米澤穂信『さよなら妖精』は、地方都市・藤柴市を舞台に、4人の高校生と、ユーゴスラビアから来た少女・マーヤとの交流を描いた“ボーイ・ミーツ・ガール・ミステリ”。
《1991年4月、藤柴市の高校生3年生・守屋路行と太刀洗万智は学校からの帰り道、ユーゴスラビアから来た少女・マーヤと出会う。
マーヤは2カ月の滞在中に身を寄せる予定だった父の友人が亡くなっていたことを知って途方に暮れていた。大阪にいる父を頼ることも出来ないらしい。守屋の同級生・白河いずるの旅館に身を寄せることになったマーヤは、守屋・大刀洗・白河に弓道部の文原竹彦を含めた4人の高校生と交流を深めながら、「傘を持ちながら傘を差さずに団地から走ってきた男」「神社に餅を持っていこうとする二人の男」「墓に供えられた紅白饅頭」など日常生活で目撃した謎を解きつつ、貪欲に日本の習慣を学んでいく。
マーヤの帰国が迫った6月、「ユーゴ武力衝突本格化へ」というニュースが飛び込んできた。ユーゴスラビアでは民族蜂起による戦争が始まっていたのだ。守屋は受験勉強そっちのけで、バルカン半島の歴史を調べるようになる。しかし、そのことをマーヤは喜んではいなかった。
ユーゴ戦局は混迷の様相を深めていったが、マーヤの帰国の意思は堅かった。4人はマーヤの送別会を開くが、その席で守屋は、「ユーゴスラビアに渡りたい」と告白する。そんな守屋にマーヤは、「観光に命を懸けるのは良くありません」と拒絶の意思を示す。「観光をしたいなんて言っていない」と食い下がる守屋を、マーヤは、「でも、守屋さんは観光をしたいです。やっぱり駄目ですね」と重ねて拒絶した。
マーヤは自分の母国を明かさないまま、守屋たちの前から去って行った。
それから1年後、大学生になった守屋はマーヤの安全を確認するため、ユーゴスラビアを構成する6つの国家の中からマーヤの母国を突き止めようと検証を開始する。仲間たちにも声をかけたが、乗って来たのは白河だけだった。守屋は、大刀洗や文原との感情の齟齬に苛立つ。
そして、マーヤの母国がボスニア・ヘルツェゴビナだという最悪の結論に辿り着いた。
その夜、守屋は太刀洗に呼び出された。太刀洗は自分がマーヤの相談相手となっており、彼女の住所を知っていることを告げる。怒りを露わにする守屋に、大刀洗はマーヤがなぜ皆に自分の母国を内緒にしていたのかを語った。
マーヤは守屋を見切っていた。マーヤの国がボスニア・ヘルツェゴビナだと知れば、守屋がきっと渡航したがるだろうと危惧していた。それを阻止するために守屋自身には勿論、頼まれたら断れない白河や男同士の文原にも連絡先を内緒にしていたのだ。
大刀洗は、マーヤの兄から届いた手紙を守屋に渡し、今すぐ読むよう要求した。その衝撃の内容とは…。》
4人の高校生の中では、最も共感するのが文原、最も好感が持てるのが白河だった。「自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だ」という文原のスタンスは謙虚で誠実だし、白河の人の気持ちに寄り添える優しさは天性の美徳だと思う。大刀洗は察してちゃんでかなり面倒臭いが、10代の女の子としては許容範囲。時期が来れば、大きく羽ばたける人だろう。問題は守屋だ。語り部である守屋の独白が物語の大きな比重を占めているのに、私はこの人物には共感も関心も持てなくて、正直読んでいるのが苦痛だった。「もっとマーヤの心情に触れて欲しい」と思いながらページを繰っていた。
守屋は、友人から「あなた、幸福そうね?」とか「お前が何かに熱中しているところが想像できない」などと評される人物だ。
守屋の話は無駄に長い。
例えば、「傘を持ちながら傘を差さずに団地から走って来た男」についてマーヤが疑問をぶつけて来た時。男が壊れた傘をごみ集積所に出しに来ただけという回答を述べるのに、キザッたらしい装飾を施し過ぎて7ページもかかっている。結論から話してほしい。
