ダフネ・デュ・モーリア著『レベッカ』は、20世紀ゴシック・ロマンの金字塔。『レベッカ』によってゴシック・ロマンというジャンルが復活したと評されている。タイトルの『レベッカ』は、主人公の夫の先妻の名前だ。主人公には名前が無く、〈わたし〉・〈奥様〉・〈デ・ウィンター夫人〉と表記されている。
《21歳の〈わたし〉は、身寄りが無く、お金持ちの有閑夫人の話し相手をして生計を立てていた。アメリカ人のヴァン・ホッパー夫人のお供でモンテカルロのコートダジュール・ホテルに滞在中、先妻をヨットの事故で亡くした裕福な貴族のマキシム・デ・ウィンターに見初められ、彼の後妻として、彼の所有するマンダレーに住むことになる。
マキシムは42歳。整ってはいるが彫像のように生気のない顔の持ち主で、繊細でいわく言い難い不思議な中世風の雰囲気を湛えていた。モンテカルロに滞在中も時折暗い顔をして、物思いに耽っている様だった。〈わたし〉は、マキシムの優雅な物腰と、彼が熱心に語るマンダレーの風景に夢中になり、求婚を受け入れることにした。そんな〈わたし〉に、ヴァン・ホッパー夫人は皮肉を投げかけた。
「まさかあんたに恋したからだなんて自惚れたりしていないでしょうね?」「大きな間違いを犯していると思うわ――きっとひどく後悔してよ」
マンダレーは上流階級のみならず、葉書売りの老婆さえも知っている有名な地所。デ・ウィンター家が代々大切に管理してきた屋敷や庭園は、マキシムの先妻・レベッカによって洗練され、イギリス中の羨望の的となった。
人々はレベッカに対する称賛を惜しまなかった。マキシムは世界一運のいい男。レベッカは何とも麗しく、たしなみがあって、面白いことこの上ない淑女。気難しい老人から犬まで、誰もがレベッカにぞっこんだった。調度品の配置から庭園の手入れ、使用人のしつけまで、マンダレーにはレベッカの手が入っていないものは何もなかった。マンダレーとレベッカと分かち難く結びついていた。
レベッカの死から一年余りで彼女の後釜に座ることになった若く身分の低い〈わたし〉に、マンダレーの客人も使用人も好奇と蔑みの目を隠さなかった。
人見知りで内気な〈わたし〉は、お金持ちの話し相手をしていた頃から、周囲の人々から軽く扱われがちだった。ホテルの従業員から失礼な態度を取られても、自分が悪いと感じ、抗議ができなかった。
マキシムの妻としてマンダレーでの暮らしが始まっても〈わたし〉の性格は変わらなかった。使用人たちに指図をするのも客人たちをもてなすのも苦痛で仕方なかった。人々は影でレベッカと較べて、〈わたし〉を嗤った。「この結婚はうまくいっていないらしい」「南フランスで拾ったらしい。乳母だか家庭教師だかって話」「レベッカとはまるで違う」と…。
マンダレーは、レベッカの幼少期から仕えていたダンヴァ―ス夫人によって管理されていた。ダンヴァ―ス夫人は、最初から〈わたし〉に対して露骨に敵意を示した。そして、事あるごとにレベッカを絶賛し、マンダレーもマキシムも永久にレベッカのものであること、ここは〈わたし〉のいるべき世界ではないことを態度で示すのだった。
マンダレーに戻ったマキシムはいっそう陰鬱になり、〈わたし〉に対して犬を撫でるような態度を取った。何かで心がいっぱいで、〈わたし〉と向き合う余裕が無いようだった。〈わたし〉の心は次第にレベッカの幻影に支配され、精神の均衡を失っていく…。
マンダレーで久しぶりに仮装舞踏会が開かれることになった。パーティーのもてなしはレベッカの得意とするところで、これまでの失点を挽回しようと〈わたし〉は張り切る。
衣装が思いつかない〈わたし〉にダンヴァ―ス夫人は、「二階の楽団用バルコニーに飾られている絵はどうか」と提案する。その絵は、マキシムの曾々祖父の妹・キャロラインの肖像画だ。気に入った〈わたし〉は、専属の召使い・クラリス以外のすべての人に内緒で準備を進めた。
