智本光隆の母方はこの時に姫路から前橋にw
酒井氏の時代に厩橋→前橋と名称を統一し、
この時期に城郭を整備して「関東の華」と呼ばれる名城となります。
西に大河(利根川)、東に平地という縄張りは、名城の条件を満たしていると言います。
(※家康が平岩氏に与えた際、「汝に関東の華を与える」と言ったともいいます)


ところが、戦国時代基準では名城でも、平和な時代が続くとそうでもなく。
特に西の利根川が城を浸食し、本丸は削られて川に喰われ・・・
3の丸の位置に本丸を移してもそこも川に・・・をくり返し。
松平氏はついに城の維持を断念し、
明和4年(1767)に飛び地の川越に本城を移してしまいます。
2年後に城は破却されて町も荒廃しますが・・・
ところがペリー来航により横浜開港、
そして上州の生糸が欧州に輸出されると、
前橋の生糸商人は爆発的な富を得ます。


どの程度爆発的かといえば・・・
そうですね、城を自前で再建して藩主に前橋帰城を願い出るくらいです!!
かくして慶応3年(1857)に松平氏は川越城から前橋城に戻りますが・・・・
御存知、翌年が明治維新。
前橋城は「日本最後の築城」となった次第です。


維新後は藩主は東京に住み、せっかくの新築はむなしく空き家に・・・
しないんだな、当時の前橋商人は。
ここから、前橋の「明治」が始まるわけです。
その中心となったのが、下村善太郎というひとりの前橋商人。
楫取素彦の横っ面を札束で引っぱたくことになる男です(笑





前橋城址
悲しいくらい遺構はない・・・


智本光隆

桜の花に癒されて2015ー帰還と旅立ちー

2015-05-02 22:01:52 | 日記
先日、入院したとこのブログで書いた某親戚は、
先週に無事退院しました。元気です。
そして、



山桜。


よく通っている内科の先生が、82歳で亡くなられました。
思い出があります。
中3の時、原因不明の腹痛に襲われました。
いくつか病院を回ってもよく分からず。
急激に痛いわけではないが、シクシクと1日中痛い・・・
そして、ここに来た時に、


「ちょっと、その線を向こうまで歩いて」


診察室の床には3メートルくらいの線(テープ)があって、
その上を歩いて、戻ってくると「もう1回」と。
で、それが終わると「虫垂(盲腸)で間違いないでしょう」と、一言で。
同伴の父が一番驚いていた。。。


祖母の最期を看取っていただいたのも先生でした。
義理の伯父の葬儀に駆けつけてくれたりだとか、
『神剣の守護者』の発売時には、手紙も頂いています。
「名医」との評判そのままに、
「命の恩人」をいう患者を、よく待合室で見かけました。


先生のご冥福をお祈り申し上げます。
お世話になりました。
そして、長い医師生活お疲れ様でした。ゆっくりお休み下さい。



春が終わる。




智本光隆