またこの人は、独りよがりで他人の気持ちを斟酌するということを知らない。
例えば、マーヤの送別会の時。遅刻ではないものの一番後に来たくせに、皆がすでに盛り上がっているのに気分を害し、「別れの席なら別れの席らしくしんみりやるものじゃないか」などとねめつける。文原から「水杯の方が好みなのか?」と切り返されるまで、皆がどんな気持ちでマーヤを送り出そうとしているのかを考えない。
また、マーヤの本名がマリヤだということや大刀洗が中学浪人していたことを知らなかったことなども、何故自分だけが知らなかったのかについては疑問を持たずに不満に思う。一事が万事この調子なので、この人の心情の吐露には疲れる。友人から指摘されれば反省はするのだが、もう高3なのだから言われる前から自主的に配慮して欲しいものだ。
本人曰く、“ひと付き合いにはそつがないので、おれは友人といえば十指までは楽に名前を挙げられる。(中略)しかし、珍しいこととも思わないが彼らとの付き合いは学校内に限られ、日曜に待ち合わせて出かけることなどまずない”のだそうだ。突っ込みどころだらけである。
友人たちの人間性を上から分析していたつもりが、マーヤとの出会いを機に彼らとの距離が縮まり、実は自分が一番劣っていることを思い知るようになって動揺している。スカした態度も自分を守るための鎧だと思えば可愛いのかもしれない。
マーヤについても思い違いをしている。
マーヤとどんな話をしていたのかを白河に訪ねた際に、
「普通の女の子が話すようなことだったな」「料理の話とか、お化粧の話とか、占いの話とか。(中略)いま思うとマーヤ、割とミーハーだったような気がする」
と予想外の言葉を返され、
「マーヤは、もしかしたら、色んな自分を演じ分けていたのかもしれん」
と、まるでマーヤに謀られていたかのような感想を述べてしまう。人にはいくつもの側面があるという当たり前のことが理解出来ないし、自己評価が無暗に高いので、自分が知らないことを他の人が知っているということに我慢が出来ない。ユーゴスラビアについても、本を数冊読んだだけで分かったつもりでいるから、本を数冊読んだだけでもわかるようなことすらわかっていない。だから、当事者であるマーヤに向かって、「ユーゴスラビアに行きたい」などと口にできるし、マーヤの拒絶の意味も理解できない。自分探しとか、受験勉強からの逃避のための渡航先には、ユーゴスラビアは危険すぎる。マーヤの母国探しを文原や大刀洗から拒絶された時にも冷たい奴らだと苛立つばかりで、何故断られたのかまでは考えない。彼らが何に悩み苦しんでいるのか、寄り添って考えようとしない。身近な人と支え合うより、海の向こうの紛争に介入する方が、英雄的でカッコ良いとでも思っているようだ。
“ボーイ・ミーツ・ガール”の味付けに使うには、ユーゴ紛争はあまりにも複雑で重たい。幼い人の視点から異国の歴史・文化を考えるのは面白いかも知れないが、“下手の考え休むに似たり”の守屋では荷が重いだろう。人の心情を忖度するのが上手く、マーヤとの関わりが一番深かった白河を語り部にした方が、もっと素直に物語に入り込めたかもと思う。
マーヤは愛すべき女の子だった。
マーヤが滞在中に見つけた小さな謎たちは、物語の本筋とは関わりが無いので描かなくても良かったかもしれないが、そんな日常の些末な出来事が政情不安定な国から来た彼女にとっては貴重な体験だったのだろう。マーヤが日本の同年代の女の子の前で、「割とミーハー」な側面を見せることが出来たのは、幸せな収穫だったと思う。
混迷を極める紛争地帯から来た少女が、切実に平和な国・日本の普段の姿を調査し(マーヤは観光地には関心が無い)、母国を変える糧にしようと奮闘する。政治家になって祖国の平和実現に尽くしたいと願う彼女の真摯な生き方の前では、日本の同年代の悩みはだいたい暢気で滑稽だ。人は与えられた条件の中でベストを尽くすべきであって、その意味では、マーヤの生き方は最も関わりの薄かった文原に近いのかもしれない。