仮装舞踏会当夜、キャロラインに扮した〈わたし〉を見たマキシムは真っ青になって激怒した。その仮装は、レベッカが最後の舞踏会で扮したものと同じだったのである。〈わたし〉を嵌めるのに成功したダンヴァ―ス夫人は、狂喜の微笑みを浮かべた。
〈わたし〉がわざとやったと思っているマキシムは、舞踏会の最中〈わたし〉に一言も話しかけなかった。そして、その夜は寝室に戻らなかった。〈わたし〉はこの結婚が僅か5カ月で失敗したことを痛感した。
翌日、ダンヴァ―ス夫人と対峙した〈わたし〉は、ダンヴァ―ス夫人から激しく罵られ、テラスから飛び降りて死ぬことを強いられる。
「奥様が消えたらいかがです?いて欲しい者なんてだれ一人おりませんのよ。だんな様もそうです、最初からそうです」「飛び降りてごらんなさいませ。やってごらんなさいませ」「さあ、ほら、怖がらないで」と…。
……もうすぐレベッカのことを考えずに良くなる……。〈わたし〉が、窓枠を掴んでいた手を緩めた瞬間、海上から信号弾の炸裂音が響いた。海中に沈められていたレベッカのヨットが発見されたのだ。引き上げられた船内からは白骨が発見された。レベッカの遺体なら、事故の二か月後に発見された水死体をマキシムが確認し、地下の霊廟に葬られたはずだ。では、新しく発見された白骨は誰のものなのか……?》
物語は、〈わたし〉が失われたマンダレーの夢を見るところから始まる。マンダレー、わたしたちのマンダレー。鉄扉を通り抜け、屋敷にむかう道を進んでいく。道には木々が生い茂り、やがて現れる蔦の絡まった静謐な屋敷…。マンダレーの詳細な描写が続き、ダンヴァ―ス夫人とかファヴェルとか説明もなく人物名が差し込まれ、読者の興味をかき立てる。〈わたし〉とマキシムは、何故マンダレーを失ったのか?レベッカは、本当はどんな女性だったのか?
レベッカは物語が始まるときには、すでに謎の水死をとげ、埋葬も終わっている。『レベッカ』は、死者に支配されている物語なのである。それがこの物語に不吉な空気を纏わせている。
物語は〈わたし〉によって語られていく。マンダレーの広大な屋敷は敵意に満ちていて不気味だ。レベッカが作り上げた空気や習慣が屋敷の隅々までびっしり蔓延っている。すべてに彼女を思い出す便があり、空気にさえ悪意と恐怖が宿っている。
〈わたし〉とマキシムの間には常にレベッカが立ち塞がっており、心が通じ合っているようには思えない。初めてマキシムの口から待ち望んでいた「愛している」という言葉を聞いた時、〈わたし〉はもうマキシムが愛した〈わたし〉ではなかった。「僕の話がわかった?わかってくれた?」と縋るマキシムだが、〈わたし〉にとって重要なのはそこではなかった。〈わたし〉は、よからぬ知恵を身に着けた狡い大人になってしまった。
「ぼくが好きだったあの表情、なんだか途方に暮れたような、あのおかしな初々しい感じ、あれが消えてしまった。もうもどってこない」
〈わたし〉が大人にならなければマキシムを支えることは出来なかったけど、それはマキシムの望むことではなかった。力を合わせて難局を乗り越えたのち、この夫婦に残ったものは何だろう?すべてはマキシムが何よりもマンダレーを優先したことによって起きた悲劇だった。その意味では、レベッカも〈わたし〉も犠牲者といえる。
マンダレーはレベッカの死とともに崩壊が始まっていた。〈わたし〉は物語の始まりで、滅びゆくマンダレーで体験した恐怖の日々をこう回想している。
“この屋敷は墓所――わたしたちを脅かした不安や苦しみは廃墟に埋められ、二度と甦ることはない。”
本当に…?それならば〈わたし〉がマンダレーの夢を見るのは何故?マキシムが突然放心したような戸惑った表情になるのは何故?二人は労り合っているけど、巧妙に互いの心底には触れないようにしている。そこには共犯者の後ろ暗さが漂い、彼らが今でもレベッカの影に怯えているようにしか見えない。レベッカが勝ったのだ。生者は死者とは戦えないのだから…。人は誰でも己の人生の主人公だなんて嘘だ。他人の物語の中でしか生きられない人間だっている。〈わたし〉とマキシムは、そういう人間だ。
