皆川博子著『辺境図書館』
“この辺境図書館には、皆川博子館長が
蒐集してきた名作・稀覯本が収められている。
貸出は不可。
読みたければ、世界をくまなく歩き、
発見されたし。運良く手に入れられたら、
未知の喜びを得られるだろう。
辺境図書館 司書“
タイトルや装丁・装画のチョイスにまで皆川さんの本に対する愛情がにじみ出ている。それでいて押し付けがましくないのが、上品で好感が持てる。
本書で取り上げられているのは、皆川さんの長く豊かな読書歴の中で(小学5年生で『世界名作戯曲集』を読破している!)選抜され、特別な書庫に収められたもののほんの一部だ。
巻末に目次と同じデザインのページが4ページ収められている。きっとここに読者の愛読書を書き記せと言うことなのだろう。ひどく自分のセンスを試されている気になる。
下記が本書で取り上げられている本たちだ。
各章のタイトルになっている本以外にも、その本と関連のある本や、その本を語っているうちに皆川さんの心に浮かんだ本についても語られている。それらも勘定すれば優に50冊分を超える“未知の喜びを得られる”機会が示されているのだ。
001『夜のみだらな鳥』とホセ・ドノソ
002『穴掘り侯爵』とミック・ジャクソン
003『肉桂色の店』とブルーノ・シュルツ
004『作者を探す六人の登場人物』とルイジ・ピランデルロ
005「建築家とアッシリアの皇帝」「迷路」とフェルナンド・アラバール
006『無力な天使たち』とアントワーヌ・ヴォロディーヌ
007「黄金仮面の王」とマルセル・シュオッブ
008『アサイラム・ピース』『氷』とアンナ・カヴァン
009「曼殊沙華の」と野溝七生子
010『夷狄を待ちながら』とジョン・マックスウェル・クッツェー
011「街道」「コフェチュア王」とジュリアン・グラック
012『黒い時計の旅』とスティーブ・エリクソン
013『自殺案内者』「蓮花照応」と石上玄一郎
014『鉛の夜』『十三の不気味な物語』とハンス・へニー・ヤン
015『セルバンテス』とパウル・シェ―アバルト 『ゾマーさんのこと』とパトリック・ジュースキント
016『吸血鬼』と佐藤亜紀
017『魔王』ミシェル・トゥルニエ
018「光の門」とロード・ダンセイニ 「鷹の井」とウィリアム・バトラー・イェイツ
019『神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚一五八~一六〇七』
020『心は孤独な狩人』とカースン・マッカラーズ
021「アネモネと風速計」と鳩山郁子 『わたしは灯台守』とエリック・ファーユ
022「紅い花」「信号」とフセーヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシン 『神経内科医の文学診断』(正・続)と岩田誠
023『塔の中の女』と間宮緑
024『銀河と地獄』と川村二郎 「ロレンザッチョ」とアルフレッド・ド・ミュッセ
025『郡虎彦全集』と郡虎彦 『郡虎彦 その夢と生涯』と杉山正樹
000水族図書館 皆川博子
この中で私が読んだことがあるのは、アンナ・カヴァンの『アサイラム・ピース』『氷』とガルシンの「紅い花」「信号」だけ。未読どころか名前を見るのさえ今回が初めての、まったくの未知の作家が多数紹介されていて得した気分になった。
どの章にも、本とそれに纏わる皆川さんの思い出が綴られていて、本に対する皆川さんの愛情を存分に感じ取ることが出来る。特に〈008『アサイラム・ピース』『氷』とアンナ・カヴァン〉の、“本を傷めることは、アンナ・カヴァンに傷をつけることだ。”という一文には、涙ぐみそうになった。アンナ・カヴァンとは、そのように愛されるべき作家なのだ。
皆川さんの選本センスには全幅の信頼を置いている。どれを読んでもハズレはないだろう。
郡虎彦なんて、白樺派と聞いただけで「私の趣味ではないな」と避けるところだが、皆川さんの手にかかると、作家として不遇だった彼の生涯ごと、彼の作品を愛してみたくなる。