紫陽花の髪飾りと共にマーヤの残像が心に残る切ないラストだった。
《1991年4月、藤柴市の高校生3年生・守屋路行と太刀洗万智は学校からの帰り道、ユーゴスラビアから来た少女・マーヤと出会う。
マーヤは2カ月の滞在中に身を寄せる予定だった父の友人が亡くなっていたことを知って途方に暮れていた。大阪にいる父を頼ることも出来ないらしい。守屋の同級生・白河いずるの旅館に身を寄せることになったマーヤは、守屋・大刀洗・白河に弓道部の文原竹彦を含めた4人の高校生と交流を深めながら、「傘を持ちながら傘を差さずに団地から走ってきた男」「神社に餅を持っていこうとする二人の男」「墓に供えられた紅白饅頭」など日常生活で目撃した謎を解きつつ、貪欲に日本の習慣を学んでいく。
マーヤの帰国が迫った6月、「ユーゴ武力衝突本格化へ」というニュースが飛び込んできた。ユーゴスラビアでは民族蜂起による戦争が始まっていたのだ。守屋は受験勉強そっちのけで、バルカン半島の歴史を調べるようになる。しかし、そのことをマーヤは喜んではいなかった。
ユーゴ戦局は混迷の様相を深めていったが、マーヤの帰国の意思は堅かった。4人はマーヤの送別会を開くが、その席で守屋は、「ユーゴスラビアに渡りたい」と告白する。そんな守屋にマーヤは、「観光に命を懸けるのは良くありません」と拒絶の意思を示す。「観光をしたいなんて言っていない」と食い下がる守屋を、マーヤは、「でも、守屋さんは観光をしたいです。やっぱり駄目ですね」と重ねて拒絶した。
マーヤは自分の母国を明かさないまま、守屋たちの前から去って行った。
それから1年後、大学生になった守屋はマーヤの安全を確認するため、ユーゴスラビアを構成する6つの国家の中からマーヤの母国を突き止めようと検証を開始する。仲間たちにも声をかけたが、乗って来たのは白河だけだった。守屋は、大刀洗や文原との感情の齟齬に苛立つ。
そして、マーヤの母国がボスニア・ヘルツェゴビナだという最悪の結論に辿り着いた。
その夜、守屋は太刀洗に呼び出された。太刀洗は自分がマーヤの相談相手となっており、彼女の住所を知っていることを告げる。怒りを露わにする守屋に、大刀洗はマーヤがなぜ皆に自分の母国を内緒にしていたのかを語った。
マーヤは守屋を見切っていた。マーヤの国がボスニア・ヘルツェゴビナだと知れば、守屋がきっと渡航したがるだろうと危惧していた。それを阻止するために守屋自身には勿論、頼まれたら断れない白河や男同士の文原にも連絡先を内緒にしていたのだ。
大刀洗は、マーヤの兄から届いた手紙を守屋に渡し、今すぐ読むよう要求した。その衝撃の内容とは…。》
4人の高校生の中では、最も共感するのが文原、最も好感が持てるのが白河だった。「自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だ」という文原のスタンスは謙虚で誠実だし、白河の人の気持ちに寄り添える優しさは天性の美徳だと思う。大刀洗は察してちゃんでかなり面倒臭いが、10代の女の子としては許容範囲。時期が来れば、大きく羽ばたける人だろう。問題は守屋だ。語り部である守屋の独白が物語の大きな比重を占めているのに、私はこの人物には共感も関心も持てなくて、正直読んでいるのが苦痛だった。「もっとマーヤの心情に触れて欲しい」と思いながらページを繰っていた。
守屋は、友人から「あなた、幸福そうね?」とか「お前が何かに熱中しているところが想像できない」などと評される人物だ。
守屋の話は無駄に長い。
例えば、「傘を持ちながら傘を差さずに団地から走って来た男」についてマーヤが疑問をぶつけて来た時。男が壊れた傘をごみ集積所に出しに来ただけという回答を述べるのに、キザッたらしい装飾を施し過ぎて7ページもかかっている。結論から話してほしい。
またこの人は、独りよがりで他人の気持ちを斟酌するということを知らない。