《21歳の〈わたし〉は、身寄りが無く、お金持ちの有閑夫人の話し相手をして生計を立てていた。アメリカ人のヴァン・ホッパー夫人のお供でモンテカルロのコートダジュール・ホテルに滞在中、先妻をヨットの事故で亡くした裕福な貴族のマキシム・デ・ウィンターに見初められ、彼の後妻として、彼の所有するマンダレーに住むことになる。
マキシムは42歳。整ってはいるが彫像のように生気のない顔の持ち主で、繊細でいわく言い難い不思議な中世風の雰囲気を湛えていた。モンテカルロに滞在中も時折暗い顔をして、物思いに耽っている様だった。〈わたし〉は、マキシムの優雅な物腰と、彼が熱心に語るマンダレーの風景に夢中になり、求婚を受け入れることにした。そんな〈わたし〉に、ヴァン・ホッパー夫人は皮肉を投げかけた。
「まさかあんたに恋したからだなんて自惚れたりしていないでしょうね?」「大きな間違いを犯していると思うわ――きっとひどく後悔してよ」
マンダレーは上流階級のみならず、葉書売りの老婆さえも知っている有名な地所。デ・ウィンター家が代々大切に管理してきた屋敷や庭園は、マキシムの先妻・レベッカによって洗練され、イギリス中の羨望の的となった。
人々はレベッカに対する称賛を惜しまなかった。マキシムは世界一運のいい男。レベッカは何とも麗しく、たしなみがあって、面白いことこの上ない淑女。気難しい老人から犬まで、誰もがレベッカにぞっこんだった。調度品の配置から庭園の手入れ、使用人のしつけまで、マンダレーにはレベッカの手が入っていないものは何もなかった。マンダレーとレベッカと分かち難く結びついていた。
レベッカの死から一年余りで彼女の後釜に座ることになった若く身分の低い〈わたし〉に、マンダレーの客人も使用人も好奇と蔑みの目を隠さなかった。
人見知りで内気な〈わたし〉は、お金持ちの話し相手をしていた頃から、周囲の人々から軽く扱われがちだった。ホテルの従業員から失礼な態度を取られても、自分が悪いと感じ、抗議ができなかった。
マキシムの妻としてマンダレーでの暮らしが始まっても〈わたし〉の性格は変わらなかった。使用人たちに指図をするのも客人たちをもてなすのも苦痛で仕方なかった。人々は影でレベッカと較べて、〈わたし〉を嗤った。「この結婚はうまくいっていないらしい」「南フランスで拾ったらしい。乳母だか家庭教師だかって話」「レベッカとはまるで違う」と…。
マンダレーは、レベッカの幼少期から仕えていたダンヴァ―ス夫人によって管理されていた。ダンヴァ―ス夫人は、最初から〈わたし〉に対して露骨に敵意を示した。そして、事あるごとにレベッカを絶賛し、マンダレーもマキシムも永久にレベッカのものであること、ここは〈わたし〉のいるべき世界ではないことを態度で示すのだった。
マンダレーに戻ったマキシムはいっそう陰鬱になり、〈わたし〉に対して犬を撫でるような態度を取った。何かで心がいっぱいで、〈わたし〉と向き合う余裕が無いようだった。〈わたし〉の心は次第にレベッカの幻影に支配され、精神の均衡を失っていく…。
マンダレーで久しぶりに仮装舞踏会が開かれることになった。パーティーのもてなしはレベッカの得意とするところで、これまでの失点を挽回しようと〈わたし〉は張り切る。
衣装が思いつかない〈わたし〉にダンヴァ―ス夫人は、「二階の楽団用バルコニーに飾られている絵はどうか」と提案する。その絵は、マキシムの曾々祖父の妹・キャロラインの肖像画だ。気に入った〈わたし〉は、専属の召使い・クラリス以外のすべての人に内緒で準備を進めた。
仮装舞踏会当夜、キャロラインに扮した〈わたし〉を見たマキシムは真っ青になって激怒した。その仮装は、レベッカが最後の舞踏会で扮したものと同じだったのである。〈わたし〉を嵌めるのに成功したダンヴァ―ス夫人は、狂喜の微笑みを浮かべた。
