青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー

2015-07-06 06:31:19 | 日記
金井美恵子著『切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー』は、美術館というよりはギャラリー、もっと正確には著者の好きな絵を画集から切りぬいて張ったスクラップ・ブックのようなエッセイ集。ブック・デザインは実姉の金井久美子。饒舌なのに胃にもたれない知的な文章で、読書と絵画鑑賞の楽しみを同時に味あわせてくれる。私の好きな画家や知らなかった画家について教えてくれるのを読むのは幸福な体験であった。

長谷川りん(さんずいに隣という字の右側)次郎   静かな家の猫たち
モリス・ハーシュフィールド   透明さと柔らかさのテクスチャー
マックス=ワルター・スワンベルク   女に憑かれた白鳥
オーギュスト・ルノワールⅠ   ジャンの父親の描いた絵
オーギュスト・ルノワールⅡ   犬も子供も草も水も女も。
アンリ・ルソー   奇妙な近代画家
岡鹿之助   思索としての三色スミレ
フラ・アンジェリコ   天使の描いた沈黙
ダヴィッド、ゴヤ   美しいコスチューム
マティス   マティスの窓
シュレーダー=ゾンネンシュターン   ドン・キホーテとしての画家
円山応拳   落語と写生
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ   ゴッホとお金
ワトー   シテール島へ
李朝民画Ⅰ   寅図の限りない魅力
李朝民画Ⅱ   明窓浄几の空画
サーカス ポスター   サーカスの夢と運命
エドワード・ヒックス   平和なる王国の動物たち
エドワード&ナンシー・レディン・キンホルツ   メイド・イン・USAのエンヴァンラメント
バリュテュス   自画像のまなざし
ジャクソン・ポロック   ポロック、アメリカン・モダン・アートの神話
フランシス・ベーコン   フランシス・ベーコンと映画
ラウル・デュフィ   生きる喜び
フランシスコ・デ・スルバラン ファン・デ・スルバラン ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジョ ヨハネス・フェルメール   スティールライフ――動かない物
高橋由一と長谷川潾次郎   豆腐・丸干し・茶碗
ジオット   同時代人としてのフランチェスコ
ジョセフ・コーネル   箱の旅人
アントニオ・リガーブエ   密猟者と動物たち

長谷川りん次郎の描く猫の絵はあまりにも何気なく、静物画のようにひっそりしている。長谷川は「私にとって一番大切なものは、明るい均等の光線だ。静かな明るい戸外の曇りの日の光線が、私の理想の光線だ」と述べているが、猫の好きな陽気もそんな感じだろう。長谷川の曇り空には、そのような天候に含意されがちな物憂さが心象として少しも表現などされていない。明るい均等の光線の中に眠る猫は、愛に満たされ、柔らかくすべすべした毛皮と独特な形態の永遠の〈猫性〉を纏っている。

スワンベルクといえば、あの奇妙な両性具有の、動物でもあり植物でもあり、磁器や鉱物や宝石でもある夢想的な「女」である。しばしば鳥や魚の形であらわされる頭部と、レモンを半分に切ったような形の乳房を持ち、子宮の中には奇妙な生き物の懐胎が行われており、腹部からは象の鼻と牙が突き出している。そして、無数の花や種子で飾られている全身からは、清冽で硬質な輝きが放たれている。女に憑かれたスワンベルクの絵は、詩的で、夢想そのものを過剰に刻み付けた「極度に限定された一つの世界」である。痙攣する美と純潔な渇望との混種であるところの「女」を崇拝し、熱愛することに生涯を捧げた一人の男の孤独で執念深い幻覚以外には何も存在しない。

1387年か1400年頃フィレンツェ近郊に生まれ、絵を描きながら修道士としての生活を送ったフラ・アンジェリコの生涯については、多くのことは伝えられていない。教皇エウゲニウス4世のよってフィレンツェの大司教に任命されたのを固辞したのは、出世より絵を描くことを取ったというよりは、敬虔な修道士としての真の意味での謙譲のあらわれであったのだろう。天使が味方したため色褪せることも画材がはげ落ちることも無かった、という伝説として語られたフラ・アンジェリコの可愛らしい宗教画には、大袈裟でこれ見よがしなところが一切ない。世俗的な含みを持たない無垢で静謐なフラ・アンジェリコの天使には、近代的精神と知性に毒され、宗教心など端から持たない者にさえ「信仰」というものが存在することを納得させてしまう説得力があるのだ。

そのほか、世界に対して唾を吐き散らしながら、憎悪と哄笑をぶちまけているようなゾンネンシュターン、視る者と視られる者との視線に秘められた官能の激しさが不穏なバリュテュスなど、見飽きることのない絵が多数載せられた実に楽しいスクラップ・ブックなのだった。
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