例えば、マーヤの送別会の時。遅刻ではないものの一番後に来たくせに、皆がすでに盛り上がっているのに気分を害し、「別れの席なら別れの席らしくしんみりやるものじゃないか」などとねめつける。文原から「水杯の方が好みなのか?」と切り返されるまで、皆がどんな気持ちでマーヤを送り出そうとしているのかを考えない。
また、マーヤの本名がマリヤだということや大刀洗が中学浪人していたことを知らなかったことなども、何故自分だけが知らなかったのかについては疑問を持たずに不満に思う。一事が万事この調子なので、この人の心情の吐露には疲れる。友人から指摘されれば反省はするのだが、もう高3なのだから言われる前から自主的に配慮して欲しいものだ。
本人曰く、“ひと付き合いにはそつがないので、おれは友人といえば十指までは楽に名前を挙げられる。(中略)しかし、珍しいこととも思わないが彼らとの付き合いは学校内に限られ、日曜に待ち合わせて出かけることなどまずない”のだそうだ。突っ込みどころだらけである。
友人たちの人間性を上から分析していたつもりが、マーヤとの出会いを機に彼らとの距離が縮まり、実は自分が一番劣っていることを思い知るようになって動揺している。スカした態度も自分を守るための鎧だと思えば可愛いのかもしれない。
マーヤについても思い違いをしている。
マーヤとどんな話をしていたのかを白河に訪ねた際に、
「普通の女の子が話すようなことだったな」「料理の話とか、お化粧の話とか、占いの話とか。(中略)いま思うとマーヤ、割とミーハーだったような気がする」
と予想外の言葉を返され、
「マーヤは、もしかしたら、色んな自分を演じ分けていたのかもしれん」
と、まるでマーヤに謀られていたかのような感想を述べてしまう。人にはいくつもの側面があるという当たり前のことが理解出来ないし、自己評価が無暗に高いので、自分が知らないことを他の人が知っているということに我慢が出来ない。ユーゴスラビアについても、本を数冊読んだだけで分かったつもりでいるから、本を数冊読んだだけでもわかるようなことすらわかっていない。だから、当事者であるマーヤに向かって、「ユーゴスラビアに行きたい」などと口にできるし、マーヤの拒絶の意味も理解できない。自分探しとか、受験勉強からの逃避のための渡航先には、ユーゴスラビアは危険すぎる。マーヤの母国探しを文原や大刀洗から拒絶された時にも冷たい奴らだと苛立つばかりで、何故断られたのかまでは考えない。彼らが何に悩み苦しんでいるのか、寄り添って考えようとしない。身近な人と支え合うより、海の向こうの紛争に介入する方が、英雄的でカッコ良いとでも思っているようだ。
“ボーイ・ミーツ・ガール”の味付けに使うには、ユーゴ紛争はあまりにも複雑で重たい。幼い人の視点から異国の歴史・文化を考えるのは面白いかも知れないが、“下手の考え休むに似たり”の守屋では荷が重いだろう。人の心情を忖度するのが上手く、マーヤとの関わりが一番深かった白河を語り部にした方が、もっと素直に物語に入り込めたかもと思う。
マーヤは愛すべき女の子だった。
マーヤが滞在中に見つけた小さな謎たちは、物語の本筋とは関わりが無いので描かなくても良かったかもしれないが、そんな日常の些末な出来事が政情不安定な国から来た彼女にとっては貴重な体験だったのだろう。マーヤが日本の同年代の女の子の前で、「割とミーハー」な側面を見せることが出来たのは、幸せな収穫だったと思う。
混迷を極める紛争地帯から来た少女が、切実に平和な国・日本の普段の姿を調査し(マーヤは観光地には関心が無い)、母国を変える糧にしようと奮闘する。政治家になって祖国の平和実現に尽くしたいと願う彼女の真摯な生き方の前では、日本の同年代の悩みはだいたい暢気で滑稽だ。人は与えられた条件の中でベストを尽くすべきであって、その意味では、マーヤの生き方は最も関わりの薄かった文原に近いのかもしれない。
紫陽花の髪飾りと共にマーヤの残像が心に残る切ないラストだった。