そんな私が、読みたい本リストの上部に置いたのが、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』、アントワーヌ・ヴォロディーヌ『無力な天使たち』、ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』、ハンス・ヘニー・ヤーン『十三の無気味な物語』、石上玄一郎『自殺案内者』、カースン・マッカラーズ『心は孤独な旅人』、パトリック・ジュースキント『ゾマーさんのこと』あたり。とくに『夜のみだらな鳥』は、本書の最初001に紹介されていたので、インパクトが大きかった。この章を読んで、本書は“アタリ”だと思った。
〈000水族図書館〉は、皆川さんの書き下ろし短編。
柳の根方に、葦の茂みを揺籃として産み付けられた卵から産まれた人魚の物語。
主人公は人魚に柳と名付けて、アンデルセンの『人魚姫』や小川未明の『紅い蝋燭と人魚』などの人魚物語を読んで聞かせる。しかし、柳には感情というものが理解できない。
ところが、阿部公房の「人魚伝」を読み聞かせたところで、柳の目に表情が浮かぶ。
主人公は、この話は読んでやるべきではなかった、と思う。それは人魚を飼っているつもりだった男が、実は食肉用家畜として彼女に飼育されていた、という話だったのだ。「人魚伝」の人魚のように、柳も主人公の肉を、歯を滑らせ、紐状に削ぎ取り、すするように飲み込む。この辺りの描写は隠微なのに気品がある。
私は「人魚伝」は未読だけど、きっと「人魚伝」の男も幸せだったに違いないと思うのだ。喰う・喰われるというのは、一度きりの究極の愛情表現だろうから。
骨になった主人公は、フケーの『水の精』を読み聞かせる。ウンディーネは、他の女に心を移した騎士を、涙で殺めてしまうのだ。
主人公は更に、ウンディーネをもとにしたジャン・ジロドゥの「オンディーヌ」を読んでやる。
“〈オンディーヌ あたし、この人好きだわ!……生き返らせてやれないの?
水界の王 駄目だ!
オンディーヌ (引っ張られながら)惜しいわ!あたし、きっと好きになったのに…。“
柳は、オンディーヌの台詞を忽ち覚えてしまう。きっとオンディーヌの心も理解したことだろう。
“この辺境図書館には、皆川博子館長が
蒐集してきた名作・稀覯本が収められている。
貸出は不可。
読みたければ、世界をくまなく歩き、
発見されたし。運良く手に入れられたら、
未知の喜びを得られるだろう。
辺境図書館 司書“
タイトルや装丁・装画のチョイスにまで皆川さんの本に対する愛情がにじみ出ている。それでいて押し付けがましくないのが、上品で好感が持てる。
本書で取り上げられているのは、皆川さんの長く豊かな読書歴の中で(小学5年生で『世界名作戯曲集』を読破している!)選抜され、特別な書庫に収められたもののほんの一部だ。
巻末に目次と同じデザインのページが4ページ収められている。きっとここに読者の愛読書を書き記せと言うことなのだろう。ひどく自分のセンスを試されている気になる。
下記が本書で取り上げられている本たちだ。
各章のタイトルになっている本以外にも、その本と関連のある本や、その本を語っているうちに皆川さんの心に浮かんだ本についても語られている。それらも勘定すれば優に50冊分を超える“未知の喜びを得られる”機会が示されているのだ。
001『夜のみだらな鳥』とホセ・ドノソ
002『穴掘り侯爵』とミック・ジャクソン
003『肉桂色の店』とブルーノ・シュルツ
004『作者を探す六人の登場人物』とルイジ・ピランデルロ
005「建築家とアッシリアの皇帝」「迷路」とフェルナンド・アラバール
006『無力な天使たち』とアントワーヌ・ヴォロディーヌ
007「黄金仮面の王」とマルセル・シュオッブ
008『アサイラム・ピース』『氷』とアンナ・カヴァン
009「曼殊沙華の」と野溝七生子
010『夷狄を待ちながら』とジョン・マックスウェル・クッツェー
011「街道」「コフェチュア王」とジュリアン・グラック
012『黒い時計の旅』とスティーブ・エリクソン
013『自殺案内者』「蓮花照応」と石上玄一郎
014『鉛の夜』『十三の不気味な物語』とハンス・へニー・ヤン
015『セルバンテス』とパウル・シェ―アバルト 『ゾマーさんのこと』とパトリック・ジュースキント