〈わたし〉がわざとやったと思っているマキシムは、舞踏会の最中〈わたし〉に一言も話しかけなかった。そして、その夜は寝室に戻らなかった。〈わたし〉はこの結婚が僅か5カ月で失敗したことを痛感した。
翌日、ダンヴァ―ス夫人と対峙した〈わたし〉は、ダンヴァ―ス夫人から激しく罵られ、テラスから飛び降りて死ぬことを強いられる。
「奥様が消えたらいかがです?いて欲しい者なんてだれ一人おりませんのよ。だんな様もそうです、最初からそうです」「飛び降りてごらんなさいませ。やってごらんなさいませ」「さあ、ほら、怖がらないで」と…。
……もうすぐレベッカのことを考えずに良くなる……。〈わたし〉が、窓枠を掴んでいた手を緩めた瞬間、海上から信号弾の炸裂音が響いた。海中に沈められていたレベッカのヨットが発見されたのだ。引き上げられた船内からは白骨が発見された。レベッカの遺体なら、事故の二か月後に発見された水死体をマキシムが確認し、地下の霊廟に葬られたはずだ。では、新しく発見された白骨は誰のものなのか……?》
物語は、〈わたし〉が失われたマンダレーの夢を見るところから始まる。マンダレー、わたしたちのマンダレー。鉄扉を通り抜け、屋敷にむかう道を進んでいく。道には木々が生い茂り、やがて現れる蔦の絡まった静謐な屋敷…。マンダレーの詳細な描写が続き、ダンヴァ―ス夫人とかファヴェルとか説明もなく人物名が差し込まれ、読者の興味をかき立てる。〈わたし〉とマキシムは、何故マンダレーを失ったのか?レベッカは、本当はどんな女性だったのか?
レベッカは物語が始まるときには、すでに謎の水死をとげ、埋葬も終わっている。『レベッカ』は、死者に支配されている物語なのである。それがこの物語に不吉な空気を纏わせている。
物語は〈わたし〉によって語られていく。マンダレーの広大な屋敷は敵意に満ちていて不気味だ。レベッカが作り上げた空気や習慣が屋敷の隅々までびっしり蔓延っている。すべてに彼女を思い出す便があり、空気にさえ悪意と恐怖が宿っている。
〈わたし〉とマキシムの間には常にレベッカが立ち塞がっており、心が通じ合っているようには思えない。初めてマキシムの口から待ち望んでいた「愛している」という言葉を聞いた時、〈わたし〉はもうマキシムが愛した〈わたし〉ではなかった。「僕の話がわかった?わかってくれた?」と縋るマキシムだが、〈わたし〉にとって重要なのはそこではなかった。〈わたし〉は、よからぬ知恵を身に着けた狡い大人になってしまった。
「ぼくが好きだったあの表情、なんだか途方に暮れたような、あのおかしな初々しい感じ、あれが消えてしまった。もうもどってこない」
〈わたし〉が大人にならなければマキシムを支えることは出来なかったけど、それはマキシムの望むことではなかった。力を合わせて難局を乗り越えたのち、この夫婦に残ったものは何だろう?すべてはマキシムが何よりもマンダレーを優先したことによって起きた悲劇だった。その意味では、レベッカも〈わたし〉も犠牲者といえる。
マンダレーはレベッカの死とともに崩壊が始まっていた。〈わたし〉は物語の始まりで、滅びゆくマンダレーで体験した恐怖の日々をこう回想している。
“この屋敷は墓所――わたしたちを脅かした不安や苦しみは廃墟に埋められ、二度と甦ることはない。”
本当に…?それならば〈わたし〉がマンダレーの夢を見るのは何故?マキシムが突然放心したような戸惑った表情になるのは何故?二人は労り合っているけど、巧妙に互いの心底には触れないようにしている。そこには共犯者の後ろ暗さが漂い、彼らが今でもレベッカの影に怯えているようにしか見えない。レベッカが勝ったのだ。生者は死者とは戦えないのだから…。人は誰でも己の人生の主人公だなんて嘘だ。他人の物語の中でしか生きられない人間だっている。〈わたし〉とマキシムは、そういう人間だ。