016『吸血鬼』と佐藤亜紀
017『魔王』ミシェル・トゥルニエ
018「光の門」とロード・ダンセイニ 「鷹の井」とウィリアム・バトラー・イェイツ
019『神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚一五八~一六〇七』
020『心は孤独な狩人』とカースン・マッカラーズ
021「アネモネと風速計」と鳩山郁子 『わたしは灯台守』とエリック・ファーユ
022「紅い花」「信号」とフセーヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシン 『神経内科医の文学診断』(正・続)と岩田誠
023『塔の中の女』と間宮緑
024『銀河と地獄』と川村二郎 「ロレンザッチョ」とアルフレッド・ド・ミュッセ
025『郡虎彦全集』と郡虎彦 『郡虎彦 その夢と生涯』と杉山正樹
000水族図書館 皆川博子
この中で私が読んだことがあるのは、アンナ・カヴァンの『アサイラム・ピース』『氷』とガルシンの「紅い花」「信号」だけ。未読どころか名前を見るのさえ今回が初めての、まったくの未知の作家が多数紹介されていて得した気分になった。
どの章にも、本とそれに纏わる皆川さんの思い出が綴られていて、本に対する皆川さんの愛情を存分に感じ取ることが出来る。特に〈008『アサイラム・ピース』『氷』とアンナ・カヴァン〉の、“本を傷めることは、アンナ・カヴァンに傷をつけることだ。”という一文には、涙ぐみそうになった。アンナ・カヴァンとは、そのように愛されるべき作家なのだ。
皆川さんの選本センスには全幅の信頼を置いている。どれを読んでもハズレはないだろう。
郡虎彦なんて、白樺派と聞いただけで「私の趣味ではないな」と避けるところだが、皆川さんの手にかかると、作家として不遇だった彼の生涯ごと、彼の作品を愛してみたくなる。
そんな私が、読みたい本リストの上部に置いたのが、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』、アントワーヌ・ヴォロディーヌ『無力な天使たち』、ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』、ハンス・ヘニー・ヤーン『十三の無気味な物語』、石上玄一郎『自殺案内者』、カースン・マッカラーズ『心は孤独な旅人』、パトリック・ジュースキント『ゾマーさんのこと』あたり。とくに『夜のみだらな鳥』は、本書の最初001に紹介されていたので、インパクトが大きかった。この章を読んで、本書は“アタリ”だと思った。
〈000水族図書館〉は、皆川さんの書き下ろし短編。
柳の根方に、葦の茂みを揺籃として産み付けられた卵から産まれた人魚の物語。
主人公は人魚に柳と名付けて、アンデルセンの『人魚姫』や小川未明の『紅い蝋燭と人魚』などの人魚物語を読んで聞かせる。しかし、柳には感情というものが理解できない。
ところが、阿部公房の「人魚伝」を読み聞かせたところで、柳の目に表情が浮かぶ。
主人公は、この話は読んでやるべきではなかった、と思う。それは人魚を飼っているつもりだった男が、実は食肉用家畜として彼女に飼育されていた、という話だったのだ。「人魚伝」の人魚のように、柳も主人公の肉を、歯を滑らせ、紐状に削ぎ取り、すするように飲み込む。この辺りの描写は隠微なのに気品がある。
私は「人魚伝」は未読だけど、きっと「人魚伝」の男も幸せだったに違いないと思うのだ。喰う・喰われるというのは、一度きりの究極の愛情表現だろうから。
骨になった主人公は、フケーの『水の精』を読み聞かせる。ウンディーネは、他の女に心を移した騎士を、涙で殺めてしまうのだ。
主人公は更に、ウンディーネをもとにしたジャン・ジロドゥの「オンディーヌ」を読んでやる。
“〈オンディーヌ あたし、この人好きだわ!……生き返らせてやれないの?
水界の王 駄目だ!
オンディーヌ (引っ張られながら)惜しいわ!あたし、きっと好きになったのに…。“
柳は、オンディーヌの台詞を忽ち覚えてしまう。きっとオンディーヌの心も理解したことだろう。